城の復元・修復が、全国各地で行われているなか、「江戸時代当時の姿をどこまで忠実に復元するか」「エレベーターを設置すべきか」などをめぐって、名古屋城が揉めている。2018年に修復工事が着工されて以来、ずっと天守閣は立ち入り禁止となっている。
カギを握るのは、名古屋市の河村たかし市長だ。これまでも「関係者全員切腹。これが認められなかったら」「テーマパークと違う」といった、注目されるような発言を繰り返してきた。
長年この問題を取材している、歴史ライターの水野誠志朗氏は「これは観光の問題だ」と指摘する。「城の修復という“文化的事業“と、“観光事業”の切り分けができていないのが最大の問題だ」。
話は2011年にさかのぼる。名古屋城の“木造天守復元”をマニフェストとして名古屋市長選に挑んだ河村氏が当選し、現存する資料を基に、江戸時代に設計された天守閣をそのまま復元するとした。そこで問題となったのが、エレベーターの設置だ。
河村氏は天守閣に設置しないと明言したが、市民団体が身体障害者や高齢者のための設置を求めた。市は仮設エレベーターやチェアリフト付き階段の追加などの対策を講じたものの、河村氏は拒否し続けた。
市民の声は割れる。20代女性から「私は外側だけでいい。金シャチあるし」という意見が出れば、70代女性は「難しい、判断できない。(結論が)出たら納得しなきゃいけない」とコメント。20代男性は「エレベーターは付けず、昔のまま再現した方がいい。バーチャルで中を見れば、登れない人も楽しめる」と、最新技術の活用を期待する。
河村氏は、なぜ木造天守復元にこだわるのか。ABEMA的ニュースショーのインタビューで「ぶっちゃけ、何が揉めているのか」と理由を聞くと、「一番根本的な部分は“文化”だ」と語った。
「あまり観光資源という言い方が好きではない。結果としてそうなるだけ。名古屋城は木造文化やアジア文化を象徴する、世界的にかけがえのない建物だと思う。実は、国宝第1号の城は、姫路城ではなく名古屋城だ」(名古屋市・河村たかし市長)
この“国宝”への河村氏のこだわりが、問題の核心になっている。名古屋城は1615年に本丸御殿が完成した。明治維新で全国各地の城が炎上・消失したが、名古屋城は難を逃れて、1930年に城郭として初の国宝に指定される。しかし、太平洋戦争の名古屋大空襲で、天守閣などが消失したことで、国宝から外れた。現在のコンクリート製の名古屋城は、戦後復活を遂げたものだ。
河村氏が「詳細な図面を、焼ける前に残してくれた。復元するためで、そういう文書も出てきた」と語るように、1930年に国宝指定された際、修復資料が整理され、約280枚の平面や断面などの実測図や、700枚以上の写真が今も残されている。
水野氏も「名古屋城以外には、これだけ豊富な資料は残っていないはず」と推測する。しかし、資料が完璧であるゆえに、むしろ「『ここは想像で作るから、エレベーターを付けてもいい』といったイージーなことができない」のも現実だ。
文化庁は、復元された建造物であっても、忠実性を追求したもの、つまり再現度が高ければ国宝に準ずる可能性があるとしている。それだけに河村氏は、「昔のものをそのまま残して、また国宝にしよう。そういう復元の考え方もある」と強調する。
「法隆寺五重塔には、修学旅行の子どもが大勢来る。倒れたら危ないが、やはり本物を残す。文化財には時空を超える価値がある。これを後世に伝えていくのが、僕らの責務であり義務である。バリアフリーなど配慮するところもあるが、1000年後の子どもたちに残す義務があると、みんなで考えないといけない」(河村氏)
名古屋城については一方で、財源の問題も指摘されている。河村氏は、今回の修復工事を税金ではなく入館料などでまかない、50年かけて返済する計画を打ち出している。水野氏は「あくまで税金を使わず、商売ベースでやろうとしている。そこで矛盾が起きる」と語り、工事財源を観光収入に求めるのなら、エレベーターの完備は必須なはずだと指摘する。
城郭研究が専門の滋賀県立大学の中井均名誉教授は、「木造にしても、江戸時代のものではなく、100%令和の建物でしかない。『木造が正しく鉄筋はダメだ』との1択はあり得ない」と語る。
「名古屋城は国宝だったが、空襲で焼けた。あれを鉄筋コンクリートで再建したのは、単なる復元ではなく、名古屋市民ががんばった“戦後復興”の象徴であり、残すべき大事な文化遺産だと思っている」(滋賀県立大学 人間文化学部・中井均名誉教授)
(『ABEMA的ニュースショー』より)
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