
徳川家康ゆかりの刀剣や甲冑、そして最後の将軍・徳川慶喜の“意外な愛用品”まで…久能山東照宮博物館には、教科書では知ることのできないエピソードとともに、歴代将軍の素顔に迫る宝物が数多く収蔵されています。
家康の遺言が宿る名刀は?
静岡県静岡市にある久能山東照宮は、徳川家康をまつる全国東照宮の創祀です。家康を望み通りにこの地に埋葬し、創建されました。隣接する博物館には、家康ゆかりの品を中心に歴代の将軍に関係する貴重な宝物などがおよそ2000点収蔵されています。
まずは、家康の遺言が込められたともいうべき愛刀です。
住田紗里アナウンサー
「刀剣ですか?」
学芸員 宮城島由貴さん
「はい。こちらの資料名は『光世作』という名前にはなっているのですが、最近は『ソハヤノツルキ』という名前で知られている刀になります」
作者の光世は平安時代より筑後国を拠点にした刀工の一門で、こちらは鎌倉時代に作られたものです。
住田アナ
「模様は、かなりすっと真っすぐ」
宮城島さん
「直刃という、真っすぐな刃文が特徴。4センチ近くの幅が広いもの。見た目も強そう」
家康には帯刀して出陣すると必ず勝利したと伝わるなど、刀剣に関するエピソードがありますが…。
宮城島さん
「この刀に関してよく言われているのが、家康公が亡くなる2日前ほどに自分の側近に命じて、切れ味を確かめるために罪人を試し斬りさせたという話が残っています。切れ味を試させて、よく切れる刀と証明してから、この刀を枕元に置いたと言われています。太刀の切先は西を向けて」
この頃、豊臣家を滅ぼしたといえ反乱を企む者もいるかもしれず、それに睨みを利かせるため西に向けたと考えられます。
宮城島さん
「そして、この刀を『子孫長久の守り神とせよ』というような遺言を残されまして。特別なお話を持っている刀になるのです」
その遺言通り、家康の死後、久能山東照宮に奉納され、現在までご神体と同じように扱い、大切にされています。
続いて、祖父・家康のために奉納した三代将軍・家光に関する刀剣です。
住田アナ
「これはまた別の刀剣ですね」
宮城島さん
「3代将軍の家光公が、実際にお参りに来た際に奉納した刀でして『雲次』という刀工の作品になります」
雲次の一門は、「雲」の一文字を用いていることから、雲類(うんるい)とも言われ、上杉謙信や伊達政宗、家康をも魅了したと言われる備前国、名刀工の一派です。
住田アナ
「すごく細くてシャープな印象を受けますね」
宮城島さん
「産地によって色々特徴があるのですが、よく言われるのは京都の山城国、都に近いところで作っている刀工の作品に雰囲気が似ていると。貴族とかが好きそうな上品な姿をしている」
住田アナ
「家光公が持っていたのですね」
宮城島さん
「非常にお祖父さんである家康公への尊敬の念が高い方なので、わざわざこちらにお参りに来て納めたということで、この刀は結構お気に入りの一つだったのかなと思っています」
家康が愛した火縄銃
お次は、大阪の陣にも持参した?家康愛用の「火縄銃」です。
宮城島さん
「家康公が使用されていた火縄銃になります」
住田アナ
「家康は、これは実際に戦いで使用したのですか?」
宮城島さん
「この火縄銃が作られたのが、慶長年間なので、関ヶ原の戦いよりも後なんです。時期的に大坂の陣の時には既に持っていたと思うので、戦場に出ていた可能性も0ではないかなと思います」
住田アナ
「家康って鉄砲の腕はどうだったのですか?」
宮城島さん
「結構上手だったと言われていて。駿府城にお住まいの時に100メートル先の獲物を撃ったとか、そういう話も残っているほど、かなり腕前はよかったようですね」
鉄砲を使った戦といえば、織田信長と一緒に武田軍と争った長篠の戦いが知られていますが、この時信長が敵をおびき出し武田軍を破った戦法は25年ほど後の関ヶ原の戦いでも参考にしたと言われていて、鉄砲は戦には欠かせない武器となっていました。
宮城島さん
「この火縄銃を作ったのが清堯という職人で、家康公・秀忠公に仕えていた。鉄砲を作っていた年間は短くて、このあと刀鍛冶になって刀をたくさん作っている」
住田アナ
「刀鍛冶になったっていうことは、家康が平和を望んでいたから、護身用の刀のほうが需要が上がったのかなと思いました」
吉祥の甲冑“歯朶具足”
次は、歴代将軍が引き継いだ徳川家伝統の「甲冑(かっちゅう)」です。
住田アナ
「うわっ!漆黒の甲冑」
宮城島さん
「こちらは10代将軍の徳川家治公の『写形歯朶(しだ)具足』というものになります。もとのデザインは初代の家康公の甲冑からとっている」
家康の甲冑といえば、黄金に輝く「金陀美具足」がドラマなどでも知られていますが、これは若き日に着用したものです。
宮城島さん
「家康公が着用していた歯朶具足は関ヶ原の戦いで着用したものと言われているものでして、その後大坂の陣にも持っていったということで、徳川家にとっては吉祥の具足でとても大切にされていました。歴代将軍も家康公にあやかろうということで、自分が将軍に就任した時に同じ形のものを作るということで作られたものの1領になります」
シダの部分は、長寿や子孫繁栄を意味し、縁起が良いものとして職人が付けたと考えられています。
最後の将軍の“ハイカラ”な素顔
久能山東照宮博物館には、歴代将軍すべての甲冑が納められ、幕末に就任した家茂、慶喜のものも展示されています。
住田アナ
「スゴい!龍がついていますよ!でも、さっき見たものと随分、色合いも兜(かぶと)も違いますよね」
こちらは、家茂が10代の頃、紀州藩の藩主だった時に作られた甲冑で、同じ紀州の八代将軍・吉宗にあやかっています。
住田アナ
「兜の特徴は何ですか?」
宮城島さん
「これは紀州の八代将軍の徳川吉宗公の持っていた甲冑をまねて作ったと言われているので、そこからデザインをとっていると言われています」
住田アナ
「こちらの慶喜公のもの、なぜ花柄や龍がついているのですか?」
宮城島さん
「この作品は一橋家を相続した時に作ったもの。慶喜公の父・徳川斉昭(烈公)の強い影響が表れていると考えています」
そんな父の影響もあってか、明治維新後、慶喜は色々な趣味をたしなみます。
住田アナ
「慶喜公って結構現代風なイメージがありますけど…」
宮城島さん
「そうですね。すごく新しい物好きでハイカラな方だったと言われております。その慶喜公のカメラも展示しております」
久能山東照宮博物館では最後の将軍・徳川慶喜が愛用したカメラが展示されています。もちろん当時としては、カメラ自体が珍しい時代に海外製の特注品だったそうです。
(2026年1月26日放送分より)
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