【報ステ】沖縄から“希望の島”パラオへ 海の向こうにあったもう1つの戦争

【報ステ】沖縄から“希望の島”パラオへ 海の向こうにあったもう1つの戦争
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6月23日は沖縄慰霊の日です。かつて沖縄の人々が背負った苦しみは、本島での地上戦だけではありません。戦前、2000キロもの海を渡り、遠くパラオで暮らしを築いた人たちがいました。知られざる戦争の記憶です。

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パラオの人口構成(1942年)
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“南国の楽園”パラオ。かつて沖縄の人たちは、この島を目指しました。日本から渡った人の半数近くを沖縄出身者が占めた時代もあります。なぜこれほど多くの人が海を越えてパラオへ向かったのか。

第一次世界大戦後の動き
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第一次世界大戦後、日本はドイツ領だった太平洋の一部を統治します。大小300余りの島からなるパラオはその中心地でした。統治を担う『南洋庁』が置かれると国策として開発が進み、新たな働き口が生まれていきました。

幼い頃、沖縄出身の両親と共にパラオへ渡った、玉城栄子さん(96)。

玉城栄子さん
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玉城栄子さん
「沖縄も不景気で、みんな外に出た。母は稼いだお金を必ず親元に送る。稼いで仕送る。あの時は普通」

パラオで盛んだったカツオ漁
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沖縄の人たちにとってパラオは“希望の島”。かつてこの一帯には沖縄出身者の集落が広がっていました。暮らしの柱となったのはカツオ漁。故郷と同じサンゴ礁の海を知る漁師たちが産業を支えていきます。しかし、島には序列がありました。

パラオで幼少期を過ごした玉村弥徳さん(88)。

玉村弥徳さん
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玉村弥徳さん
「一等国民は日本人。沖縄の人は二番目か三番目。沖縄人を下に見よったな。内地の人は威張りくさっている感じ」

序列の上にいたのが本土出身者。同じ日本人である沖縄の人たちはその下。現地住民は「島民」と呼ばれ、さらに下に見られていました。

出会ったのは日本が統治した時代を知る人。ニナ・アントニオさん(96)。当時、学校で学んだ日本語で沖縄の人たちの暮らしを語ってくれました。

ニナ・アントニオさん
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ニナ・アントニオさん
「沖縄の人はマングローブの近くに家を作って魚捕り。沖縄の人はパラオ人の生活にちょっと似ている」
(Q.沖縄の人は日本人とは違った)
「違う。一緒ではなかった。日本人は偉い人」

その線引きを、パラオ人のケイティ・ギラケドさん(98)は今も鮮明に覚えています。

ケイティ・ギラケドさん
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ケイティ・ギラケドさん
「差別されていたの沖縄人と島民。この道路は日本人、下の道は沖縄」
(Q.道が分けられていた)
「そう。『沖縄沖縄』怒鳴るの日本人は」

同じ日本人でありながら、本土出身者から見下された沖縄の人たち。戦争が近付くと、今度は国に尽くすことを求められていきます。

パラオに迫る戦火
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開戦当初、攻勢を強めた日本。しかし、戦局は次第に悪化し、後退を余儀なくされます。その戦火はパラオにも迫っていました。本土出身者から見下されてきた沖縄の人たちも、同じ日本人として戦争に組み込まれていきます。

現地招集の記録
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陸軍部隊の記録には、現地招集は「沖縄人ヲ主トス」と記されていました。パラオで召集された人の約6割が沖縄出身でした。

玉村さんの父・彌生さんもその一人。養豚業を営んでいました。

玉村弥徳さん
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玉村弥徳さん
「人手不足。兵隊さんがいないから、喜んでというより仕方ない。御国のためにということで。お別れする時も『みんな気をつけて頑張って』と行ったきり、もう親父は帰ってこない。ペリリュー島は玉砕。さみしかったね」

ペリリュー島での戦い
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パラオ最大の激戦地ペリリュー島では1万人を超える日本兵が命を落としました。しかし、沖縄の人たちの苦しみは、そこで終わりませんでした。

激しさを増す空襲。人々は深い森に覆われたバベルダオブ島へ疎開を命じられました。アメリカ軍の上陸はありませんでしたが、人影やわずかな明かりも、見つかれば空から狙われました。息をひそめるような日々の中、人々を苦しめたのは飢え。

沖縄からパラオへ渡った田中順一さん(93)。疎開先で小さな畑を耕しながら、命をつなぎました。

田中順一さん
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田中順一さん
「食料難で、もう食べ物がなくて。畑の芋を軍に供出して、1日2~3個の配給で暮らしていた。口に入る物だったら色々な物をとって食べて。あとはカタツムリ。食べるものがなくて」

同じ島に身を寄せていた前田裕子さん(97)。飢えは母の命を奪いました。

前田裕子さん
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前田裕子さん
「栄養失調で寝ていて『お母さん』って言ったら、もう亡くなっていました。実感が湧かないんですよ。戦争で精神面がおかしくなっているから。親がいなくなった実感がなかった」

終戦から半年後のニュース映像
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終戦から半年後のニュース映像
「南洋諸島パラオ・サイパン方面からの引き揚げ同胞。この人々こそ、南方発展の美名に踊らされた日本軍国主義の痛ましい犠牲者たちであります」

当時のニュースは海の向こうから引き揚げた人々を「同胞」と伝えました。同じ日本人として。

パラオ占領後の統治に備え、現地の情報を集め、分析を進めていたアメリカ海軍。その資料の中で、沖縄出身者は少数民族と位置付けられています。さらにこう記されています。

アメリカ海軍による記述
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「沖縄の人たちが日本人から見下されているのは疑いない」

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