1989年11月9日、東西分裂の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊したきっかけは、広報担当のシャボウスキーが会見で「東西を自由に行き来していい」と口走った“しくじり発言”だった。このニュースに西ドイツ側は大熱狂し、その様子がテレビで東ドイツにも流れると、壁の検問所には「門を開けろ!」と叫ぶ数万人の市民が集結。事態は一気に暴動寸前のパニックへと発展した。
そんな歴史的大混乱の最中、政府の上層部はあまりにも無責任な行動をとっていた。旅券担当のラウターは1人で各所からの問い合わせをさばき、失言主のシャボウスキーは22時頃に部下からの“鬼電”でようやく応答するも「誰のミスだ!?」と責任転嫁。さらに、リーダーのクレンツに至っては「シャボウスキーに連絡しようとしたが家に帰ったと聞いて動揺した」と言い訳し、一切電話に出ず雲隠れ。この絶望的な「報・連・相」の欠如に、スタジオは驚きに包まれた。
現場の国境警備隊責任者・イェーガーは、熱狂する民衆に対し警備隊が銃を構える一触即発の状況と向き合っていた。必死に議員へ電話をかけるも、返ってきたのは「落ち着けよ、ビビってるのかい?」という、現場を無視した煽り文句だった。これにブチギレたイェーガーは「自分で見に来てみろ!!」と言い放ち、電話を切る。
会見から約5時間が経過した23時30分頃、ついにイェーガーは独断でゲートを開放。歴史が動いた瞬間だが、当時の心境についてイェーガーは「その時点ではもうどうでもよくなっていました。腹の底から怒りが込み上げていました」と証言している。この真実に「もうヤケじゃないですか!」とスタジオは爆笑に包まれた。
この記事の画像一覧

