そんな中、絶対服従の受刑者に対し高圧的な態度をとる刑務官もいたそう。河井氏は検察に踏み込まれた際に半月板を損傷し、歩くのにサポーターが必要だったため、医師に診断書を出してもらっていたが、刑務官に没収され、行進訓練を強行し激痛に耐え続けた。
また、目の持病(薬の副作用)のため逆さまつげが酷く、医師に切ってもらおうとしたが、「そんなこと聞いたことない。まつ毛を切ることはできない」と言われ、結局、自らまつ毛をむしり取るしかなかった。
「学校を出たての若者が刑務官になった途端、受刑者から『先生』と呼ばれ、常に敬語を用いられる。些細なことでも注意されまいと、受刑者は『先生』にびくびくし、その号令に従う。刑務官の方も立場上、受刑者の名前を呼び捨てにし、ぞんざいな口調で対応する。経験の浅い刑務官が、その特殊な関係性を履き違えてしまえば、囚人を自分の家来か下僕くらいに思ってしまうことだろう」(河井氏)
2023年1月刑務所内で突如としてコロナが猛威を振るい、正月明けに河井氏も感染し、隔離病室に移された。そこは乾燥がひどく、外はマイナス5度の凍てつく寒さ。体をガタガタ震わせ、鼻水が食事に落下することもあった。入浴も禁じられ、タオルをお湯で濡らし体を拭くのみ。衣類にウイルスが付着している可能性があるため、洗濯もしてもらえず10日間も同じ下着だった。河井氏は隔離病棟で人知れず風邪をひいたという。
継続して読書を続けながらも、妻のすすめで約4000語もの英単語を覚え直した。安倍総理の名を受けて世界中を飛び回っていたときよりも、英語力は上達したという。そして一番力を入れていたのが、月刊誌「Hanada」の連載執筆で、後に『獄中日記』というタイトルで出版される河井氏渾身の手記だった。何度も書き直し、最終の清書にたどり着く頃には親指が曲がらないほど痛みと熱を発していた。やがて大きなペンダコとなり、その痛みは塀の外に出るまで続いたそうだ。
法務大臣の頃は刑務所内の実態など何も知らなかったという河井氏。受刑者として塀の中の実態を知り、新たな気づきがたくさんあったという。「受刑者は塀の中の生活に適応しようとすればするほど、刑務所が人生の舞台だと錯覚してしまう。私はそれを『受刑者脳』と呼んでいる」。
河井氏が語る服役中の衝撃エピソード
