和歌山県出身で4人きょうだいの2番目として生まれた塩﨑は、中学2年頃から仕事のために飛行機で東京と行き来する生活を送っていた。関西空港までの約40分間のドライブが母親と1対1で話す唯一の時間であり、現在のように多くの人に知られる前の伸び悩んでいた時期には、「辞めるか辞めないか」といった将来の深い話もしていたという。
塩﨑によると、当初母親は「続けた方がいいんじゃない?」とアドバイスを送っていた。しかし、あるときから「まあ、やらなくても別にいいんじゃない?」と予想外の言葉をかけてきたという。
その言葉を受けた当時の心境について、塩﨑は「一回自分を試されているというか…」と、母親の真意を感じ取ったことを告白した。藤本が「放してね、『やってみなさい』みたいなね」「信じてくれてる」と親の気持ちを代弁すると、塩﨑も「信じてくれてる」「後々気づきますし、その時も、僕はわかってたんで」と同意。「子どもですけど、とは言えしっかり感情も持ってるし、親が思っている以上に子どもは意外と賢いのかなって感じてる」と子ども側の心理を語っていた。
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