“親子2代”で総理大臣に 官房長官としても存在感 福田康夫元総理(90)死去

“親子2代”で総理大臣に 官房長官としても存在感 福田康夫元総理(90)死去
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福田康夫元総理大臣が亡くなりました。日本の憲政史上で初めて、親子2代にわたって総理大臣を務めた福田元総理。森内閣、そして小泉内閣で長らく官房長官を担い、総理となってからは“外交の福田”とも称され、アメリカや中国との関係構築に努めました。90歳でした。

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“遅咲き”53歳で初当選

政治家・福田康夫を語る上で、忘れることができない場面。2008年、総理辞任会見でのやり取りです。

福田康夫総理大臣(当時)
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福田康夫総理大臣(当時)
(Q.総理の会見が国民には他人事のように聞こえる)
「他人事のようにというふうに仰ったが、私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」

大学卒業後、民間企業に就職した福田氏。父は第67代総理の赳夫氏で、秘書を務めた後、1990年に地盤を引き継ぎ、53歳で初当選を果たします。遅咲きの政治家でした。

福田康夫氏(初当選当時)
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福田康夫氏(初当選当時)
(Q.お父さまの地盤で非常に楽な展開だったのではないか)
「そんなことはない。きちんとしなければいけないので、選挙区の隅々まで回って、時間をかけて皆様の理解を得てまいりました」

官房長官の存在感 森・小泉政権

注目を浴びたのは、森内閣と小泉内閣の官房長官時代に見せた、淡々と受け答えをする姿。森総理の時代には、その言動の矢面に立たされ…。

福田康夫官房長官(当時)
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福田康夫官房長官(当時)
「私は弁明長官だと自称していますが、その弁明もこれからも続きそうです」

小泉総理のもとでは“影の外務大臣”とも…。

福田康夫官房長官(当時)
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福田康夫官房長官(当時)
「影の外務大臣ねえ…影の防衛庁長官なんて言われたりして。いろいろ名前がありますね。しょせん影ですから」
(Q.小泉総理とのコンビネーションは)
「うまくやってるんじゃないですか。陽であり陰でありね。プラスマイナスうまくバランスとれてると思いますけど」

“背水の陣内閣”で大連立構想

福田康夫総理大臣(当時)
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歴代2位の在任日数となった官房長官の務めを果たすと、総理大臣の座が突然めぐってきます。2007年、第1次安倍内閣が退陣。直後に行われた総裁選で麻生氏を破りました。父・赳夫氏と同じ71歳の時に、第91代の総理大臣に就任。親子2代は憲政史上初でした。

福田康夫総理大臣(当時)
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福田康夫総理大臣(当時)
「『背水の陣内閣』というふうに言っております。一歩間違えれば自民党が政権を失う。そういう可能性のある内閣だ」

その政権運営は困難の連続。衆議院では自公の与党が多数を占めているものの、参議院は民主党が第一党でねじれ状態。そこで浮上したのが民主党との“大連立構想”です。小沢代表は連立に前向きだったとされますが、選挙による政権交代を目指す党執行部が反対し、合意には至りませんでした。当事者が振り返ります。

小沢一郎前衆院議員(84)
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小沢一郎前衆院議員(84)
「連立の時に、自民党でね、こんなに真っすぐな真面目な人がいるのかと思うくらいね、非常に正直な真っすぐな人柄の総理だったと思います。あの時、連立していればよかったよかったなってね。みんなが言って。ことが過ぎてから言ったって意味ないんだよね。あの時、連立を組んでいたらね、全くその後のね、日本政治の行方は変わっていたんじゃないかなと」

“外交の福田”も1年で辞任

父・赳夫氏らが創設した清和会に所属した福田氏。対立軸を作るよりも、公正・公平を重んじる国民目線の政治家でもありました。消費者庁の設置を決めたほか、公文書の適切な保存などを定めた公文書管理法の制定にも取り組んでいます。“外交の福田”とも評され、北海道洞爺湖サミットでは、世界各国の首脳を前にリーダーシップを発揮。その余勢を駆って、大幅に閣僚を入れ替える改造人事を断行。総理就任が突然なら、辞任発表もまた突然でした。

福田康夫総理大臣(当時)
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福田康夫総理大臣(当時)
「国民生活のことを第一に考えるならば、今ここで政治の駆け引きで政治的な空白を生じる、政策実施の歩みを止めることがあってはなりません。この際、新しい布陣の下に政策の実現を図ってまいらなければいけないと判断をし、私は本日辞任することを決意いたしました」

在職日数は365日でした。

小泉純一郎元総理大臣のコメント
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小泉純一郎元総理大臣のコメント
「約5年半もの間、総理として政権を担うことができたのは、福田康夫官房長官の存在なしには語れません。福田官房長官がいたからこそ、私は外交や内政の重要課題に注力することができました。本当にありがとうございました」

自民党によると、福田氏は22日に亡くなったということです。90歳でした。

高市早苗総理大臣
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高市早苗総理大臣
「今ほど、ご遺族のもとにお伺いをし、福田康夫元総理にお別れをしてきました。悲しみの念を禁じ得ません。福田康夫元総理は内閣総理大臣として国政を担われました。そしてまた、長らく内閣官房長官としても活躍をされまして、豊かな経験と卓越した識見のもと、本当に困難な課題に直面しながらも、ひとつひとつ力を尽くして取り組みを続けてこられました。その偉大なご功績をしのびつつ、改めて謹んで哀悼の誠を捧げさせて頂きます」

引退後も“戦争の前に外交”

2012年の政界引退後もこだわり続けていたのが、日中関係の改善です。在任中には日中首脳による対話を重視。互いに行き来し『戦略的互恵関係』の包括的推進に関して、日中共同声明に署名しました。

戦後80年の節目の年。インタビューに応じた福田氏の言葉です。

福田康夫氏(当時89)
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福田康夫氏(当時89)
「外交は重要。戦争するかしないかなんていう話よりも、外交をしっかりやるということじゃないですか。中国を敵にしたらね、敵としてみたら本当に世の中窮屈になるね。すぐ隣の国なんだからね。言葉も似たような言葉で、全て文化とかそういうものも似通った国。長い歴史も共有している。そういう国がお互いの国民性を理解できないはずがない。さあ日本はどういう国になったらいいかね、これから。そういうことも合わせて考えてほしいと思うよね。若い人たちがどれだけの価値を、これからの社会に残すことができるか。(責任は)重たいと思うよ。だけどね、新しいものを作るという意味ではチャレンジングだよ。戦争なんかしている暇ねぇんだよ」

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