
『ニュースステーション』で18年間、キャスターを務めた久米宏さんが、今月1日、肺がんのため亡くなりました。81歳でした。報道ステーションは13日、当時の演出で約40分間にわたり久米さんを追悼しました。約17年間、久米さんに伴走したテレビ朝日の元アナウンサー・渡辺宜嗣さんが解説します。
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【解説】番組で17年間 伴走した渡辺宜嗣さん
(Q 実際、久米さんとは、どんなことを話しながら、番組を作っていたのですか?)
久米さんを語るのに、相応しい方、大勢いらっしゃると思うのですけど、個人的に、私にとっては、アナウンサーになることを志したときから本当に憧れの方で、アナウンサーになってからも、いつも仰ぎ見る北極星のような方だったのです。その方と一緒に、ニュースステーションで仕事ができる喜びとうれしさは体中から湧き出て、番組を担当させていただいていた。久米さんと一緒にできる、一緒に番組が作れるということが、スタッフもみんなうれしかったんです。本当にうれしかった。
テレビとラジオを本当に熟知している方で、その天才的な語り手、しゃべり手である久米さんを真ん中に置いて、番組を作れるという喜びが、スタッフにあふれかえっていて。1985年スタートですから、いまから40年前です。時代はいまと違って、とてもアナログな時代です。携帯電話は、弁当箱のようなのを背負ってかけるようなものを持っている時代でしたから。当時のスタッフは無駄話が多かった。みんなで無駄話をするわけです。
番組が始まる前でも、終わったあと、1杯、飲みにいくときでも、無駄話だらけ。久米さんは、本番が終わるとお帰りになるのですけど、翌日、その無駄話を聞いて、『そんな話してたの。おもしろいね、行けばよかった』と言いながら、その無駄話から『それ、おもしろいよね』『それってニュースでこう扱ったらどうなの』というのが湧き出てくるような、無駄話を自然としていたというか。それがアナログ時代の、前例がない番組を作っていこうというみんなの思いに包まれていた
(Q 久米さんが大切にしているライブ感を、中継先で受けるわけですが、どうでしたか?)
怖かったです。何を聞いてくるかわからないし。何を話すと久米さんは喜んでくれるのだろう、なんてことも考えながら、とにかく久米さんという方は、知りたがり屋でおもしろがり屋だった。
『それ宜嗣、おもしろかったよ』『あの見方、なかなか人にはできなくて、あれよく気が付いたね』というようなことを、ロケ先や中継先から帰ってきて、言ってくださる。それがうれしかった。僕の憧れの人にそういうことを言われるのですから、それはやる気になりますよね。でも生中継は、怖かったです
(Q 時の権力者にひるまない久米さんのパワーはどこから?)
久米さんにとってみれば、政治家も企業のトップも、組織のトップも、大御所と呼ばれている人も、芸能人もスポーツ選手も皆同じに見ていたんだと思います。人間としてどうなのかという。
私がニュースステーションに加わらせていただいた時、最初に久米さんに言われたのは『アナウンサーという肩書きを外してきてね』でした。つまり、アナウンサーとしてニュースを見るのではなくて、1人の人間として、人間・渡辺としてニュースをどう見るか。そのニュースから何を学びとるのか。何をピックアップするのかをやってねと言われたんですね。
100人いたら100通りの考え方もあるし、100人いたら100通りのものの見方もある。正解は1つではなくて、今はもっと複雑な時代ですから、もっと正解がいっぱいある時代で。その中で、個人としてどう関わるのか。個人としてどう伝えるのかをやってねと。見ている方には、そうやって見てねと。僕がこう言ったんだけど、これが全てじゃなくて、皆それぞれ意見を持っていいんじゃないのと言うために、自分も意見を言うんだという。キャスターが意見を言うことの是非論はあると思いますが、でも久米さんは自分1人の意見だけども皆さんはどう思いますかと。そこへ向けてのメッセージだったような気がします
(Q メディア=反権力という大上段ではなかった?)
そうではなかったですね
(Q 呼吸、間合いも含めて視聴者の方に見てもらう。自分の個人的な意見も含めて、相手の反応・出方を含めて、これがニュースなんだと。そんな番組作りだったなと思いますね)
全部言葉にする必要はないんだよと。例えば、アナウンサーってすぐ言葉にしてしまう癖があるんですけど。そうじゃなくて、何かを言われた時にうーんって考える。そのことが“大きなクエスチョンマークを僕は持ってるんだよ”ということにつながるし、全身でもって表現をする。それを久米さんは体現していらっしゃった方のような気がします。
だから今改めて見ると、相当なことをしてるし、反応してますよね。でもそれって、アドリブのように仰ってるように見えるけども、僕は近くで久米さんとご一緒させていただいていて、普段から常日頃から一生懸命考えてらっしゃって。恐らく久米さんは朝起きてから寝るまでずーっと番組のことを考えてらっしゃった方なんじゃないかなと。
夜もなかなか寝付けないと伺ったこともあります。色んなプレッシャーの中で、特にテレビ放送の黎明期というか、色んなことをチャレンジしていく時代に、久米さんは様々なことをチャレンジしながら、普段から考えているから、それが当意即妙に話しているように見せると言っては語弊がありますけど、表現することが偉大な方だったと、僕はそう受け止めています
(Q 久米さんの登場でテレビニュース番組がより視聴者のものに近付いたのは間違いないようですね?)
近付きましたね。距離感が近くなった。その功績は本当に大きい方だったと思います
(Q 渡辺さんが思う久米さんの一番大きな足跡はなんですか?)
「ニュースステーションが1985年に始まって、報道ステーションに。そして今、大越さんまで40年です。40年間、この時間帯にニュース番組をずっと続けてきた。そのスタートを作った方です。正直言うと、また会いたいですね。すぐにでも会いたいです」
