甲子園で大谷翔平選手から唯一ホームランを打った選手がプロ入りを断念……元天才球児が『ななにー』に出演し、波瀾万丈の半生を語った。
ABEMAにて10月13日に放送された『ななにー 地下ABEMA』#45では、「リアルな人生に学ぶ!ワケあって人生激変しちゃった瞬間SP」と題した企画が展開。一時は世間から大きな注目を浴びたものの、あることがきっかけでその流れが大きく変わってしまった4組の半生に迫った。
当時、高校生だった大谷翔平選手から甲子園で唯一ホームランを打った天才球児として名を馳せたのが田端良基さん(30)。しかし現在の職業はサラリーマン。そんな天才球児がプロの道に進まなかった理由とはーー?
2012年、春の選抜高校野球大会で花巻東高等学校のエースとして出場していた大谷選手は、1回戦に大阪桐蔭との試合でホームランを打たれて敗退している。それを打ったのがその年に春夏甲子園連覇という偉業を成し遂げた大阪桐蔭の4番・田端さんだった。
小学校から“天才”と評され、田端さん自身もプロ入りを熱望していたが、2011年10月に人生が激変してしまう瞬間が訪れた。ドラフト会議で名前があがるには学校側がプロ志望届の提出が必須なのだが、監督に「プロに進みたい」と頼みに行くと、「いや、それはできない。お前はまだプロに通用する実力を備えていない」という返事が……。高校No.1バッターだったが、プロ入りを止められてしまった。
当時田端さんのバッティング力は“プロに通用する”と評価されていたが、「守備」「走塁」は「まだプロのレベルではない」と評価されていたのだ。一方、大谷選手はドラフト指名で北海道日本ハムへ進んだ。田端さんは、大谷選手との実力の差を痛感し、小学校から夢見たプロ入りを諦めてしまった。
香取慎吾が「守備が下手と言われた時、どう思った?」と聞くと、田端さんは「おっしゃる通りでしたね。僕、バッティングはすごかったんですけど、そっちに全振りしちゃいまして。練習も嫌いだったんです、守備も走塁も。監督さんの判断は正しかったと思います」と答えた。
その後、亜細亜大学に特待生として入るも、わずか3日で退学。そのまま野球の世界から遠ざかってしまった。これについて田端さんが「甲子園でホームランを打ったら、プロになれると思ってたんです。でも、それだけじゃダメって気付かされて、高校時代の成績を大学で超える自信がなかった。大学進学する時には“辞めよう”って決めてました」と振り返ると、スタジオからは「もったいねぇ……」という悲鳴にも似た声が上がった。
さらに田端さんは「自信がなくなっちゃいました」「トップに行くと更なる上を目指していけるメンタリティが大切。それが僕には足りなかった」と当時の赤裸々な気持ちを明かした。大学中退後は水道工事の仕事で食い繋いでいたが、今はオーダーメイドスーツの会社を立ち上げ、地元和歌山で働いている。
田端さんは「高校時代の人脈を活かして、メジャーリーガーの吉田正尚選手、巨人の4番バッター・岡本和真選手とかにもスーツを作っていただいた。そして高校野球の魅力を伝えるYouTubeもやっております」と現在の活動に胸を張っていた。