「『おい喧嘩しようぜ』って。急に殴られたり蹴られたり」
モリ夫は、1994年、21歳でモリマンを結成後、またたく間に『ボキャブラ天国』でブレイク。企画に体当たりで向き合う女性芸人として多くのバラエティーから引っ張りだこだった。
━━当時はどのくらい忙しかったんですか?
モリ夫「『いつ寝ればいいの?』みたいなスケジュールでした。一睡もしないで、富士山に登らされたりとか。どちらかと言えば、体張る系の仕事が多かったので体力的にきつかったですね。当時は『これやりたくない』って言ったら『おー、偉くなったの』って社員に言われて断るなんて選択肢はなかった」
━━代名詞となっているのは「ガキ使」での「山崎VSモリマン」という真剣勝負企画はどうでしたか?
モリ夫「あれは大好きでした。絶対に(最後は私が)勝つんで。しかもあれガチなんで、私も月亭邦正さんも格闘素人で、“抜く”とかできないんですよ。本気でやらないと逆に戦えない。なんであれ、イメージが皆さんに残ってくれているのが一番うれしい」
一方、喧嘩キャラが定着したため、私生活でのトラブルが増えたという。
モリ夫「『おい喧嘩しようぜ』って。急に殴られたり蹴られたりとか。なんでこんなことされてるんだろうって。他にも、例えば、男性2人とすれ違った時に1人が私に気づいて『あれモリマンじゃね?』ってゴニョゴニョ言って。すごく離れてから『モリマン!』って叫ばれるんですよ。それがもう腹立つんですよね。いちいち戻って『呼んだけど何?』ってやっていました。イヤな人って言われようがどうでもよかったです。どちらかと言えば嫌われキャラだったので」
━━テレビの仕事は、楽しかったですか?
モリ夫「楽しくなかったですね。元々、お笑いとか全然知らなかったんですよ。テレビを中学2年生から見なくなったんですよね。『ボキャブラ』でドーンと行ってみたいな感じで『ガキの使い』も出させていただいたんですけど、ちょっとメンタル的にも体力的にも限界がきていまして。『地元に帰りたいです』と」
休まらない日々に心が病んでいき、東京での生活を3年半で切り上げ、25歳で地元の北海道に戻った。
モリ夫「最初は、本当にボロ屋の狭い家に住んでいました。当時は『地震がきたら死んでもいいや』といつも思っていて。メンタルは強い方だと思っていたけどそうでもなかった。でも、こっち帰ってしばらくしてから、今いくよ・くるよのくるよ姉さんに『顔変わったな』『優しい顔になったわ』と。ほんこんさんとかにも『お前顔変わったな』って。実の母親にも言われました」
━━札幌で、芸人の仕事は?
モリ夫「本当に仕事がなくて、当時は貯金を食いつぶしていました。だから『売れなくなった芸能人=スナックだな』と思って。周りに飲み屋さんはいっぱいあるんですけど、カラオケをやっているお店が意外となかったので。(スナックを)やってよかったです」
現在、店に立つのは週に2日ほど。そこには、50代を迎えた人生の選択があった。
モリ夫「一昨年、小沢健二さんの『LIFE』ってアルバムの30周年武道館ライブがあったけど仕事で行けなかったんです。そしたら、行ってきた人がみんな『良かった』って言っていて。何やってんだろう私って。そこから遊ぶと決めたんですよ。私が出勤しないことで売り上げが落ちているけど、どうにか食べていけるから、まぁ、いいかと思って」
━━またテレビで活躍したいという気持ちはありますか?
モリ夫「全然ないです。ちょっと出てるぐらいがいい。あの時代の忙しさは本当にイヤなんで」
(『ABEMA NEWS』より)
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