片寄涼太「僕らにとって青春そのもの」7年間務めた『GENE高』最終回への想い綴る
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 GENERATIONSがグループとして初の冠番組となった『GENERATIONS高校TV』7年間の最終回で、片寄涼太が「僕らにとって青春そのもの」と番組への気持ちを語った。

【映像】片寄涼太、そっくりな実父と共演(30分頃~)

 ダンス&ボーカルグループGENERATIONS from EXILE TRIBEによる、ABEMAオリジナルバラエティ番組『GENERATIONS高校TV』。3月30日(土)は、『GENE高卒業式2時間生放送SP!〜7年間たくさんの夢をありがとう〜』と題し、2017年4月19日からスタートした本番組はついに最終回を迎えた。

 番組の終盤、卒業を迎えることになったメンバーが、一人一人自身で用意してきた答辞を読み上げた。白濱亜嵐は「『GENE高』はまだそれぞれの個性の色が薄かった僕たちを、回を重ねるごとに濃くしてくれた。バラエティー番組での立ち回りのポジションも確立してくれました」と振り返った。そして「全国各地様々な高校に行き、希望あふれる高校生にたくさん会ってきました。あのときの皆さん、元気ですか?」と高校生へのメッセージも忘れない。「この答辞を書いて、より別れという言葉を嫌いになりましたが、出会いという言葉をもっと好きになりました」と力強いメッセージを送っていた。

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 片寄涼太は「番組が始まったばかりの僕らは“自分たちにしかできないことを絶対に見つけ出してやる”その純粋な思いだけで、必死にがむしゃらに『GENE高』に食らいついていました。『GENE高』はGENERATIONSというグループをつなぎ、切磋琢磨させてくれた、まさに学校そのものだったと感じています」とグループにとってなくてはならない存在だったと話す。さらに、志願して自分の父の高校に訪問できた回にも触れ、「『GENE高』のおかげで、想像できない形で親孝行をすることができて、自分の人生においても忘れられない、とても心に残る時間でした。『GENE高』は僕らにとって青春そのものでした、大好きです」と締めくくった。

 関口メンディーは、『GENE高』で自分自身を見つめ直すきっかけをくれたと明かし「前のめりになり空回り、面白いことはできない、笑いもとれなかったけど、全力で取りくんでいると奇跡が起こるんです。自分にとって手ごたえはない、でもみんなが爆笑してくれる。“これだ”と思いました。全力は奇跡を起こす。器用ではない僕の生きる道、大切なことを教わりました。『GENE高』は僕にとっての財産であり宝物です。こんな番組、ほかにはありません。最高のバラエティー番組です」とメンバーとスタッフの感謝を伝えていた。

【写真・画像】片寄涼太「僕らにとって青春そのもの」7年間務めた『GENE高』メンバーたちが最終回への想い綴る 3枚目
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 佐野玲於は、「僕はパフォーマンス以外では取り柄がなく、アーティストとしての世界観やこだわりが強かったので、なかなか(出演に)乗り切りになれなかったのが最初です。しかし、そんなときに出会うことができたのが校長でした」と、校長との出会いについて語る。「番組をやる前に校長に会って、僕らの夢をたくさん聞いてくれました。ロケをたくさん回る中で、僕の未熟さも大きな心で校長を始めスタッフの皆さんとメンバーが受け止めて、活かしてくれました」と、しみじみと語った。

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 数原龍友は「少し昔の話になりますが」と切り出し、GENERATIONSが「EXILEや三代目JSBのようになりなさい」と言われ続けてきた過去があったと前置き。「GENERATIONSはGENERATIONSですから!という思いが強くなり、自分たちでできることは何なんだろうと模索し、巡り合えたのが『GENE高』でした」と番組の当初を思い起こす。「グループの可能性を広げる最高のチャンスをもらえたと、心から歓喜したのを今でも覚えています。僕たちはやっと居場所を見つけた。そんな気持ちで飛ばしすぎて、一時期、明らかにHIROさんを困らせていたのは自負しております…」と苦笑。最後は「本当に『GENE高』が自分の人生にあってよかったと思っています」と愛を込めた。

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 中務裕太は「暖かい春の日の光がふり注ぎ、桜も開花し始めて、春の訪れを感じる…」と本物の答辞さながらに読み始め、メンバーを一気に笑顔にさせる。その後、思い出を語り、「心に残っている回は、今まで言えなかったありがとうを伝える回です。父親が亡くなってからどこか自分の中で消えない後悔がありましたが、この企画で、今まで言えなかった父親への思いを伝えることができて、本当に心が救われました。天国にいる父親もきっと喜んでいると思います」と真剣な表情で伝えていた。

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 最後に答辞を読んだのは、この7年間番組MCとして健闘してきた小森隼。番組が始まった当初は「MCとしての仕事を全うすることができるのか、戸惑いと迷いがたくさんあって、そんなプレッシャーから早く離れたいと思う時期もありました。僕の慣れない進行で収録がうまくいかなかったことなんて、7年間で何度もありました」と悔しさをにじませた。

 「でも、どんなときにも僕の可能性、僕のチャレンジをずっと側で見守り続けてくれたメンバーがいました。この7年間、一度もMCを変えようと言われたことはありません。7年もの間、MCをやり続けることができる奇跡をもらいました」と思わず小森は涙ぐみ、メンバーも神妙な顔で聞き入る。小森は「最初に抱いていた僕の劣等感、プレッシャーはこの7年間で、この世界で戦う僕の大きな武器になり、個性になりました。本当に感謝しかありません、ありがとうございました」と最後はすがすがしい笑顔を見せていた。

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