高橋成美(34)「(木原)龍一じゃなかったら正直もっと喜べたのに…」「何のためにご飯を食べるんだろう?」「この先の人生、消化していくだけ」独占取材で語った木原龍一とのペア時代と“葛藤の人生”

ABEMAエンタメ
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【映像】高橋成美と木原龍一 ペア結成時20歳のプライベートカット
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 ミラノ・コルティナ冬季五輪のフィギュアスケート・ペア解説で注目を浴びた元フィギュアスケーターの高橋成美(34)。「りくりゅうペア」の木原龍一とのペア結成と別れなど、20歳以降に直面した数々の葛藤を「過去の自分に語りかける形式」で打ち明けてくれた。

【映像】高橋成美と木原龍一 ペア結成時20歳のプライベートカット

「Re:MAKE 〜拝啓、あの頃の君へ〜」

━━20歳の私へ  

「カナダに渡ってマーヴィン・トラン選手と組んで5年目の2012年、世界選手権で銅メダルを獲得することができた。先生たちと一緒に『世界一に向けて頑張ろう』。そう言っていた矢先、“あの出来事”があった。リフトからの転落。左肩関節脱臼、右膝膝蓋骨の分離。選手生命を脅かす大きな怪我をしてしまった。何があったんだろうね、あの時。『あの瞬間さえなければ…』『あの日、練習にさえ行かなければ…』『あそこで水を一杯飲んでいたら、どうなっていたんだろう…』何度も何度も考えた。すごくショックだったし、『もうメダルも獲ったし、満足かな。これ以上上達できないんだったら、またマーヴィンと一緒に滑るのが申し訳ない』そう思って、一度ここでスケートを辞めよう、そう決めた」  

 マーヴィン選手とのペアを解消し、スケートをやめようと考えていた成美に転機が訪れた。2014年のソチオリンピックからフィギュアの団体戦が始まるにあたり、日本スケート連盟がペアの強化に乗り出し、成美に声がかかった。  

「ここで登場した救世主が木原龍一。木原龍一は当時大学3年生。来年には就職活動を控えていて、フィギュアスケートを引退しようと考えていたスケートの上手なシングルスケーター。龍一とはジュニアの時から結構気が合って、試合後のエキシビションの前に、ちょっと周りに煽られて『ペアっぽいことやってみなよ。身長差もちょうど良いじゃん』なんて言われて、ふざけてやっていたんだけど、あの時、『え、龍一めっちゃペア上手くない? すごいしっくりくるんだけど』。冗談混じりに言った言葉、あれは心からの言葉」

「ソチオリンピックのちょっと前にふと気になって龍一に尋ねた。『ペアやってて良かった? そんなにペアやりたかった?』。そしたら龍一はこう言った。『ペアがやりたかったとかじゃない。なるちゃんとだからペアをやって、一緒にオリンピック目指したいと思った。なるちゃんとじゃなきゃ俺はやってなかったよ』。そう言ってくれた。心の中では『わ、出た。クサイ台詞吐くなー、相変わらず龍一は』と思いつつ、実はすごくうれしかった。だから不安も迷いも一切捨てて、残された数カ月、ソチオリンピックに向けて本当に集中して取り組んだ」  

 ソチ五輪はショートプログラム18位で予選敗退となったが、叶えることができたオリンピックの夢。その翌年、木原とのペアを解消した。  

「ペアを解消した後は、お互いに他のペアパートナーと組んで、ライバルになって迎えた平昌オリンピックの選考会。まさかまさか、龍一たちとのペアとほぼ一騎打ちみたいな感じになった。そこで負けちゃって。なんだかすごく嫌だった。『なんで(ライバルが)龍一なの?』って。龍一じゃなかったら、この負けた気持ちは乗り越えられたかもしれないのに。龍一じゃなかったら勝てたかもしれないのに。龍一がいなかったら、平昌オリンピックで4年前の雪辱も果たせたかもしれないのに。なんでよりによって龍一が前に立っているんだろう。そんな気持ちも湧いた。ここから消えてしまいたいような虚無感に襲われてしまった」

━━26歳の私へ  

「2018年、平昌オリンピックで選考漏れして、引退は決めてたんだけど、やっぱりテレビをつけても平昌オリンピックの話題ばかりで、この頃のハートには刺激が強すぎた。外に出て誰かと話をするのも怖い。だから、1カ月ぐらいは家にいて自分が知っているドラマとか映画を何回も何回もリピートして見て。ご飯を食べるのだって、勉強するのだって、これまではスケートのためにやってきたから。急に自分からスケートがなくなった時に『何のためにご飯を食べるんだろう』『あれ、何のために体のケアをするんだっけ?』って。全部が分からない、そんな状況だった。この時は『この先の人生って、消化していくだけなんだろうな』『自分と一緒に頑張っていた人たちは、みんなどんどん上手になっていったりするのに。自分はここでゲームオーバーなのかな』と。自暴自棄になっていたかもしれない」  

 家で多くの時間を過ごしていたが、元々決まっていた大学復学がきっかけで外出することが増え、前を向けるようになった。その後は解説者として「りくりゅうペア」を見てきた。  

「最初は、今のように心から応援できなかった。元パートナーの龍一だからってだけじゃなくて、マーヴィン・トランと獲得した史上初の世界選手権銅メダルの記録を結成3年目くらいで『りくりゅうペア』が銀メダルで塗り替えてしまったから。その時も懸命に解説したけど『わぁ、やっぱり悔しいな』って。ペアの歴史がどんどん塗り替えられていくことはすごいことだって分かっている。だけど、やっぱり自分の記録が塗り替えられて、しかもそれが自分と滑っていたあの龍一かと思うと……龍一じゃなかったら正直もっと喜べたのに、みたいな気持ちは湧いちゃった。だけど、そんな自分もだいぶ嫌だなって感じたし、それを乗り越えさせてくれたのは、自分の気持ちプラス、『りくりゅう』のおかげだった。『りくりゅうペア』は、当時の自分の憧れのスケートをして、そこに単純に感動している自分がいて。気がついたら、元パートナーとか自分の実績とか、そういうのを通り越して、『一緒に応援していこう』という気持ちになっていた」  

━━かつての自分に届ける今の私

「今の私は、松竹芸能に所属してタレントとしてバラエティ番組で爆走している。JOC(日本オリンピック委員会)に入って最年少理事を務めて、オリンピックの解説を担当させてもらって、ペア競技を通してみんなに感動を伝えることができた」  

━━未来の私へ

「今やっていることを全部全部怠けずに一生懸命やり尽くして。そして日本を、みんなで一緒にペア大国にして競技を盛り上げて。未来の私は、スポーツ庁長官になって日本、そして世界中のスポーツ文化を変える。笑顔で人生が豊かになるようなスポーツの良さを伝えていく」

(『ABEMA NEWS』より)
 

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