
大岡越前、坂本龍馬、遠山の金さんなど江戸のヒーローは東京駅を中心に活躍していました。今も身近な場所に残る歴史の舞台を専門家とともに巡ります。
大岡越前ゆかりの地へ 有楽町に残る奉行所の記憶
東京駅周辺を歩くと、誰もが知る江戸のヒーローたちの足跡が見えてきます。坂本龍馬や大岡越前、遠山の金さんまで、この町には歴史の舞台となった場所が数多く残されています。今回は、有楽町から日本橋まで、知られざる江戸の面影をたどります。
案内してくれるのは、大河ドラマの時代考証などで知られる歴史のスペシャリスト・歴史作家の山村竜也さんです。
山村さん
「東京駅の周辺は、幕府の旗本屋敷や大名屋敷、そういったものがたくさん並んでいる場所です。きょうは有楽町の方から日本橋のほうまで歩いてみたいと思います」
まずは有楽町駅へ向かいます。中央口前広場には、あの大岡越前が活躍した南町奉行所がありました。
「南町奉行所跡。奉行所というのは、今でいう東京都庁や警視庁(裁判所なども)、そういった機能を全部含んだ役所です」
佐藤ちひろアナウンサー
「大岡越前はどんなことを実際に行っていたのですか?」
山村さん
「有名なのが目安箱という制度ですね。将軍の吉宗と大岡越前がタッグを組んで目安箱を設置しました」
大岡は南町奉行として八代将軍・徳川吉宗とともに、庶民からの意見を受け付ける、当時としては画期的な目安箱を設置するなど、享保の改革を実施しました。
山村さん
「目安箱に入ってきた訴えを、吉宗は一通一通目を通して、それを判断していったのです」
佐藤アナ
「寄り添う方だったのですね」
山村さん
「本当は役所なので簡単に握り潰しちゃうとかもありそうだけれども。将軍吉宗と大岡越前はそういったことをせず、庶民の声にいちいち耳を傾けて、いい政治をやっていた時代でした」
佐藤アナ
「町のヒーローだったのですね」
八重洲に残る幕末ロマン
次に2人が向かったのは、東京駅近くの八重洲方面です。ここは幕末の英雄・坂本龍馬ゆかりの場所があるのだとか。
山村さん
「千葉定吉(さだきち)道場跡とあります。これは坂本龍馬が若いころ、土佐から出てきて剣術修業した道場です」
佐藤アナ
「坂本龍馬がここで学んでいたのですか!」
龍馬は当時、一流と言われた剣術・北辰一刀流をここで学んでいたのです。
山村さん
「龍馬は剣術が若いころから得意で、最初は剣術をもって世に出た。それから、だんだんといろいろな政治的なことを始めた。そして、この道場で龍馬はある劇的な出会いをします。千葉定吉の娘の千葉さなという女性。このさなに龍馬は恋をした」
佐藤アナ
「青春ですね」
山村さん
「そうですね。さなも龍馬に恋をした。相思相愛の仲となって。そういうロマンスが繰り広げられた場所です」
しかし、2人は幕末の動乱もあり破局してしまいます。
佐藤アナ
「両思いだったのに悲しいですね」
山村さん
「結納みたいなことまで、実は交わしていたのです」
佐藤アナ
「そこまでだったのに時代のせいで…」
山村さん
「ここを離れて幕末の動乱に龍馬は飛び込んでいかないとならなかった。2人にとっては悲しい出来事もありました」
龍馬の甘酸っぱい思い出が詰まった場所を後にして、2人が向かったのは、人気時代劇「遠山の金さん」で、悪党どもが桜吹雪の前にひざを突いてきたおなじみの場所です。
遠山の金さんから蔦重まで
東京駅のすぐ近く、ここに遠山の金さんが活躍した北町奉行所がありました。
佐藤アナ
「ビルとビルの間に挟まれていますね」
山村さん
「そうですね。この辺のビルも昔の屋敷の跡なのですけどね。それでこちら。書いてありますね、こちらに北町奉行所跡がある」
佐藤アナ
「先ほどは南町奉行所でしたね。それは北町のほうを守っています、南町(奉行所)は南町を守っていますという、(地域の)分け方なんですか?」
山村さん
「それはよく言われるのですけど、そうじゃないんですね。江戸を南北に分けていたわけじゃないんです。月替わりで交代で守っていた。この月は北町奉行所が全部を扱って、次の月は南町奉行所が全部扱う、という交互に務めていたんですね」
佐藤アナ
「1カ月働いたら1カ月休み?」
山村さん
「そんなわけはなくてですね、窓口を開けて受け付けているのが担当の月。そして次の月になったら内部事務の処理に入るんです」
佐藤アナ
「忙しいですね」
山村さん
「また次の月には窓口を開ける。その繰り返し」
この桜吹雪を忘れたとは言わせねぇぜ!遊び人の金さんが一転、奉行として名裁き!がお決まりのドラマです。
「遊び人の金さんになった…ドラマは脚色部分がかなり多い。実際の遠山の奉行は庶民のことを考えていた、また良い奉行だった」
金さんでおなじみの遠山金四郎こと、遠山左衛門尉景元が北町奉行に就任したころは、老中・水野忠邦が主導した厳格な政策・天保の改革が行われていました。
「庶民の娯楽(芝居など)をなくしちゃおうという幕府の方針があった時、遠山だけは庶民のために残そうと言って庶民に愛された。大岡越前もそういうことがあったけれども、遠山の金さんはそういった面が強く、人々に愛された」
佐藤アナ
「町のヒーローですね」
続いて、2人が向かったのは日本橋川にかかる一石橋です。
山村さん
「ここに面白いものがあるんですよ」
佐藤アナ
「面白いものですか?」
山村さん
「それがこちら、一石橋迷子しらせ石標。こちらの石塔なんだけど、迷子が当時あった時、それを探したり知らせたりする。そういうツール。当時の人は石標に、こういう子が迷子になっているという紙をのりで貼る。それを見つけた場合は、反対側に見つけたよという知らせの紙を貼る」
この迷子しらせ石標は、日本橋付近のように多くの人が集まる場所など、江戸の町に20カ所ほどあったと言われていますが、今も残っているのはここだけだそうです。
佐藤アナ
「今はSNSで何とかなるかもしれないけど、当時はないですもんね」
山村さん
「当時はそういうのがないから、皆この石を頼りにしていたんですよ」
日本橋を渡り、2人が向かうのは、去年、大河ドラマの主人公にもなった江戸文化のヒーロー、蔦屋重三郎が営んでいた書店があった場所です。
佐藤アナ
「この辺りは少し落ち着いた場所ですね」
山村さん
「ここは大伝馬町と言われる場所(江戸時代は日本橋通油町)です。こちらに蔦屋重三郎、耕書堂の跡。蔦重のお店がここにありました」
蔦重こと蔦屋重三郎は、平賀源内など数々の著名人と交流を持ち、出版や浮世絵などでヒット作を連発したメディア王です。吉原で開業した書店が人気となり、江戸の中心・日本橋へ進出しました。
佐藤アナ
「葛飾北斎とか名だたる人々もここに通っていたってことですね」
山村さん
「そうですね。喜多川歌麿と東洲斎写楽、このへんの才能たちが多く集まっていた場所ですね。大河ドラマでは、日本橋の店はすごく大きな店で描かれていたけれど、実際にはこのようだったようですね」
佐藤アナ
「耕書堂はどれくらい続いたのですか?」
山村さん
「蔦重が亡くなった後も、番頭さんが2代目(蔦屋重三郎)を継いで、その後も3代目、4代目と続いていたんです」
(2026年4月9日放送分より)
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