
川越市にある「喜多院」には、今は見ることのできない江戸城の姿が残っています。その背景には徳川三代の将軍と1人の僧侶の深い関係がありました。その貴重な歴史をたどります。
【画像】喜多院に深く関わりを持つ天海僧正 徳川家康と特別な間柄でもあった?
天海僧正と徳川家の深い縁
趣のある街並みの先に、徳川家との深い結び付きや、今に伝わる数々の逸話を秘めた古刹があります。川越大師・喜多院には、どのような歴史と伝説が残されているのでしょうか。
佐藤ちひろアナウンサー
「小江戸と呼ばれる川越にやって来ました。趣のある街並みですね。きょうは、川越大師 喜多院へ向かいます。どんな逸話や伝説があるのでしょうか?調査してきます!」
東京から約30キロ圏内、見どころも多い埼玉県川越市にある「天台宗 川越大師 喜多院」。住職の塩入秀知さんに話を聞きました。
佐藤アナ
「喜多院、喜びが多い、すごくすてきな名前ですね」
塩入さん
「ありがとうございます。これは江戸時代の初めのころ、天海僧正によって名付けられたお寺の名前でございます」
このコーナー「Good!いちおし」では何度か登場している高僧です。江戸幕府を陰で操ったとか、多くの謎に包まれた人物でしたよね。喜多院にも深く関わっていて、この後、いろんなところで名前が出てくるキーパーソンです。
佐藤アナ
「そして、この門も立派ですね」
塩入さん
「はい。1632年建立された山門になります。現在の境内の中では一番古い建物になっております」
約400年前に建てられた山門をくぐり、境内へ。春の陽気で美しさを増す喜多院です。江戸時代には徳川家康も訪れています。
「慶長15年16年17年と立て続けに家康公は喜多院へ天海僧正にお会いにやって参ります。それだけ特別な間柄だったということだと思います」
隣接する仙波東照宮は、家康の亡骸を日光へ移送する際、天海が供養を行ったゆかりの地に建てられました。境内には、徳川家光により建立された天海像を祭る慈眼堂など、徳川家と縁の深い貴重な数多くの建造物があります。そんな喜多院の歴史は1200年前にさかのぼります。
「平安時代830年に淳和天皇さんの勅命によりまして、慈覚大師円仁さんが喜多院の大元である無量寿寺というお寺を建立しました」
長い歴史の中では、さまざまな災害もありました。特に、1638年の「川越大火」では、ほとんどが焼けて失われました。心を痛めた天海に、将軍自らが提案した復興案がありました。
「三代将軍家光公が江戸城の中の建物を喜多院へ移築させて復興にあたっております」
佐藤アナ
「江戸城の中の一部がここにあるということですか?」
塩入さん
「そうですね」
これは当時の常識では考えられないほどの手厚い支援で、家光がいかに天海を大切に思っていたかを象徴するエピソードです。
江戸城から移された貴重な建物
早速、現存する江戸城にあった建物へ案内してもらうと…。
佐藤アナ
「うぉ~、すごいですね。こう近くで見ますと、かなり大きいですね」
塩入さん
「そうですね。立派な御殿だと思います」
佐藤アナ
「これを江戸時代に運んできたんですか?」
塩入さん
「そうなんです」
移築されたのは将軍家光と、その乳母・春日局が暮らした建物です。移築から19年後の1657年に起きた明暦の大火で、江戸の街6割が燃え、江戸城も本丸や天守閣を含む、すべてが失われました。つまり、移築されたこの部分だけが江戸城内にあった当時と変わっていないんです。そんな建物に入るという貴重な体験ができます。まず案内してもらったのは…。
塩入さん
「こちらが三代将軍家光公誕生の間と伝承されたお部屋でございます」
佐藤アナ
「誕生の間?ここで生まれたってことですか?」
塩入さん
「この部屋で、お母様のお江様が家光公をお産みになったと言われています。周りの襖絵(ふすまえ)等々も当時のままで、天井にはきれいな草花の絵81枚、四季折々の草花の絵が描かれた格天井になっております」
佐藤アナ
「本当きれいに残っているんですね」
塩入さん
「そうですね」
佐藤アナ
「絵も素晴らしいですね」
お隣の部屋には仏間、その中央に本尊の阿弥陀如来がありました。
塩入さん
「阿弥陀さまの左手前に、お坊さまのお像がございます。こちらが喜多院の27代目のご住職、天海僧正のお像でございます」
それは家康から絶大な信頼を受け、その後、秀忠、家光に仕えるまで長生きしたその姿です。
塩入さん
「お亡くなりになる2カ月前のお姿、108歳と言われております」
江戸城から移築されたものは他にもあります。
佐藤アナ
「はぁ~。もう絵画のようなきれいな風景ですね。なんだか京都に来たような雰囲気ですね」
住宅街の中とは思えないこちらの庭も、天海僧正が江戸城内にあった紅葉山庭園を再現して造営したそうです。さらに私生活感のあるプライベート空間も拝観できるんです。
塩入さん
「この奥には、当時のお風呂場とお手洗いが残っております。この手前の広いところがお風呂場になります。現在のような湯船は外から持ち運んで、普段はここに腰掛けを置いて、お殿様が座ってお供の者がお湯や水をかけて洗い流してあげる。その水は、その真ん中の溝をつたって、その下に流れていくお風呂場になっています」
佐藤アナ
「へぇ~。面白い」
そして、こちらの部屋にもすごい逸話があります。
塩入さん
「家光公の乳母でありました春日局さんが使っていたお部屋と伝わっておりまして、春日局化粧の間とも称しております」
佐藤アナ
「ここで寝泊まりされていた場所ってことですか?」
塩入さん
「そうです。普段使いしていた部屋と言われております」
すると、この部屋は…。
「大奥のはしりですね。春日局さんが大奥を作っていったわけですから」
そのうえ、部屋の中には…。
佐藤アナ
「えっ、これって?」
塩入さん
「階段です。実は天井の板をはね上げることができます。そして、この階段を使って屋根裏部屋へ上がることができます。少し天井が低いかなと、ご覧になったのではないかと思います」
佐藤アナ
「確かに~。低いですね。今までより」
塩入さん
「これを上がりますと屋根裏部屋があります。で、当時はそこで密談をしたりとか…」
佐藤アナ
「密談?」
塩入さん
「または、何かあった場合には、ここから天井裏を伝わって外部に出るような逃げ道があったとか、そんなふうにも言われております」
佐藤アナ
「わぁ江戸城を考えると、なんだかワクワクしてきますね」
なんで、こんな貴重なものが移築されたのでしょうか。川越はその立地から「江戸の北の守備固め」の役割がありました。天海僧正は住職を務めた喜多院を、家康に「関東の天台宗の本山」として認めさせ、寺の復興を急いだのかもしれません。
元三大師の伝説と五百羅漢
続いて、移築御殿からわたり廊下を通って慈恵大師堂という本堂へ。こちらは慈恵大師こと元三大師を祭っているということで、大師にまつわる伝説を教えてもらいました。
塩入さん
「当時も疫病が蔓延(まんえん)しまして、多くの方々が苦しんでいたということがあったそうです。その時に人々を何とかして救いたいなと更けていたところに、目の前の鏡に鬼のようなお姿が映ったと。そのお姿を弟子にうつさせて、それをお札にしたものが角大師というお札として各家に配ったところ、疫病が治まったというような伝説があります」
そんな伝説から、元三大師は魔除けの大師様として信仰を集めたのだそうです。次に向かったのは…。
佐藤アナ
「すごい、圧巻ですね~」
塩入さん
「こちらは五百羅漢という、たくさんのお坊さんたちの姿になります。いろんなしぐさ、また表情があるのではないかと思います。こちらではマッサージをしてもらっている羅漢さんなんかもいらっしゃいますし、頭を抱えている方もいらっしゃいます」
日本三大羅漢に数えられ、川越の観光名所としても人気が高いのですが、これだけの数を建立するには長い年月がかかりました。訪れる人々は、それぞれ異なる表情やしぐさを持つ羅漢像を見つめながら、歴史の深さや人々の祈りの積み重ねに思いを馳せることができます。
(2026年4月10日放送分より)
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