また、練習を熱心に続ける大きな原動力となったのが、「羽生結弦さんとアメリカのネイサン・チェンさんだった」と明かし、「絶対に叶わない2人だ」と感じていた。しかし、絶対に叶わない2人がいたからこそ、「挑戦することがすごく楽しかった」と振り返る。

 しかし、オリンピックをきっかけに2人がいなくなり、必然的に宇野が1番手になった。その後、宇野は全ての大会で優勝し、1位を全て取ることはできた。だが、「ワクワク感、楽しさが、以前より少なくなった」と感じていたという。

 そして、「日々の練習や大会に臨む姿勢も、『熱心にやりたい』ではなく、『やらなきゃ』というのがちょっと苦しくなった。技術も練習時間を増やしても、少しずつ下がっているのが、自分でもちょっと許せない思いもあって、引退をさせていただきました」と述べた。

(『徹子の部屋』より)