
厳重なセキュリティだ。撮影機材もすべて爆弾探知犬の「鼻」チェックを受ける。
国連本部が開門する午前6時、記者やカメラマンが並ぶ100m以上の列がゆっくりと動き始めた。目指すのは国連総会の議場。この日から約一週間、各国の首脳らが演説を行う。

ゲートから議場建物に向かう途中、芝生の広場を通り抜ける。
その広場に突如現れるのが高さ3.6m、幅3.6m、厚さ約20cmの「壁」だ。
違和感でしかないその壁は、否が応にも通る人々の目をひく。
記者らは皆、チラッとその壁に視線を送る。
その正体に気がついた者だけが、再び壁を見上げる。
私はその壁に、過去会ったことがある。今回37年ぶりの再会だった。
(ニューヨーク支局 大野公二)
あの日「壁は壊すもの」と学んだ

37年前の夜、壁の上にまたがった男性が、よじ登る女性を引き上げた。
銃声は響かない。
細い腕を引っ張られた女性が壁を乗り越える。もの凄い歓声が上がった。
次々に人々が壁を乗り越え、西側で待ち受けていた人たちと抱き合う。
皆が泣きながら笑顔で抱擁していた。
1989年11月9日。
東西ドイツを分断していたベルリンの壁が崩壊した。
旧西ドイツで暮らしていた私もカナヅチを持って壁に向かった。
皆が巨大な壁を必死に叩き、そのかけらを大事に持ち帰った。
小学6年生だった私は、壁は作るものではなく壊すものだと学んだ。
国連本部にベルリンの壁が立つ“意味”
なぜ国連本部の芝生広場にベルリンの壁が展示されているのか。
「壁」は2002年にドイツ政府から国連に寄贈された。
当時のアナン国連事務総長が寄贈時の演説で展示の理由を語っている。
「人間社会の分断は決して乗り越えられないものではなく、対話によって誤解や格差という隔たりも埋めることができるという教訓を、私達はこの壁から学ぶのです」
対話によって分断は本当に乗り越えられるのか。
国連総会を取材していると絶望的な気持ちになる。
威嚇と非難…分断をあおる首脳演説
一般討論演説の初日9月22日(火)、「壁」を通り過ぎて議場建物に向かう。
そこではトランプ大統領がまくし立てていた。
「合意に至らなければ、我々はイランを全滅させる」
国の代表が別の国を「全滅」させると発言する。思わず耳を疑う。
翌23日(水)は、イランのぺゼシュキアン大統領の番だ。
「アメリカこそテロリストで、トランプ氏は横暴だ」
国の代表が悪口の応酬を繰り広げる。
その翌日24日(木)も同じ光景だった。
イスラエルのネタニヤフ首相が登壇すると各国代表団が次々と議場を退出。
それを見たネタニヤフ首相は、退場した代表団を「臆病者」とこき下ろす。
批判の矛先は国連そのものにも向けられた。
アルゼンチンのミレイ大統領は、
「国連は善意の官僚を装った傲岸不遜な寄生虫階級を太らせるだけの無用な組織」
と吐き捨てた。
対話の場であるはずの演説台は、他国を露骨な言葉で威嚇・非難する舞台となり、議場は憎しみと怒りと分断に溢れていた。
およそ一週間、芝生に立つベルリンの壁を見ながら連日議場に向かった記者らは、きっと同じことを思っただろう。人間が再び壁を築き始めた世界で、我々はどうすべきなのかと。
ベルリンの壁に描かれたアートの真意
実は国連本部に展示されているベルリンの壁には、特異な点がある。
ベルリンの壁は通常、西側の面は色鮮やかなアートが描かれているが、東側の面は厳しく監視され近づくことができなかったため、ただのコンクリート面になっている。
しかし国連本部に展示されている「壁」は、東面にもアートが描かれていた。
水色と白が印象的な、壁をよじ登った男女が抱擁する姿。
最上部には「TROPHY OF CIVIL RIGHT」(人権の勝利)と書かれている。
描いたのはカニ・アラヴィ氏。1955年にイランで生まれ1980年に西ベルリンに移住したアーティストだ。ベルリンの壁が崩壊した際、アラヴィ氏は他のアーティストとともに、無地だった壁の東面に平和の絵を描く活動を始めた。国連に寄贈された作品「TROPHY OF CIVIL RIGHT」は、分断の克服と物理的・政治的障壁を乗り越える人間の絆の力を描いたそうだ。
トランプ大統領をはじめ各国の首脳は、車で国連総会の議場に到着し、車で議場をあとにする。芝生広場を歩くことはない。いつか各国首脳が国連本部の芝生広場を通り、「壁」とその意味に思いをはせる日がくることを心から願っている。
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