
脚本家で、劇作家の倉本聰さんが亡くなりました。91歳でした。
関係者によりますと、倉本さんは今月18日の夕方、自宅で、多臓器不全のため亡くなりました。

倉本さんは、「北の国から」や「ライスカレー」、「やすらぎの郷」など多くの作品を手がけ、国民的ドラマを世に送り出しました。
1977年に北海道・富良野に移住して、俳優や脚本家を育成する「富良野塾」を立ち上げました。また、近年は自然保護活動に力を入れて「自然返還事業」を精力的に行っていました。
葬儀は、家族の意向により、すでに近親者のみで執り行ったということです。
11月3日に、北海道・富良野演劇工場で「お別れの会」が開かれる予定です。
【全文】さだまさしさん 追悼コメントをSNSで発表
「さようならは言いません」
倉本聰先生の訃報に接して
せっかちで頑固で喧嘩っ早い倉本先生。
大好きな紅葉も落葉も雪も待てずに秋の香りのする日に、ぷいっといなくなりました。
一途で不器用で芸に厳しい倉本先生。
歴史に残る名作『北の国から』の音楽を、若造の僕を信用して、ぽいっと全部任せて下さった侠気の人。大恩人でした。
最後にお目に掛かったのは「北の国から」放送開始45周年を祝った先月、八月九日の富良野演劇工場のステージでした。
今思えば先生登場の時のこと。
《暗転~照明濃度まで計算し尽くして、浮き上がるように現れ~五郎さんの『遺言』を朗読~ふわりと暗転してあっという間に舞台から去る》という、あのストイックな演出。
今思えばあれが我々への格好良すぎる遺言でした。
教わったことが沢山あります。
叱られたことも一杯あります。
褒められたのはたった三つ。
「はかぼんさん」という小説と、わざわざ詩島まで来て、子どものようにはしゃいで羨ましそうに褒めてくださったあの時。
あと一つはNHK紅白歌合戦で「北の国から」を歌った時でした。
よほどNHKとの大喧嘩が胸に残っていたのでしょう。
「良くNHKが許してくれたなあ。でかした!!」と嬉しそうでした。
まるで僕が先生の仇を討ったみたいでしたけど、あれ、NHKからのリクエストだったんですよ(笑)
「北の国から」を500話まで書いてくださいとお願いしていたのに、書いてくれたのかな?
詩島が気に入ったら島に籠もって「西の国から」を書いてともお願いしたのに書いてくれたのかな?
もう少し仕事でご一緒したかったです。
さようならは言いません。
先生またね。
さだまさし
【全文】本木雅弘さんが追悼
「樹木のように落ち着いた呼吸をされている印象でした」

映画「海の沈黙」でお世話になりました。 自然界、そして人間の営みに深い考察と愛情を持ち、 先生ご自身が樹木のように落ち着いた呼吸をされている印象でした。
今年の2月に富良野に行く機会があり、先生とお食事をしました。 時々イタズラなことを仰りながら、和やかな笑みを浮かべていたお姿が心に残っています。
どうぞ 安らかに眠られますようお祈り申し上げます。
本木雅弘
【全文】石坂浩二さんが追悼
「その時代を生きる人間の姿を描き続けてこられた方」
倉本さんとは、若い頃から長い年月にわたって、折々にお仕事をご一緒しました。
テレビ草創期から、時代の変化を見つめながら、その時代を生きる人間の姿を描き続けてこられた方です。ご自身の中にあるものを、いつもご自身の言葉で書かれる方でした。世の中の価値観や流行が移り変わっても、それに合わせることなく、人間を見つめ続けていらした。その変わらない姿勢こそが、倉本さんの尊さであり、倉本さんらしさだったのだと思います。
長い年月にわたり、素晴らしい作品を生み出してこられた倉本さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
吉岡秀隆さんが公式HPでコメント

倉本先生と出会えたこと、神様に感謝します。
【全文】黒柳徹子さんがインスタグラムで追悼コメント
「もう一度、ゆっくり会って、お話がしたかった」
倉本さんとは、なんだか幼なじみのような気がしています。
いつ頃から知り合いだったのか、もう忘れてしまったんですけれど、少なくとも、倉本さんが東大を卒業したということは知っていましたから、ずいぶん長いお付き合いだったんだと思います。
倉本さんが北海道に住む事になったときには、
「うちの前が空いてるから、徹子さんも来ない?」
って言ってくださったことがありました。
でも私は仕事がありましたから、結局そのままになってしまって、、、、。
その後も、私が北海道へ行くたびに、旭川まで出てきてくださったりして、いろんなお話をしました。
倉本さんは、いつ会っても新しい話を持っていて、本当に面白い方でした。お話ししていると、時間が経つのを忘れるほどでした。
倉本さんの劇団が東京で公演をしたときには、私も観に行きました。
そのときには倉本さんにもお会いました。劇団を応援したくて、寄付をしたこともありました。
それから、しばらくお会いしていないなと思っていたら、突然の訃報でした。
もう一度、ゆっくり会って、お話がしたかった。
本当に、もっといろんなことを聞きたかったです。
倉本さん、
たくさんの素晴らしい作品を残してくださって、ありがとう。
(インスタグラムから)
【写真】 脚本家・倉本聰さんのこれまで
