高校時代、檜原は「天才大喜利高校生」として関西で名を馳せ、霜降り明星・粗品と並ぶ実力者だった。一方、大鶴は当時から体重100kg超え・握力85kgと体格がよかったが、意外にも「クラスの端っこにいるイジられキャラ」で、お笑い活動はしていなかったという。
そして現在182cm・188kgにまで成長した大鶴は、「ラランドのニシダから聞いた話」として、ニシダが相撲部屋を取材した際のエピソードを告白。取材中、大鶴の名前が話題に上がると、親方は「大鶴肥満さん、知っていますよ。もったいないことをしましたね」と、相撲界に入らなかったことを惜しんでいたという。これに澤部は「角界の損失?」とツッコミを入れ、笑いを誘った。
大鶴は明治大学進学後、お笑いサークルに所属し「エンジョイ勢」と呼ばれるプロを目指さないグループで大学生活を満喫。その後、正社員として塾講師になるも、「あまりにも生徒に舐められすぎる」という理由から1年で退職し、太田プロの養成所に通うことになったという。
檜原いわく、大鶴は「才能だらけの怪物」だったといい、「188kgながら運動神経抜群」「部活動の経験ないのに130mの特大ホームラン」「コサックダンス」など、次々と大鶴の特技を挙げた。
さらに、「音楽センスもありサックスとドラムが演奏できる」とも明かし、サックスを吹く大鶴の写真を公開。雰囲気のあるモノクロ写真に、「名プレイヤーの写真」「日本にジャズを運んできた人間」など、スタジオにツッコミが飛び交っていた。
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