東西ドイツ分裂の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊したきっかけは、広報担当のシャボウスキーが会見で資料をよく見ず「東西を自由に行き来していい」と誤った発言をしたことだった。この一報を受けた西ドイツ側は「歴史的瞬間だ」と大熱狂。その様子がテレビで東ドイツにも流れると、壁の検問所には「門を開けろ!」と叫ぶ数万人の群衆が集まり、現場は暴動寸前のパニックとなった。
政府内が大混乱に陥る中、旅券担当のラウターが1人で問い合わせ電話をさばき、失言したシャボウスキーも22時頃にようやく連絡がつくも「誰のミスだ!?」と責任転嫁。しかし、最も不可解な動きを見せていたのが、指導者のエゴン・クレンツだった。クレンツは事件の真っ只中、一切電話に出ず表にも出てこなかったのだ。
当時の記録によると、クレンツには何をやっていたか不明な「空白の2時間」があるという。後日、クレンツは「シャボウスキーに連絡しようとしたが、彼が家に帰ったと聞いて動揺した」と語っているが、実際に連絡を取り合った形跡はない。この言い訳に、平成ノブシコブシ・吉村崇は「嘘ついて本当は帰って寝てたのでは?」と考察した。
結局、現場責任者のイェーガーは独断でゲートを開放し、歴史が動くこととなった。カズレーザーは「一つのしくじりは国をも壊す。しくじった時に一丸となって壁を乗り越えられない団体は、いずれ消滅する」と、最悪の連携ミスが招いた教訓を語り、授業を締めくくった。


