赤井は、高校時代からボクシングを始め、近畿大学在学中にプロボクサーに転向。デビューから12戦連続KO勝利という当時の日本記録を打ち立てた。25歳で現役を引退し、1989年に俳優に転向した。
小学校では学級委員を務める優等生だったという赤井。しかし優等生から一変、中学校では飲酒喫煙、学校中のトイレを蹴り倒し破壊するなど不良の道に。そんな赤井が中学3年生になり、受験の時を迎えた。当時の成績は絶望的だったが、兄から進学校である「浪速高校ぐらいは受かってみせろよ」と挑発されたところ、まさかの合格を勝ち取った。赤井は、さらにレベルの高い住吉高校を受けようと思い、受験に臨んだ。
住吉高校の受験会場で、机に足を乗っけていた赤井は、とある人物と一触即発の睨み合いになったという。その人物がトミーズ雅であったことが明かされると、スタジオからは「おぉ~!」という驚きの声が上がり、若林は思わず「大阪だなぁ」「番長同士だ」と声を上げた。
柴田から「喧嘩にはならなかったんですか?」と尋ねられた赤井だが、「その時のこと全然覚えてないんですわ。他の生徒はみんな一緒に見えてましたから」と、雅を特に意識していなかったことを告白した。一方、雅の当時の感想としては、赤井を見た瞬間から「強そうだな」と思っていたという。
さらに柴田は、当時の裏話を披露した。雅は、合格発表の時に自分の受験番号より先に赤井の番号を探し、赤井が落ちていることを確認してガッツポーズしたという。この話にスタジオは爆笑に包まれた。
しかしその後、二人はボクシングを通じて関係を深める。雅が高校3年からプロボクサーになり、赤井がそのジムに練習に行った際、スパーリングをする仲になったという。赤井とのスパーリングを、雅は鼻の骨が折れていたことに気づかず続けていたというエピソードも紹介され、二人の相当な激闘ぶりがうかがえた。
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