
その真実を知ってもなお、救いの手を差し伸べることなく、私たちは顔を背け続けるのか?
突然、戦禍に巻き込まれ、そして戦後、日本という国に棄てられたまま、今も彷徨い続ける同胞。一人残らず消えてしまう日が、刻一刻と近づいている。まるで「無かったこと」にされる未来を待っているかのように。4年に渡る取材は、残留日本人一人一人が抱えてきた苦難の人生の、ほんの一端を垣間見たに過ぎない。
(テレビ朝日報道局 浦本勳 松本健吾 那須雅人)
私は棄てられた日本人
フィリピン南部に位置するダバオの郊外に、カンバ・ロサリナさんは暮らしていた。父親は日本人。母親はフィリピン人。長年、日本国籍の取得を願い続けているが、叶わぬままだ。

写真:戦前、多くの日本人がフィリピンに移り住んだ
フィリピンには戦前、多くの日本人が移り住み、麻の栽培などに携わっていた。その数、最盛期には3万人。現地のフィリピン人と結婚し家族を持った人も多くいた。
ところが日米の開戦でその暮らしは一変。日本人移民は日本軍への戦争協力を余儀なくされ、戦死したり、アメリカ軍の捕虜となって日本へ強制送還されるなど、多くの人が家族のもとに戻ってくることが出来なかった。
戦争が終わっても、日本人移民の子供たちの苦難は続く。迫害から逃れるため、日本人であることを隠し、生きていくことに。さらに、当時のフィリピンでは子供は父親の国籍に属すると定められていたため、フィリピン人でも日本人でもない「無国籍」となってしまったのだ。

写真:「自分が日本人であると認めてほしい」カンバ・ロサリナさん)
カンバ・ロサリナさんもその一人。長い沈黙の末、人生の終盤にしてようやく声をあげることが。
「自分が日本人であることを認めてほしい」
ロサリナさんは父親と交わした言葉を覚えていた。
「父は『君は何も知らないかもしれないけど、いつか日本に行けるよ』と言いました。それで私は父に『ありがとう』と答えました」。
ロサリナさんの洗礼の記録には「父親は日本人」、名前は「カンバ・リタ」と記されている。さらに、父親と同じ名前で鳥取県出身の「神庭利太」という人物が、戦前フィリピンに渡った記録が残されていることもわかった。
これらを証拠として日本の裁判所に国籍回復の申請を行ったものの、申し立ては却下されてしまった。戦後80年が経っても司法の高い壁が立ちはだかる。

写真:ロサリナさんの洗礼の記録には父は日本人と記されている
(カンバ・ロサリナさん)
「Q 日本にいる親戚に会いたいですか?」
「はい、神様が許してくれるなら会いたいです」
神庭利太を探しに
鳥取県出身の「神庭利太」とロサリナさんの父「カンバ・リタ」は同一人物なのか?私たちは島根県で調査を行った。すると、神庭利太さんを知る人物を発見。フィリピンで捕虜となった利太さんは戦後、日本に強制送還され、1人静かに暮らし、1983年に亡くなったという。その後も取材を続けると、晩年、地元の老人会で旅行に行った時の写真を発見。さらに、利太さんの甥と会うこともできた。
利太さんの甥
「利太さんは優しい人だった。この出会いが利太さんの娘の日本国籍回復につながれば」

写真:発見した神庭利太さんの写真 ロサリナさんと耳の特徴が似ている
日本人の父親と離れ離れになりフィリピンに残った2世は、判明しているだけで3815人にのぼる。皆、80代から90代。私たちは4年に渡り、日本国籍の回復を願い続ける人たちを取材、放送を続けた。すると大きな進展が。
ついに国が動いた
石破総理大臣(当時)
「私もテレビで見させていただきました。こういう問題がありますよということを知らない方々が大勢おられるわけで、これを日本国民の負担において渡航の費用、あるいは親族探し、そういうことをすることは十分、理由のあることだと思う」
当時の石破総理大臣は、政府として日本国籍の取得や、一時帰国を支援する考えを表明した。
そして、2025年8月、日本政府による残留2世の訪日事業が実現。タケイ・ホセさんが来日を果たし親族と対面を果たした。
その事業の2人目に、カンバ・ロサリナさんが選ばれた。私たちは鳥取の取材で得た神庭利太さんの写真を届けに、再びロサリナさんの元へ。95歳になったロサリナさんは、かなり衰弱し、認知機能も衰えていた。しかし、利太さんの顔を指さし、じっと見つめ続けた。

写真:父・神庭利太さんの写真を初めてみるロサリナさん
叶えた父親との約束
2026年1月。車いすを押され、ロサリナさんは日本の地を踏んだ。初めて見る雪が舞い、積もる鳥取へ。父・利太さんの墓石に手を添えた。

写真:初来日後、父親の墓参りをするロサリナさん
利太さんを知る人たちが集まり、ロサリナさんを歓迎。涙ぐむ人もいた。
利太さんを知る清水久美子さん
「顔を見ればやっぱり利太さんの面影がある。とにかく優しい人だった」

写真:父親を知る人たちと対面
残りの人生をかけて
来日を果たすことができたロサリナさん。しかし、日本国籍が回復できたわけではない。その半年前に来日し、親族との対面も果たすことができたタケイ・ホセさんは国籍回復の申し立てが却下された。
長年、国籍回復の支援を行う青木弁護士は立法的な救済を訴える。
青木秀茂弁護士
「以前と比べると外務大臣も総理大臣もこの問題に理解を示すようになってきた。しかし現実には思うように国籍回復が出来ていない。立法的な救済が必要です」
戦後81年。確認されている3815人の残留2世は、現在、約120人まで減っている。
日本の地を踏むという父親との約束を叶えたカンバ・ロサリナさん。「もう一つの希望」、日本国籍の回復へ。残された時間はあまりに少ない。

写真:名乗り出てすでに20年以上の月日が経った
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