これまでの人生で「幼稚園・小学校・中学・高校・高校・大学・大学」と計7回の受験を経験し、「親には非常に苦労をかけた」と語った蘭丸。超難関校である早稲田実業中等部に受験で見事合格するも、校風が合わなかった蘭丸はさらに「しくじり」を犯す。
入学早々「親のお金で課金三昧」の日々を送った蘭丸は、スマートフォンの没収を免れるため、教科書をスマートフォンの形にくり抜いて隠したりと巧妙な手口でゲームに没頭したという。こうした怠惰な生活を送るようになった理由として、蘭丸は「どうせ大学まで進学できるし、もう勉強したくない」という気持ちがあったと告白。若林が「クラスで下の方でも大学までは行けるもんなんですか?」と問うと、蘭丸は「行けます。正直1番下でもいけると思います」と断言し、会場を驚かせた。
「勉強するやつは馬鹿だと思ってた」とまで語る蘭丸は、中学2年生の学年テストで250人中243位という成績を記録。外部入学者の中でも唯一、親が学校に呼び出されるほどの「問題児」だったという。結果を求める家庭だったため、成績不振を親に知られないよう、成績の良い同級生から小テストを1枚500円で買い取っていたという驚きの行動も告白した。
学校に行くふりをして山手線でゲームをしたり、井の頭公園や電気屋のマッサージチェアで昼寝していたという蘭丸。悶々とした日々を送っていた中学2年生の冬、蘭丸はふと「辞めればいいんだ」と考えるようになる。このまま早稲田大学に楽しく緩く進学するか、もう一度何か頑張ってみようかと、2ヶ月間冷静に悩んだという。そして、当時「特別じゃなかった」自分にとって、「特別になりたい」というプライドを捨てるか、もう一度頑張るかの二択で葛藤した。
もう一度頑張りたいと決意し「辞めたい」と母親に相談すると、母親は衝撃を受ける。蘭丸が必死に「今の環境が合わない」とプレゼンし説得すると「逃げるんじゃなく、次の目標に向かって進むなら協力します」と応じたという。この母親の言葉に、藤本は「涙が出ちゃう」「でも多分ここまで考えてるのがちゃんと伝わったから…」と深く共感し、真麻も「これ言えます?」と驚きの声を上げた。蘭丸は母親に対し「ほんとに感謝ですね。器のでかい声でよかったなと、これほんとに思います」と述べた。
母親だけでなく、中学1年生から3年生まで担任を持ち、問題児だった蘭丸を唯一買ってくれていた先生にも中退の相談をした。先生もまた「これ逃げじゃないか?逃げるんじゃないなら協力するぞ」と協力してくれ、次の受験のための推薦状を書いてくれたという。こうして早稲田実業中等部を辞めた蘭丸は「特別な存在である僕がキャリアダウンは考えられない」というプライドから、早稲田より上の国内の学校は無理だと判断し、唯一の選択肢として海外留学の道を選んだことを明かした。
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