
作文コンクールで10度もの受賞歴を持つ高校生作家、内田博仁さん。実は、知的障害を伴う重度自閉症でほとんど言葉を発することができません。言葉を表現する方法を手に入れるまでには、ある二つの転機がありました。彼が語る自閉症の苦悩や希望・・社会に対する思いとは。夢に向かって走り続ける姿を追いました。(サタデーステーション 正行伽音)
【画像】【重度自閉症の高校生作家】言葉を喋れない僕が、作品を書く理由
重度自閉症の高校生作家 キーボードで見つけた「夢」
内田博仁著/闇の中から扉を探して
『僕はずっと暗闇の中にいた。光など見えなかった。しかしその閉じ込められた世界で僕はいつも言葉を紡いでいた』
この文章を書いたのは内田博仁(はくと)さん、17歳。作文コンクールで10度もの受賞歴を持つ高校生作家ですが・・3歳の時に知的障害を伴う重度自閉症だと診断されています。声は出せますが、ほとんど言葉を発することができません。また、常に体が前後に動いたり、奇声を発したりしてしまいます。

母 内田敦子さん
「(Q普段はどうやってコミュニケーションをとっている)これとか指差しとか、そういう感じですかね。なぜか分かっちゃうときもあるので。」
また、物事に強いこだわりがあるのも自閉症の特徴です。
父 内田博道さん
「単品主義。単品食べてそれから次みたいな。自閉症の子はそういうこだわりがあるみたいです。」
それゆえに予想外の変化が起きるとパニックになり、突然はしりまわったり、自分の顔をひっかいてしまったりすることもあるといいます。
(Qパニックになったときはどう対応している)
母 内田敦子さん
「何言っても耳に入らないので、 とにかく一人で静かな場所に行ってもらって。」
父 内田博道さん
「本当に上手い場所がなくて取っ組み合いみたいになったりとかすることもあって。 」
どのように作品を書いているかというと…キーボードで言葉を表現します。

小さいころから文字や文章に興味を示していた博仁さん。文字を打つ練習を重ね、これまでにおよそ13のコンクールに応募し、なんと10作品が受賞しました。
母 内田敦子さん
「おお急に…すごいな。」
母 内田敦子さん
「“僕は教育について言いたいのです。” 急に熱が入って。」
作品の多くは自分のことを記したノンフィクション小説。話し言葉を持たない自閉症の、頭の中の苦しみや希望を語っています。文章を綴りつづけるうちに、博仁さんにはある夢が芽生えました。
内田博仁著/荒垣秀雄天声人語賞受賞作品
『小学校の時先生が二分の一成人式で自分の夢を皆の前で打ったらどうかと提案してくれた。夢のようだった。』
内田博仁さん
「ゆめは小説家」
「一生話すことない」と宣告 家族に訪れた2つの転機
内田家には、幼少期から決めていたことがあります。
父 内田博道さん
「大方針は彼が好きなことだったり、伸ばしたいところを伸ばそう教育をしようというのが大方針だったんです。とにかく文章を書くことだけは伸ばそうと」
(Q:それはいつ決めた)
父「すごい前ですね。3歳とか5歳とか多分。」
母「それに決めてただ突っ走って。」
父「突っ走ってきた感じです。いいとこ伸ばし教育っていう。」
母「そしたら必然的に他のところも伸びていくだろうみたいな。」
今では想いを形にできていますが、言葉を手に入れるまで、決して簡単な道のりではなかったといいます。
内田博仁著/荒垣秀雄天声人語賞受賞作品
『母は僕が二歳の時僕のような重度の疾患を持つタイプの子はおそらく一生話すことはないと宣告された。』
母 内田敦子さん
「大泣きして。そうなのかなと思ってたけど、どこかでまだ違うかもなとも思っていたので、完全にもう自閉症なんだと思った時にやっぱり泣いてしまいましたね。」
医師からは、知的障害を伴う重度自閉症だと告げられました。通い始めた療育施設で行われたのは手先の訓練。当時体を思うようにコントロールできなかった博仁さんには、耐え難い苦痛でした。
内田博仁著/闇の中から扉を探して
『僕も何度積み木をやらされたか分からない。僕は積み木が大嫌いになった。できないことを何度もやらされなかなか進歩しない子だと判断されることは本当に辛いのだ。』
先の見えない日々。そんな中、家族に希望をもたらす二つの転機が訪れます。
母 内田敦子さん
「2歳の時に音が出るおもちゃで、これは何の音かなって救急車の音とかが鳴って、救急車を指すと〈当たり!〉みたいになる機械(絵本)があって。それを私の手を使って、示して次々当てたんですね。それで、この子いろいろ実は分かってたのか、物の名前もいろんなことを思った以上に分かってたのかっていうときに、自分はすごい価値観が変わりましたね。」
一つ目の転機は「博仁さんが物事を理解している」とわかったことでした。
母 内田敦子さん
「物の名前をマッチしてるって思ってなかったんです。2歳ですし、知的障害という判断でしたので。私の子育て人生の中で一番衝撃的な瞬間だったので、あの日のことは一生忘れないかな。」
そこから家族の生活は一変しました。アメリカでの先進的な治療を受けてみたり、色々な療育方法を試したりしたといいます。
そして、目まぐるしく時がすぎるうちに6歳に。ついに、2つ目の転機が訪れました。専門家を訪ねた時に、おもむろにキーボードを差し出されたのです。
母 内田敦子さん
「名前打ってごらんみたいな感じで、バッて出したらいきなり指で〈うちだはくと〉って打ったんですよ。」
(Q6歳だと ローマ字とか習ってない)
「そうなんですよ。すごいそれにびっくりして。」
当時6歳。まだ小学校入学前です。
母 内田敦子さん
「(当時)ずっとパソコンの横で立ってて、ずっとその指動くの見てて、(キーボード)打つの見てて、配列とかも覚えたって言ってましたね。」
「キーボードに出会った」二つ目にして最大の転機でした。
母 内田敦子さん
「ずっとお母さんとかママとか言ってもらえなくて、ましてや好きなんて言ってもらえることないだろうと思ってたので、すごく嬉しかったですね。」
内田博仁著/限界なんてないんだ
『その瞬間僕は生まれて初めて言葉を発したのでした。』
『そこから僕の人生は変わりました。』
知能検査で“知性”測れず?
100人に2~3人ほどの割合でいるとされる自閉スペクトラム症。診断後に、自分の考えを伝えられるようになった博仁さんは稀なのでしょうか。博仁さんとも面会したことのある、明治大学の山登敬之教授に話を聞きました。
明治大学特任教授 精神科医 山登敬之氏
「一般に知能検査は、心理師の人が被験者に質問をして、あるいは課題を与えてやってもらう。クイズみたいな問題もあれば、この模様通りに積み木を組み合わせてくださいとか、この形を指示通りに書いてくださいとか。従来の知能検査の方法では、内田くんのようなタイプの自閉症の人の知性、知的な能力っていうのは測ることができないということ。」
博仁さんもこの知能検査の経験者。やはり上手くできなかったといいます。
内田博仁著/信じて!重度障がい者の学ぶ力
『僕はこの検査が何よりも苦手だった。何せ車はどれ?と聞かれ、そんなの分かるに決まってるって思ってるのに、頭では分かっているのに体が動かないのだ。まるで頭と体を繋ぐ重要なコードが切れてしまってるような感覚?指を動かしたくても指令が指に届かないのだ。そしてああわからないのねと判断されてしまう。車が分からないわけないじゃないか!』
明治大学特任教授 精神科医 山登敬之氏
「内田くんのような人は文字を書いて、文章を書いて自分の気持ちを伝えることができるようになったから、検査でわからない知性があるっていうことをわかったけど、普通チャンスが無ければそれすら見逃されてしまうってことがあると思うんです。」
日々の積み重ねで日常に変化が 夢にも一歩近づく
今日は幼少期から10年以上続けている、サイクリングの日。外出の際は、持っていると気持ちが落ち着くというハンカチと紐を握りしめています。
父 内田博道さん
「博ちゃ~ん、秋の景色に見とれて突っ込まないでね」
なぜサイクリングを始めたのでしょうか。
父 内田博道さん
「体力をつけて、なおかつ彼のいろんな判断能力を養いたいなと思ったのがきっかけですね。妻を育児から解放するというすごく大きいミッションがございまして。なので妻はとにかく好きなことをしてもらう土日は。」
「周りを見ながら景色を見てるんですね。多分彼なりに本当に四季の移ろいを肌で感じていて、表情が弾ける感じ。人混みではなくて自然の中で過ごすっていうことがすごく大好きなんで、家にはない表情を結構見せてくれたりしてます。」
もうひとつ10年以上続けているものが、漢詩を使った文字うちのトレーニング。母敦子さんが漢詩を読み上げるのを聞き、キーボードに打ち込みます。そして、現代語訳から内容を想像し感想を綴ります。
母 内田敦子さん
「今の漢詩で打ちながら感じたことある?」
母 内田敦子さん
「“春の優しさと柔らかさを感じます"そういうの感じたんだ、素敵な感想だね。」
こういった積み重ねにより、最近日常生活でもある変化が…幼少期から隣で練習してきたお母さんがいないと、キーボードは打てませんでしたが、最近学校でも打てるようになってきました。
また、少しずつ、自分でキーボードを持って打てるようにも。
さらに…
母 内田敦子さん
「パニックも減ってきてますので。コミュニケーションというかおしゃべりみたいのを最近は、『今どうだったの?』とか、『なんで今日急にパニックになったの?』とか。そういうのは理由を聞いたり最近できるようになってきましたね。」
日常でも自分の意思を伝えられるようになったことからか、パニックがほとんど起こらなくなりました。
母 内田敦子さん
「やっぱり彼の思っていることと間違って解釈してしまうと、ミスマッチしちゃうことが一番ストレスになると思いますので。」
今年の夏、雑誌スピンでのウェブ連載「自閉症のぼくは小説家」がスタート。夢に一歩近づきました。
内田博仁さん
「ぼくには伝えたいことが沢山あるのです。どんな子にも教育が必要だとぼくはいいたいんです。多くの人が学べる世の中になってほしいのです。」

そのために・・
内田博仁さん
「とにかくこうやって発信、表現し続けていると思います。」
