消防士時代に相次ぐ不祥事を起こし、逃げるように退職した青木は、実家でニート生活を開始。 毎日筋トレばかりする姿に母親は激怒し、居場所を失ったことで上京を決意した。東京ではフリーターとしてバイトをするも、ミスを連発し「自分はダメなやつ」と痛感する日々を送っていた。
そんな中、お笑いコンビ・ニューヨークのYouTube動画をきっかけに25歳で吉本興業の養成所(NSC)に入学。 特技の「カリンバ演奏」で頭角を現し、トリオ「かけおち」を結成して順調なスタートを切ったものの、すぐに「マッチョ生命の危機」という壁にぶち当たることとなった。
当時の月収は1万円以下で、電気、ガス、水道といった生活インフラがストップ。 食事はプロテインか余った弁当のみという極貧生活を余儀なくされ、体重が10kgも減少してしまったという。 スタジオに当時のガリガリ時代の写真が公開されると、生徒たちからは驚きの声が上がった。
青木は困窮生活の裏に、平成ノブシコブシ・吉村の存在があったと明かす。当時、青木は吉村が手がけるゲーム配信チャンネル「吉村新人のPUBってハニーチャンネル」の育成メンバーに合格して参加していた。しかし、この育成プロジェクトには「毎月40時間ゲーム配信をしないといけない」という過酷なノルマが課せられていたのだという。
青木は「毎月40時間ゲーム配信しないといけないんで、バイトができなくて」と告白。スタジオメンバーからは「うわ!吉村さんのせい!」との声が上がると、吉村は「俺は週1だけゲームするの。土曜日だけ出て大会を開いたりとかっていうゲーム。その中の育成メンバーだったから」と釈明した。さらに澤部から「みんなが頑張って積み上げたものをいいとこ取り?」と追及されると、吉村は「そう!」「そういうもんじゃん?上に立つ者って」とあっさり認め、スタジオは笑いに包まれた。
吉村の配信ノルマを達成するため、睡眠時間を削ってプレイしていたという青木。「40時間全然達成できずに月末とかになるとヤバいんで、寝たら達成できないみたいな時があったりとかして、それで睡眠不足もあってガリガリに」と語る青木に対し、吉村が「でも確かに細かったよな!俺言ってたもんね、『細くない?』って」と振り返ると、青木は「そう、だから全部吉村さんのせいなのになと思って」とコメントし、スタジオは爆笑に包まれた。
