【写真・画像】赤井英和、不良時代の衝撃的な“遠足写真”にノブコブ吉村ら大笑い「うそでしょ!?」 2枚目
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 赤井は、WBC世界スーパーライト級タイトルマッチで、アメリカのブルース・カリー選手との対戦が決定。世界戦が決まった時は「夢が叶った」と感じたという。しかし、初の世界タイトルマッチに挑んだ結果、7回TKO負けとなり、キャリア初の黒星を喫した。その後、赤井はトレーニングをサボり、酒に溺れる日々を送るようになった。当時の新聞には「作られたKO劇」「メッキが剥がれた」など、こっぴどく書かれたという。

 練習に身が入らない赤井だったが、この頃から世界的に有名なエディ・タウンゼントがトレーナーにつき、指導を受けることになる。エディは過去に6人もの日本人世界チャンピオンを出している人物であり、エディの指導のもと、赤井は世界再挑戦へ挑んでいくことになり、世界タイトルマッチの前哨戦が決定した。しかし、赤井は前哨戦の前に失踪し、北九州に逃亡。その理由として、モチベーションが上がらなかったことや、金銭的な不満があったと話した。赤井は、前哨戦の前に引退届を書いて提出し、世間が賑わい注目するだろう、その時に不満をぶちまけたかったと考えた。だが、結果は不発に終わったという。

 その後、後援会長に説得されて、赤井は大阪に戻り再びリングに立つことになった。再び世界前哨戦に挑むことになった赤井の相手は、当時日本ランキング6位の大和田選手だった。世界ランキング8位だった赤井にとって、なんとか倒せるだろうという見込みはあった。しかし、赤井は試合に対して「もうボクシングなんかしたくない」と思っていたそうで、赤井は当時の心境を「コンディションもモチベーションも、もう最悪でした」と語っている。

【写真・画像】赤井英和、不良時代の衝撃的な“遠足写真”にノブコブ吉村ら大笑い「うそでしょ!?」 3枚目
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 試合では、気持ちが乗らず、パンチ力や動きなど、いつもと違うような感じだったという。結果、赤井が「ぼこぼこにされてKO負け」となり、意識不明で病院に搬送された。病院で下された診断は、急性硬膜下血腫、脳挫傷で、生存率は20パーセントだった。緊急手術が行われたが術後の生存率は50%というものだった。

 赤井には右側頭部に脳挫傷があったため、手のひら大の骨を外して、顕微鏡で中の血の塊を取る手術が行われた。手術後、目が覚めると赤井はボクシングをしたことも全く覚えていなかったため、「あれ?ここどこや」「試合せなあかん、こんなことで寝とったらあかんねん」と起きようとしたところ、脳圧の機械や点滴、鼻には呼吸の機械が入っており、動くことができなかった。さらに、頭を触ってみたところ、皮の下はもう脳みそだった。母親や兄弟から「触ったらあかん!」と言われたという。そのため、「ベッドに両腕を拘束された状態」で病院生活を送っていたと明かした。

【写真・画像】赤井英和、不良時代の衝撃的な“遠足写真”にノブコブ吉村ら大笑い「うそでしょ!?」 4枚目
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 手術から数日後、医師の先生から「手術は成功しましたが、もうボクシングはできません」と告げられた赤井。これは医師による完全なドクターストップであり、事実上の引退勧告となった。当時、赤井はまだ25歳という伸びしろのある時期だった。目標を失ってしまった状況に対し、赤井は「無の世界というか…」と当時の心境を表現した。

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