
2度の震度7が襲った熊本地震。あの日から10年が経った被災地では「歴史」をどうつないでいくのか、そして「文化」をどう守っていくのか、課題と葛藤があります。「復興の現在地」を取材しました。
「歴史」どうつなぐ?
傷ついたまちが辿ってきた、この10年。熊本城では今も、修復作業が続いています。
中村石材工業 北園和憲さん(48)
「(Q.10年経ち、きれいになった)石垣はきれいになっていると思います、建物も」
2021年に蘇った天守閣。ただ城全体を見てみると、石垣の修復が済んだ箇所はわずか7%にとどまっています。
北園さん
「初めて見た時は、すごいなというのはあった。一日で一石という日もあったので。その時はちょっと大変やなと」
崩れた石を地震が起きる前とまったく同じ場所に戻す。現場で作業にあたる石工には、高度な技術が求められますが…。
北園さん
「石垣自体を全部元の状態に戻すとなると、すごく時間がかかる。今後、若手がどんどんやっていくような形になると思う」
全体の完成予定は2052年度。歴史をつなぐための、技術の継承が進んでいました。
熊本城総合事務所 復旧整備課
上村祐一課長
「研修会場の石垣」
地域全体で、石垣の復旧に携わる若者を育てています。
上村課長
「人材の育成が大きな課題。本物の石垣を実際に積んでもらい、若手が経験や知識を得る場を設けている」
石工歴 約3年 田中伸幸さん(25)
「自分もどんどん年をとっていって、体も動かなくなってきつくなってくると思うので、より早い復旧を目指して頑張りたい」
北園さん
「早く一人前になって。僕を帰らせてください。頑張ってください」
「文化」どう守る?奇跡の温泉
地獄温泉「青風荘.」 河津誠社長(63)
「すずめの湯です。源泉ですよ」
「(Q.ここでわいている?)ブクブク言ってるでしょ」
「(Q.底からわいているんですね?)そうです」
ここには、200年続く温泉旅館を守る人がいました。地獄温泉「青風荘.」の河津社長です。
「(Q.この10年、振り返ってみていかがでしたか?)大変なだけです、この10年。とにかく大変、とにかくギリギリみたいな感じ」
南阿蘇の地で、「湯治場」として人びとの心身を癒やしてきた存在が…。
「こちらから土石流がやってきた。これが今の地獄温泉の姿。ほぼ全面的にやられている。ここでちぎれている水道が…。多分期待できない…。正面がレストランと露天風呂。僕らがつないできたすべてが引きちぎられた」(2016年6月)
ただ、河津さんが見たのは、絶望だけではありませんでした。
「ここにお湯があります。わいてます。分かりますか?音」(2016年6月)
地面にはまだ「源泉」が息づいていたのです。
「(Q.生きているかのような…)これを見せつけられるわけですよ。地震の直後もこうやってわいていた。これさえあればと思うし、『クヨクヨしてんじゃねーよ』って言っているように聞こえる」(2016年6月)
自身も避難所や仮設住宅での生活を経験し、3年後には日帰り温泉の再開を果たします。2020年には旅館も復活させるに至りましたが…。
「(Q.兄弟の存在は?)協力して借金を返す。それを返さないと。負担の大きな借金なので、なかなか厳しい」
実は、3人の兄弟で支えている温泉旅館。復旧にかかった費用、3億円以上を今後返済していかなくてはなりません。
「もう少し高い売り上げを目指してたが、コロナでダメに。ギリギリの線でやっている。10年経てば復興していると思っていた。周りの辞めていく人たちや旅館を売っていく人たちや、空いた旅館を大きな資本がバンバン買っていくのを見ると、全然復興していないと思う」
地震が奪ったのは、形あるものだけではなかったのです。
「長く続き歴史と伝統を背負うところがなくなると、文化がなくなる。文化が根こそぎなくなる。だから抵抗する、負けたくない」
「(Q.頑張れる理由は?)ここが痛い人、苦しい人の場所。それを任されているから役割があると思うから」
(2026年4月16日放送分より)
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