
ロシアがウクライナに大規模侵攻を開始してからほぼ4年。停戦への期待は膨らんではしぼんでいる。2025年、ロシア国内では民主派への弾圧はさらに厳しくなった。それでも抵抗を続ける人びとがいる。やがて訪れる停戦後、ロシアはふたたび民主主義の道を歩みだせるのだろうか?それとも…。
(ANN取材班)
経済危機は「ロシア人の宿命」
モスクワのアパートで出迎えてくれたエカテリーナ・ドゥンツォワ氏(42)は、少し疲れた様子だった。
ドゥンツォワ氏が2023年末に「平和」をかかげプーチン大統領の対抗馬を目指して、大統領選挙に立候補し、阻止されてから2年が過ぎた。その時の仲間を中心に野党グループ「ラススベート」を結成し、ロシア国内から体制を変えようとしているが、自身もスパイを意味する「外国代理人」に指定されるなど苦労を強いられてきた。
夕方になると窓の外では、買い物袋をかかえた住民たちが、でこぼこのアスファルトにできた水たまりを用心深く避けながら家路を急いでいる。
長く続くインフレはロシア市民の頭痛の種だ。独立系メディアによればウクライナへの大規模侵攻以降、水道やガスなどの公共料金は39%、食標品は少なくとも10%値上がりした。乳製品に限れば20%以上だ。プーチン政権は「いずれコントロールされる」「所得も上がっているから問題はない」と言うが、信じる人は少ない。国民の多くが出費を控えている。
「インフレはやはり家計を直撃していますか?」とドゥンツォワ氏にたずねた。
彼女は「ロシア人の宿命」について語りだした。
「私たちは人生において、ある程度の制約に慣れています。私は贅沢な暮らしをしたことはありません。(ソ連崩壊直後の)1990年代を目の当たりにしてきました。電気が止まり、給料の支払いも滞りました。母はデザイン学校で働いていましたが6カ月間給料が支払われませんでした。父は警備員など、何か別の方法でお金を稼ぐ方法を探していました。幼稚園の頃、10カペイカのジュースがある日、(100倍の)10ルーブルになったのを覚えています。残念ながら私たちロシア人は定期的にこのような経験をしなければならないようです」
ソ連崩壊直後の1990年代、ロシアの人びとは経済危機に直面した。深刻な品不足に陥り、商店には行列が絶えず、ハイパーインフレも経験した。
それは宿命のようにふたたびロシアを襲いつつある。ただ当時といまは決定的に異なる点がある。ソ連崩壊後のロシアには混乱と同時に、新しい時代の訪れの予感があった。
では、いまは?もしウクライナ侵攻が何らかの形で終わったら、なにが待ち構えているのだろうか?
“抑圧”で維持される社会 沈黙する人々
「残念ながら、決してこの『抑圧マシーン』は止まらないでしょう。奇妙に聞こえるかもしれませんが、国の対応は正しいのかもしれません。なぜなら、人々が自分の意志や意見を表明しだせば、蓄積された疲労感と経済への不満、この鬱積した膿瘍が爆発することを国は十分に理解しているのです。何十万人もが『特別軍事作戦(=ウクライナ侵攻)』から帰還したら、彼らは社会でどう生活していくのでしょうか。これもまた人々を怖がらせます。国はなんの疑問にも答えません。なぜなら、彼ら自身もわかっていないのです」
皮肉にもいまのロシア社会が維持されているのは「抑圧」のおかげだというのだ。仮に戦争が終わったとしても、プーチン政権は抑圧をさらに強めるしかないだろう。それはロシアが「勝利」したとしても同じだ。
プーチン政権は25年かけて中央集権化を進め、「安定」と引き換えに市民の「自由」を制限してきた。市民の側も混乱を恐れて抑圧を受け入れてきたのも事実だ。
ウクライナへの大規模侵攻後、その動きは一層加速し、ロシア人の抵抗力をほぼ完全に奪った。
「最も深刻なのは、人々に『怒り』がほとんどないことです。例えば、私の地元ルジェフでは、3月から数カ月間、モバイルインターネットが使えません。多くの地域でも同じ状況です。人々はWi-FiからWi-Fiへと何とかやりくりしながら暮らしています。不満も抗議も表明しません。テレビでは、『良い事ではないか』『スマホから離れて散歩に出よう』『子供たちと自然に出かけよう』などと宣伝しています」
民主主義の形骸化も加速 選挙は中止
怒ることさえ忘れた市民に対して、プーチン政権が進める政策の危険性をドゥンツォワ氏は指摘する。
「連邦法では選挙で市長を選出できると規定されています。にもかかわらず、ほとんどの地域で住民が市長を選べない状況が続いています。地方議会が、住民が市長を選出できないと定める法律を可決したのです。かつては隣の通りに地方議員が住んでいて、何かを頼めましたが、今はいなくなってしまいました。行政サービスはインターネットで行われています。しかし今は多くの地域でそのインターネットが妨害され使えません。住民とのつながりは完全に断絶されました」
2025年3月、プーチン大統領は自治体の首長を知事の指名により、議会から選出することを促す連邦法に署名した。これをうけ、ヤクーツクやクラスノダールなど多くの自治体が次々と予定されていた市長選挙を中止した。地方自治体の首長選挙はほとんどなくなっている。
「中央集権化は、地方自治体の統治を完全に破壊しつつあります。人びとは選挙への関心を失い、選挙を献身的に監視してきた監視員制度は崩壊しました。人びとが自発的に疑問を投げかけるようになるためには、環境を整える必要があります。しかし、私たちにはそのような環境がありません」
もちろんこれまでも選挙が公平に行われていたとは言えず、反体制派の立候補も阻まれてきた。それでも一部の立候補は容認され選挙キャンペーンを通じて訴える機会はわずかだが残されていた。
しかし、今回の法改正はそのわずかな機会さえ奪うものだ。選挙中止の理由は「困難な状況下で権力の統一を強化する」などと説明されている。議論を通じて利害を調整し、政策を前に進めるという民主主義を真っ向から否定している。
海外の反体制派からも孤立するロシア国内の活動
厳しい弾圧下で、ドゥンツォワ氏らの運動は広がりを欠いている。
「私たちは、原則として自分たちの存在を伝えるのは非常に困難です。プロパガンダで満たされているテレビを見ている人は、『ラススベート』が何なのかを知ることはないでしょう」
さらに前述したとおり、ドゥンツォワ氏は、「外国代理人」に指定され、最大の武器であるSNSも有効に使うことができなくなった。
「難しいのはソーシャルメディアの管理です。『私はあそこにいます』『私はこんな計画しています』と投稿することは、安全とはいえません」
「ラススベート」は、各地で意見交換やゴミ拾いや被災者支援などといった地域活動を通じて住民と交流している。目の前のできごとから住民の政治参加を促すのだ。こうしたイベントへのドゥンツォワ氏の参加を事前に知らせれば、参加者をより多く呼ぶことができる。しかし、SNSを監視している治安当局が先回りし、集会を妨害されることもあった。
さらに「身内」からも強い支持が期待できないという悩みも抱えている。外国からロシアの体制転換を願う人々にとっては、ラススベートのような地道な活動は軟弱で無意味にさえ映ることもある。
「最も悲しいのは、例えば野党の人たちが海外へ行き、そこで生活しているということです。彼らはおそらく、いつか戻ってきて、全てをやり直し、すべてがうまくいき、すべてが変わることを夢見ているでしょう。もしかしたらそうなるかもしれません。しかし、国内で合法的な政治活動を続けている人々がいるという事実を完全に無視するのは間違っていると思います」
プーチン政権に危機感を共に抱く仲間であるはずの人びとからも見放されたような気持ちを感じれば、心が折れそうになるのも無理はない。
解散に追い込まれた野党グループは…
もう一つの野党「市民イニシアチブ」は2025年9月、裁判所の決定により解散に追い込まれた。ただ、モスクワ支部の幹部を務めていたウェブデザイナーのポリーナさんは、政治活動を続けていくつもりだという。
「変化は合法的な手段によってのみ達成されるべきだと信じています。私たちが努力しているという事実は、私たちが支持者を忘れず努力しているというサインになっていると思います。たとえ無給で働かなければならないとしても」
ポリーナさんは、2024年のウクライナ軍によるロシア西部クルスク州への侵攻の際の出来事を振り返り、海外に脱出したロシア人たちとのきずなも決して断たれてはいないという。
プーチン大統領が当初、ロシア領土が攻撃を受けたことをなかなか認めず、被災者支援はほとんどない中、「ラススベート」やポリーナさんたちは、真っ先にモスクワ市内で支援物資を募り、被災住民らの支援にあたった。
その時、すぐに支援を表明してくれたのは、外国代理人に指定され、国外退去を余儀なくされた歌手たちだったという。ポリーナさんはこう期待を込める。
「1980年のソ連では誰も抗議行動を起こしませんでしたが、1985年にペレストロイカとグラスノスチが起こり、初めて公正かつ自由な選挙が実施されました。大規模な抗議行動 などが行われました。わずか5年足らずです」
再起する「ラススベート」 2度目の結党大会
2025年9月。モスクワ郊外の人里離れた宿泊施設に、ロシア全土から平和を求める人たちが集まってきた。彼らの前には「ラススベート」のマニフェストを読み上げるドゥンツォワ氏の姿があった。
「この国は、過去にとらわれ、現在を否定し、未来を恐れる者たちによって支配されています。私たちは声を上げます。『もうたくさんだ!』と。愛は沈黙ではありません。愛は責任なのです。国の運命を決める権利は国民にあります。私たちはその責任を自ら負います。嘘、暴政、無法に『ノー』と言い、誠実な生活と自由に『イエス』と言います。それらなしに未来はありません」
会場は拍手に包まれた。この日は2度目の結党大会だった。最初は2024年5月。全国に支部を立ち上げ、正式な政党として法務省に申請した。しかし、当局は書類の不備などを理由に却下。追い打ちをかけるようにドゥンツォワ氏は「外国代理人」に指定され政治的な活動が制限される。身の危険を感じた一部の支持者は離れていった。
それでもドゥンツォワ氏はあきらめなかった。毎日、広大なロシアの時差と戦いながら、全土のメンバーと現状の報告やイベントの企画など意見を交わし続ける。政党の申請はふたたび却下される可能性が濃厚だが「活動を止めるつもりはない」という。
「ほとんど政治に関わったことも、考えたこともなかった人々が、やってくるのです。彼らは孤独ではないと感じたいからこそ、ここに来ました。自分たちと同じように平和を望む人々が大勢いることを理解しているのです」
ドゥンツォワ氏は、結党大会にやってきた多くの参加者と接し、今の体制に危機感を抱く人たちが大勢いることを確信する。参加者自身も、現状に疑問を抱くのは自分一人ではないのだと思いを深め、勇気を得られるという。
「政治に関わらなければ、政治の方から関わってくる」
「ラススベート」の結党大会に参加したイリーナさんは、タタールスタン共和国・カザンで、心理士としてカウンセリングで生計を立てている。政治にかかわるようになったのは2017年、地元カザンでのごみ焼却場建設に反対する抗議活動に参加したことがきっかけだった。
身の危険を感じるような圧力を度々受け、しばらくは警察官を見かけると身体が硬直してしまうことさえあったという。地方議員の選挙にも立候補しても、登録を拒否された。
多くのロシア人が沈黙し、政治から距離を置いているにも関わらずなぜ政治活動を続けるのか?
イリーナさんは、間髪を置かずにこう答える。
「政治に関わらなければ、政治のほうからあなたに関わってくるからです。市民社会を育てていく以外に方法はないのです」
政権の意向に従い沈黙さえしていれば、つつましい安定した暮らしを送れると思っていても、次第に政権はそんな個人的な空間にすら干渉しだす。
ウクライナ侵攻後、プーチン政権は突如「部分的動員」を発令し、多くの男性たちが急遽戦地へと連れて行かれた。穏やかな生活はいとも簡単にひっくり返されるのだ。
経済面でも、プーチン政権は2026年1月1日から付加価値税を20パーセントから22パーセントに増税する。経済制裁により財政危機に直面しだしたためだとみられている。2018年には年金受給年齢の引き上げに反対し、大規模なデモが行われたが、今回は、市民は声を上げることすらできなかった。
「私たちは積極的に行動する必要があります。なにもせずに『どうせ何も解決しないだろう』と言う人もいますが、それは人生における消極的な姿勢です。話し合える人びとを集め、コミュニティを作り、発言し、議論し、取り組んでいくのです。世界を変えたいなら、まず自分自身を変えることから始めるのです」
イリーナさんは地域住民を集めて読書会や映画の上映会を開催している。こうした集いを通じて住民らと対話を続けている。
厳しい弾圧にもかかわらず、ロシア国内にとどまり、政治を取り戻そうとする人びとは決して少なくない。いずれ停戦が実現したとき、ロシアがどのような道を歩むかは、かれらの存在が大きく左右する。
ドゥンツォワ氏は、こう力を込める。
「重要なのは、『ラススベート』という一つのコミュニティがあるということです。私たちは大勢の仲間がいて、何かをするときは共に行動します」
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