
東京・墨田区の「すみだ北斎美術館」に、江戸の二大絵師が描いた富士山の名作約170点が集結しています(2026年8月30日まで、前期・後期で展示替えあり)。葛飾北斎と歌川広重は、同じ題材をどのように描いたのでしょうか。作品を見比べると、それぞれの美学と知られざる競い合いが浮かび上がります。
【画像】富士を「閉じ込める」か「解き放つか」…鳥居へのアプローチの違い
構図に表れた二大絵師の美学
最初は波の対決です。30年以上かけた傑作と、命がけともいえる現地での取材。その違いは、富士山と波の配置に表れています。
奥田敦子さん(すみだ北斎美術館学芸員)
「これは『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』。北斎の代表作です。絵描きとして活動を続ける中で30年以上、波を表現する中で一つの完成形といいますか、行きついた姿かなと思います。波は非常に動的な表現ですけれども、波の先に静かな富士山がドンと鎮座しているというところが特徴としてあります」
70歳を超えた葛飾北斎が描いた最高傑作の大波です。歌川広重はこれにどう挑んだのでしょうか。
奥田さん
「こちらは広重の『冨士三十六景 駿河薩タ之海上』という作品です」
住田紗里アナウンサー
「似ていますね!でも、よく見ると波が逆向きで、富士山の大きさも全然違いますよね!?」
奥田さん
「横浜の沖合の方は、富士山と波を描くとしたら、波が左側、富士山が右側に来ますけれども、こちらは西側から描いていますので、富士山が左、波が右側にきます」
広重の絵は、北斎の「神奈川沖浪裏」を反転して見ると、「獣の爪」のような大波の位置には険しい断崖がそびえ立ち、波は左から右の陸地へと押し寄せています。
北斎に挑む広重の意地
奥田さんによると、北斎は最適な構図で波と富士山を配置するため、神奈川沖の海上から描いたといいます。
一方、広重は北斎の波を逆から描こうと、その構図がある場所へ赴いたともいわれています。描いたのは、静岡県の薩た峠です。
奥田さん
「薩た峠は旅人が荒波にさらわれているというぐらい、昔は激しい荒波のある場所だったので、荒波とどんと富士山が見える場所っていうのを選んでいるんだと思うんですね」
住田アナ
「こだわりを持って広重は選んだ場所から描いたってことなんですか?」
奥田さん
「そう思います」
住田アナ
「やっぱり北斎の30年の重みを分かっているからこそ、そういったものを取り入れたのかもしれないですよね」
鳥居の対決 違いは?
続いては、鳥居の対決です。二つの作品に共通して登場する鳥居。同じ構図に見えますが、2人のアプローチは全く違います。
奥田さん
「北斎の『冨嶽三十六景 登戸浦』は中心に鳥居が、矩形の枠の中に富士山を眺めるっていう面白さを狙っているんですけれども」
北斎は鳥居の中に富士山を「閉じこめ」ました。これに対し、広重は富士山を鳥居から解き放ちます。
奥田さん
「こちらの広重の『不二三十六景 上総鹿楚山鳥居崎』は、鳥居から富士山を解き放って、三浦半島の大空に富士山が浮かんでいるっていうような情景を描いています」
その裏には、大先輩である北斎への強い敬意と、絵師としてのプライドが隠されていました。
奥田さん
「『富士見百図』の序文の中に書かれています」
序文には、北斎は構図を大事にしているものの、面白さを追求するあまり、富士山が少し脇役になっているという趣旨が記されています。これに対し、広重は実景に基づきながら、ありのままの姿を描こうとしたといいます。
奥田さん
「北斎にリスペクトしつつも、富士山にもリスペクトをかなりしていると」
北斎の「理想の演出」に対し、広重は「リアルな旅情」で応えたのです。
木の対決 理想の合成か
次は木の対決です。富士山の前に立ちはだかる1本の木を描いた、好対照な2枚です。
奥田さん
「北斎の『冨嶽三十六景 甲州三島越』という作品です」
住田アナ
「富士山の目の前に大木がある感じですね」
奥田さん
「そうですね、この三島越という場所は、現在の山梨県と静岡県の県境、籠坂峠というのがありまして、籠坂峠にはこういう大木があったという記録はないんです。山梨県の笹子峠にある『矢立の杉』っていう有名な杉がありまして、それを構図的に面白くするために持ってきているんじゃないかという説がございます」
ありのままの景色か
理想の構図を追う北斎に対し、広重が目指したのは、旅先で出会った「生きた景色」でした。
奥田さん
「『不二三十六景 甲斐大月原』という作品です」
住田アナ
「たしかに構図はよく似ていますよね」
奥田さん
「山梨県の大月宿、現在の大月市の郊外の所から見ている富士山を描いています。広重は、実際に山梨を旅していて、大月の辺りの景色を気に入ったのか、北斎の構図を上手く利用して描いている」
広重は北斎の構図を意識しつつ、実際の旅で愛した景色を描きました。見事な仕掛けを凝らしながらも、嘘はつかず、本物の情景を貫いたのです。
住田アナ
「北斎はいろんなパーツを組み合わせた合成写真だったとしたら、広重は自分で見たであろう景色を忠実に描いたスナップ写真みたいな感じだったんですかね」
姿勢の違いが表れる大井川
続いては、東海道の難所「大井川」です。2人の姿勢の違いがはっきりと表れる、傑作の対決となっています。
奥田さん
「こちらは北斎の『冨嶽三十六景 東海道金谷ノ不二』です。現在の静岡県島田市。大井川というのは、『越すに越されぬ大井川』、東海道屈指の難所として知られていて。ある水かさになりますと、“川留め”っていって通行禁止するんです。危ないんで、これくらいの水かさ、水量、勢いになったら、もう通行禁止になったはずですね」
江戸時代、徳川家康によって整備された東海道。しかし、幕府は江戸の防衛などを理由に、大井川へ橋を架けることや船の通行を固く禁じました。現実には徒歩で渡るしかない難所だったことを踏まえたうえで、北斎はある勝負に出ます。
奥田さん
「渡っていく人たちの躍動感のある人体表現。これを表現したくて、ちょっとこう演出を加えているんじゃないかなと思います」
北斎の「躍動のドラマ」に対し、広重が「冨士三十六景 駿遠大井川」で描いたのは「穏やかな旅情」でした。
奥田さん
「一方で広重は金谷宿から大井川、そして富士山を眺めているっていうところで、本当に旅をしたくなるような旅の姿っていうのを伝えたいなっていう姿勢の違いを感じますね」
諏訪湖テーマに別世界描く
北斎と広重の火花散るライバル対決は、さらに続きます。2人は長野県の諏訪湖をテーマに、全くの別世界を描いています。
北斎の「冨嶽三十六景 信州諏訪湖」は、巨大な岩とV字の松を配置し、富士山と響き合う完璧なデザインを作り出した作品です。
一方、広重の「冨士三十六景 信州諏訪之湖」は、松を主役にせず、ありのままの静かな情景を描き出しています。
ライバル対決 万年橋でも
続いては、東京の隅田川近くに架かる「深川万年橋」です。同じ橋の下から富士山を望む構図ですが、2人のアプローチは全く異なります。
北斎の「冨嶽三十六景 深川万年橋下」は、西洋の遠近法を取り入れた太鼓橋の幾何学美が見る者を圧倒します。
これに対し、広重が描いたのが「名所江戸百景 深川万年橋」です。手前に大きく描かれた亀は、生き物を逃がして功徳を積む江戸の儀式「放生会」を表しています。北斎の構成美に対し、広重は江戸時代の温かい暮らしの情緒を描き切りました。
奥田さん
「これは山梨県の旧御坂峠あたりから撮影した写真です。実は、その景色を北斎と広重も描いています」
広重が描いた絶景「冨士三十六景 甲斐御坂越」は、手前に河口湖を描いています。しかし、実際は峠から湖まで距離があるため、写実を重んじて逆さ富士を描きませんでした。
(2026年7月22日放送分より)
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