
芸術家の草間彌生さんが97歳で亡くなりました。草間さんのドキュメンタリー映画を作った監督が取材に応じ、世界中の人々を引き付けた魅力を語りました。
【画像】ドキュメンタリー映画を製作した映画監督 草間さんのチャーミングな一面を明かす
映画監督「チャーミングな一面がある」
草間さん(当時87)
「私の世界の中に芸術というものは最高の姿をもって自分の人生を支配しております」
14日、多臓器不全のため、都内の病院で亡くなった草間彌生さん。水玉や網目をモチーフとした独自の表現から、「水玉の女王」と呼ばれ、世界的な評価と人気を得ていました。
草間さん
「自分は死に物狂いで芸術をやって、死んだ後もなおかつ、何年でも人々の心を打つ芸術を作っていきたい」
番組は、そんな草間さんの“意外な一面”を知る人物を取材しました。
およそ30年前に草間さんと出会い、制作風景や日常に密着したドキュメンタリー映画を製作した松本貴子さんです。
松本さん
「なんかちょっと怖いというか、“恐怖から逃れる”みたいなイメージもあるかもしれないけど、実際はものすごくチャーミングな一面がある」
それは、作品が完成した時にかいま見えたといいます。
「描き終わったら、その作品を移動させる。そうすると見るじゃないですか、自分の作品を。その都度、感動するのです。『素晴らしいわね、まあすてきじゃない』って言う。自己肯定がすごい。今の人たちは他人に『いいね』してもらわないと、なかなか納得できないと思うけど、草間さんは自分に自分で『いいね』して、そういう意味ではチャーミングだなと」
創作活動以外でも。
「草間さんってマイブームがあって、ブームがあるとずっと続く。例えばコンビニのオリジナル食パンがブームの時があって、私毎日コンビニに行ってその食パンを買って、撮影時に『先生買ってきました!』と。あと、おすしがブームの時もあって、(そのころは)昼食がずっと毎日おすし。一挙手一投足がすべて面白い」
水玉は愛と平和のシンボル
“死に物狂い”で打ち込んできた、草間さんの創作活動の原点、それは「幻覚」という恐怖との闘いだったといいます。
草間さん(当時87)
「子どもの時から朝は9時に起きて、夜は真っ暗になるまで絵を描いて、それが毎日、土曜日も日曜日を絵を描いて、祝日も絵を描いて、そのような生活を長く続けていたので」
幼いころから絵を描くことが好きだった草間さんは花が自分に語りかけてくる、水玉が目の前に広がるといった幻覚や幻聴に苦しんでいました。
その苦しみから自らを救い出す方法が、目の前の恐怖と向き合い、その対象を描き留めることでした。
10歳のころに描いた作品です。この時から人物の顔には、水玉が描かれていました。そんな草間さんの代名詞とも言うべきモチーフ、水玉について、14年前のインタビューでは次のように語っていました。
「水玉っていうのは、私自身も一つの水玉、あなたも水玉、みんなも水玉のつながりなんですよね。それらが戦争もなく、豊かな水玉の感触のように輝いて、そして世の中が水玉の平和によって生かされてくる」
水玉は草間さんにとって愛と平和のシンボル。一つだけではただの丸。しかし、いくつもの丸が集まれば大きな力になる。それは人も同じ。そんな思いを込めたのです。
1957年、草間さんは、さらに大きな舞台を求めて28歳で渡米。活動拠点をニューヨークに移すと、「無限の網」という画面全体を網目で埋め尽くす作品を発表し、現地のアートシーンに強いインパクトを与えました。
「前衛芸術の女王」と呼ばれる世界的アーティストとなって1973年、日本に帰国しますが、アメリカでの芸術活動をスキャンダラスに報じられるなど日本では評価されませんでした。
それでも、貫き通した芸術性は次第に認められ、数々の賞を受賞するまでに。
草間さんが、創作を通して伝えたいメッセージとは。
草間さん(当時83)
「自分が生まれてきたことへの絶大なる試練の感謝と永遠に続く人類愛と命に対する賛美」
ファンから惜しむ声
草間さんが作品に託したメッセージは、今も全国各地で多くの人々の心に届いていました。
草間さんが手がけた黄色いカボチャです。直島を象徴する作品の一つとして多くの観光客が訪れています。
観光客
「(Q.お目当ては?)『南瓜』です」
「オーシャンビューが広がっていてきれい」
「教科書とかそういうのでは見たことがあった。実際に見ると感動的」
来館客
「心が洗われるようで、何か楽しくなる感じで、あすから頑張ろうかなみたいな。勇気っていうか元気をもらえます」
「(草間さんの作品には)生きる力があると感じています」
その死を惜しむ声も上がっています。
来館客
「残念ですね。まだいろんな作品を残してくださると思って、新しい作品が見られなくなるのは、一ファンとしては残念」
「もっと長生きして作品を作ってもらいたかった」
病室で絵画を制作
芸術を探求することをやめなかった草間さん。
関係者によると、亡くなる直前まで絵筆を手放すことなく、病室で絵画の制作に励んでいたといいます。
草間さん(当時83)
「私は確かに挑戦していると思います。命を懸けて、まだ私にとって人生の出発点であり、生きているうち、100年、200年、300年も1000年も永遠に死んだ後も自分の作品が人々に大いなるメッセージを残していくことがもしできれば、自分としては最高の人生を歩んで去り至ったという感じ」
(2026年8月28日放送分より)
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