
前回、戦国大名としての徳川家康の素顔や伝説を、久能山東照宮博物館の貴重な刀剣や武具を通して紹介しましたが…。今回は家康が使っていたという日用品を中心に、その人物像に迫ります。
神となった家康、その顔は本物なのか
まずは、誰もが目にしたことのある家康の肖像画の謎です。
住田紗里アナウンサー
「これが家康というイメージです。教科書に出てくる。家康公といえばの絵だと思います」
学芸員 宮城島由貴さん
「こちらはですね、名前としては東照大権現像という神様になった家康公のお姿を描いたものになっているんです」
住田アナ
「えっ?じゃあこれ家康の顔ってこんな顔じゃないんですか?」
宮城島さん
「実はそうではないというふうに言われていまして、あくまで、これは神様となった家康公を拝むため描かれたものなんです」
1616年に亡くなった家康は、ここ久能山に埋葬され、翌年には後水尾天皇から東照大権現の神号を与えられ、神になりました。信仰の対象となり、数々の絵師がその姿を描いて各地の寺社などに奉納。そのため、色んな家康像が今に伝わっているんです。
住田アナ
「家康ご自身の顔じゃなくて、神様となった家康が私たちのイメージ」
宮城島さん
「そうですね。多少デフォルメというか、目が大きかったり、耳が大きかったり。生前はもう少し違うお顔をしていたと言うふうにも言われていますね。今は展示してないですけど、実際の生前の63歳ぐらいの家康公を描いたと言われている肖像画がこちらに残っていまして、そちらが実際のお顔に近いと言われております」
その肖像画がこの人!征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開いたころの姿です。
住田アナ
「顔がシュッとしていますね」
宮城島さん
「そんなに太っていなかったというふうに言われていまして、本当に最晩年だけふくよかな体型に。イメージとだいぶ違うようなお顔立ちになります」
愛用品に残る家康の日常
続いて、家康の体格が判明するかもしれない愛用の馬具です。
住田アナ
「これは?」
宮城島さん
「鞍になります」
住田アナ
「何か小さいような感じがするんですけど、乗る部分の幅が狭いですよね」
宮城島さん
「どうしても馬というと、今私たちはサラブレッドのイメージがあると思うんですけども、当時の日本の馬は小柄な馬がたくさんいた。そういった馬に使っていたものは大体このぐらいのサイズになる。それでもこれは少し大きいので、家康公が乗っていた馬は、その中でも大きめな馬に乗られていたのではないかと思います」
こちらは大御所になってから使用した馬具で、戦では使わず、タカ狩りへ行く時や視察などに用いていたと考えられます。
住田アナ
「家康自身の体格ってどうだったんですか?」
宮城島さん
「およそ身長が160センチ程度と言われておりますので、昔の日本人の平均身長。今の私たちより全然小さいので、家康公の身長、決して高いわけでも低いわけでもなく、だいたい中ぐらい。ただ結構、筋肉質だった」
住田アナ
「トレーニングもした人なんですか?」
宮城島さん
「健康管理には非常に気を使っていた方ですので、されていたと思います」
住田アナ
「肉体的な努力も惜しんでなかったってことなんですね」
晩年、老眼に悩む?
そのおかげか、75歳まで活躍をした家康は晩年、老眼にもなったようで…。
住田アナ
「これ何ですか?」
宮城島さん
「これ目器というふうに書いてあるんですけど、要するに眼鏡なんです」
住田アナ
「あの時代って眼鏡あったんですか?」
宮城島さん
「そうなんです」
住田アナ
「家康は眼鏡が必要だったんですか?」
宮城島さん
「これを使っていたのは晩年なので、視力が悪かったというよりは、お年を召していたってことで、老眼鏡的な感じではないかと思います」
住田アナ
「でも、ここだけってことですか?」
宮城島さん
「手で持ってかかげていたか、少し穴が開いているので、ここに棒などをさして使っていたのではないかと考えております」
べっこう製の家康のメガネ。海外からの贈り物か、日本の職人が作ったのかは定かではありません…。
住田アナ
「家康が手紙を読んだり、何か見たりする時に使っていた?」
宮城島さん
「そうですね。晩年の家康公、出版事業を行っていますので、本をたくさん読まれていたんです。こちらに書棚という資料があるぐらいなので、本をたくさん読むのにこういったものを使ってたくさん読まれていたんだと思います」
住田アナ
「なんだか本当に一気に自分たちの生活に家康が近付いた感じがしました」
すべて自ら書くことも
読むだけではなく、書くことに必要な愛用品もあります。
住田アナ
「えっ!私たち小学生の時に見たものに似ているんですけど、これは何でしょうか?」
宮城島さん
「こちらはすずり箱になります」
住田アナ
「あんまり今のものとベースの形も変わらないんですね」
宮城島さん
「そうですね。今は展示していないんですけども、一緒に筆とかも入っていました」
住田アナ
「いつごろに使っていたんですか?」
宮城島さん
「大御所として駿府城でお暮らしになっているころに使っているものです」
住田アナ
「やっぱりご自身で何か書く時ですよね?」
宮城島さん
「そうです。手紙というと右筆という、手紙を書く(専門の)人もいますけど、家康公は身近な方への手紙は、すべて自分で書かれているものなんかも結構残っていますので」
住田アナ
「墨をすったような跡が残っているのも、家康が力を入れて墨をすった跡ってことですね」
日本最古の鉛筆
そんなすずり箱から発見されたのが、日本で最古ともされる家康が利用した鉛筆です。
住田アナ
「えっ!鉛筆がありますね。今と形がかなり似ていますよね」
宮城島さん
「構造は全く一緒です」
この鉛筆の入手経路は分かっていませんが、以前の調査で芯はスペイン領だったメキシコ産であることが判明しました。当時、スペインとの交易があったので、そこから何らかの理由で家康が入手したと推測されています。
住田アナ
「家康公、実際これで手紙を書いたりしていたんですか?」
宮城島さん
「手紙を書いていた可能性は低いかとは思います。和紙に鉛筆で字ってとても書きにくいじゃないですか。ただ、先程見ていただいたすずり箱の中に筆と一緒にしまっていたものなので、筆記用具として認識はあったことが分かっています」
スペインから贈られた時計
そんな生活感あふれる家康が愛用した日用品の数々。お次はスペインからのお礼の品、世界的にも貴重な置き時計です。
住田アナ
「ビッグベンのミニチュア版みたいなものが。時計ですか?」
宮城島さん
「そうです。こちら洋時計という資料でして、日本に現存している最古の機械式の時計になっています」
住田アナ
「どういった経緯で家康公の手元に渡ってきたんですか?」
宮城島さん
「海難救助のお礼としてもらっているもの。スペイン船籍の船が今の千葉県の御宿というところで座礁する事件があって、地元の漁師さんや海女さんが救助するんですね」
その知らせを聞いた家康は、遭難者を三浦按針ことウイリアム・アダムスが作った西洋船でスペインに送り届けるよう命じます。
宮城島さん
「本国に無事に助かった乗組員をお返ししたということで、当時のスペイン国王がお礼の品をお贈りするんですけども、そのうちの一つがこの洋時計になっています」
400年以上前の洋時計が、ここまできれいに残っているのは世界的にも珍しいらしく…。
宮城島さん
「ヨーロッパで400年以上前の時計というのは、外側は(400年前の時期に)作られている時計は残っている。これは中の機械部分まで製作当初のパーツが9割ほど残っているんです。そういった状態で残っていることは、まずヨーロッパではあり得ないと言われていますので、非常に珍しいものになっています」
洋時計にはアラーム機能も
家康はこの洋時計を大変、気に入っていたそうなんですが。
住田アナ
「家康は我々が今見ているような時計の使い方をしていたんですか?」
宮城島さん
「残念ながら、ちょっとそういった使い方ができていなかったと思うんです。今見ると、私たち全くこの時計に違和感を感じないんですが、当時の日本というのは不定時法といって、日の出日の入りの時間で時刻が変わるような、そういう感覚で生きていたので、時間が季節ごとに変わっちゃう。なので、時計として使うというよりは、音を鳴らして楽しんでいらっしゃったのではないかと考えています」
音が鳴る…実はこの洋時計にはアラーム機能もついているんです。
宮城島さん
「自分の好きな時間に鳴らすことができたと言われていまして、分解調査を近年行った時に、アラーム部分の部品が摩耗していたということが分かっていますので、自由に鳴らせるところをたくさん回して、家康公は音を楽しまれていたのではないかと考えています」
住田アナ
「これってどんな音が鳴ったんですか?」
宮城島さん
「実際に過去に調査を行った時に音を鳴らしたものもあるので、こちらデータのものを聞けるようになっている」
住田アナ
「ちょっと鈴虫の音色大きい版みたいな」
宮城島さん
「思ったより結構高い音がするのかなと」
(2026年2月26日放送分より)
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