世界前哨戦に挑んだ赤井英和は、日本ランキング6位の大和田選手と対戦した。当時の赤井は世界ランキング8位だったためなんとか倒せるだろうという見込みはあったが、コンディションもモチベーションも最悪の状態だったという。試合は、赤井が「ボコボコにされてKO負け」という結果に終わった上、意識不明となり病院に搬送された。
病院で下された診断は、急性硬膜下血腫と脳挫傷。生存率は20パーセント、術後生存率は50パーセントだったという。緊急手術から数日後、医師の先生から「手術は成功しましたが、もうボクシングはできません」と告げられた。これは医師による完全なドクターストップであり、事実上の引退勧告となった。当時、赤井はまだ25歳で、伸びしろのある時期に夢を諦めなければいけない状況に対し、「無の世界」と当時の心境を表現した。
そんな赤井を絶望の淵から救ったのが、高校の先輩にあたる笑福亭鶴瓶だった。赤井が退院後、鶴瓶に挨拶に行くと「お前の人生おもろい」と声をかけられたという。やんちゃな子供がボクシングでオリンピックを目指し、プロになり、そして怪我で引退という一連の経験を振り返り、鶴瓶は「そういう話を本に書いたらどうや」とアドバイスしたのだという。
鶴瓶のアドバイスにより、赤井の自叙伝『どついたるねん』が完成した。この本を読んだ阪本順治監督が「この話面白いから映画にしよう、主役を君がしなさい」と声をかけたのだという。そして映画『どついたるねん』が、赤井の芸能界デビュー作となった。この映画は口コミで評判を呼び、赤井は主演俳優として映画新人賞を総なめすることになった。
夢を断たれたものの、俳優としての道を切り開いた赤井は教訓として「先のことを考えることは大事。ただ、今せなあかんことにチャレンジする方が大事」と話した。そして、様々な人生がある中で「何よりもやっぱり前向かなあかん」「こけるにしても、前にこけなあかん」と続けた。
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