
道路を埋め尽くすバイクと、鳴り響くクラクション。喧騒に包まれたベトナムの首都ハノイ。その中心部に近い、落ち着いた住宅街にある高級サービスアパートメント。
その一室が、彼の仕事場だ。

男性の名はヒエウ・ミン・ンゴさん。37歳。屈託のない笑顔と柔らかな雰囲気が印象的で、流ちょうな英語を話す。若々しく、IT業界で成功している好青年といった雰囲気を纏っている。しかし、かつて、彼には別の顔があった。2億人ものアメリカ国民の個人情報に不正アクセスし、その情報などを犯罪者に販売していたハッカーだったのだ。
現在、彼はブラックハッカーから転身し、政府とも協力するホワイトハッカーとして再び名を轟かせている。禁錮13年の判決を受け、アメリカの刑務所で過ごした日々。なぜコンピューター好きだった少年が闇の世界に足を踏み入れたのか。「一番大事なのは心の平穏」と語る現在の姿に生まれ変わるまでの激動の人生を振り返る。そして今、日本をはじめ世界各地で相次ぐ不正アクセス事件を元ブラックハッカーはどう見るのか。GMO不正アクセス事件の犯人を「素人っぽい」という独自の分析を取材した。
(バンコク支局 金井誠一郎)
犯罪者への扉が開いた日
中学2年生の夏休み。それが、ヒエウさんがハッカーの世界に足を踏み入れたきっかけだった。パソコンが好きで、プログラミングやセキュリティのシステムにも関心があった少年が、夏休みのある日訪れたのは、ベトナム最大の経済都市・ホーチミンにあるインターネットカフェだった。当時は自宅などの通信速度が遅く、ネットカフェの方が快適にパソコンを使えたのだという。
そこで偶然出会ったのが、ハッキングで盗み出した個人情報などを売買する、いわゆるダークウェブやハッカー向けのウェブサイトを見ている人物だった。当時ダークウェブの存在自体知らなかったというヒエウさん。黒と緑を基調にした見慣れないそのサイトは、中学生だった少年の好奇心を刺激するに十分だった。
「その人が入っていたサイトのページはとてもかっこよく見えたんです。尋ねてみると『これはダークウェブだ。ハッカー向けの地下フォーラムだよ』と言われました」
ヒエウさんはその人物から、フォーラムに参加するアカウントの作り方を教わった。そこで、その地下交流サイトでこれまで知らなかった世界を学んでいったという。
壊れ始めた常識
その日から、こうしたサイトなどを通じてハッキングの知識を身につけていったヒエウさん。当初は、知識を吸収すること自体に喜びを感じていて、ウェブサイトへの侵 入などはしていなかったという。
だが、周囲の技術を持つ人たちが、ハッキングしたサイトの画像や名前を投稿する姿に影響され、目立ちたい、自分にもできる、という思いが強くなっていった。そこからは早かった。身につけた技術を使って次々にウェブサイトに侵入し、「Hieu PC」という名前で、その成果をインターネット上で見せびらかすようになった。
ハッキングはさらにエスカレートした。およそ1年後、周囲の人々が盗んだデータや カード情報を売り始めていると気づいたヒエウさんも、情報を盗んで売るようになっ た。
「当時は、ウェブサイトに侵入してカード情報を盗むのはとても簡単でした」
気がつけば、少年は犯罪者になっていた。そこから、悪の道に踏み込んでいった。

「最初は盗んだクレジットカード情報や銀行口座情報を売っていました。その後は盗んだ情報を自分でも使うようになりました。クレジットカード情報を使い、商品を買って転売し、銀行口座を使って金を引き出したりもしました」
逮捕されるかもしれないという恐怖はあった。それでも、あまりにも簡単に利益を得られたため、抜け出すことはできなくなっていた。
裏の顔を持つ大学生
その後、ヒエウさんはニュージーランドの大学に進学する。
「周囲からは、まじめなIT技術者だと思われていました。でも、オンライン上の私は別人でした」

ニュージーランドに渡ってからも、ハッキングを続けた。大学でコンピューターサイエンスを学ぶ一方、現地の人々のカード情報や銀行口座情報を集めていたという。
しかし、ここで最初の転機が訪れる。ニュージーランド警察から電話がかかってきたのだ。
「警察から電話が来て、とても怖くなりました。何もかも置いて、ベトナムに逃げ帰りました」
警察から連絡を受けたことをきっかけに、ベトナムに戻ったヒエウさんは、両親に事情を説明した。「もう二度とこの悪い道には戻らない。もっとまっとうに生きる」と 約束し、悪事と決別する決意を固めた。
ハッカー仲間からの甘いささやき
その後、ヒエウさんはベトナムの大学に入り直し、まじめな学生としての生活を再スタートさせた。しかし、再び転落するまでに時間はかからなかった。
1、2か月後、昔のハッカー仲間らと再会した。ヒエウさんは「犯罪に巻き込まれるのが怖い」と打ち明けたという。すると仲間たちは「もうカード情報を盗むのはやめ よう。銀行口座情報にも手を出さない。危険だから」と理解を示した。そして「代わりに、アメリカ人の社会保障番号を調べてみたらどうか?」と持ちかけた。これが、 ヒエウさんが再びブラックハッカーに転落するきっかけとなった。
「これはただの数字だ」
そう受け止めたヒエウさんは、再び情報を盗み始めた。当時、アメリカ人の社会保障番号はクレジットカード情報より高く売れたという。その後、民間調査会社に入り、 さらに情報にアクセスするための環境を整えた。
約2年間で200万人分の情報を世界中のハッカーやサイバー犯罪者に売ったという。 売られた情報は、偽造パスポートや偽造クレジットカードの作成、税金の還付金詐欺などにも悪用されていたことが、後に明らかになった。 やがて、取得した個人情報は膨れ上がり、アメリカ人の約2億人分に関わる情報にアクセスしていたという。
やめられない贅沢な暮らし

こうして、ヒエウさんは5億円近くを稼ぎ出したという。月に1000万円以上を稼ぎ、高級オープンカーなど複数台の車を所有。家族には詳細を明かさないまま、家族を連れてビジネスクラスで海外旅行に行き、みんなで高級ホテルに泊まることもあっ たという。

終わりへの序章 マークとの出会い
2011年ごろ、作業のほとんどが自動化され、自ら動かなくても金が入るようになっていたという。
一方、アメリカではヒエウさんのビジネスが少しずつ知られるようになり、当局も水面下で捜査を進めていた。その後、ヒエウ氏は個人情報をうまく集められなくなり、 焦り始めていた。まさにその頃、ある人物が接触してきたという。
「その人物は『マーク』と呼ばれていました。本名かどうかはわかりません」
ヒエウさん自身も、データ売買では別人の名前や偽の情報を使っていた。マークは 「アメリカやイギリスのデータベースに接続できる」と持ちかけ、オーストラリアや アメリカ、ニュージーランドに来るように誘ってきたという。
ヒエウさんは「そういう国は危険だから行かない」と断っていたものの、最終的にグアムへ行くことに同意した。
終わりは突然に ー おとり捜査で地獄へ
「当時はハリウッド映画のように島にFBIなどがやってきて自分を捕まえることなんてないと思っていました。島がアメリカ領とは知っていましたが、自分の事件が映画のように展開するとは思っていなかった」
2013年2月7日。グアムに到着したヒエウさんは、空港で逮捕された。マークの誘いは、おとり捜査だった。
「『もう終わりだ』と感じました。成功、富、名声、そのすべてが頂点に達していた時期でした。別荘や家、車、何もかもを持っていました。それが突然何もなくなったのです」
グアムで勾留された施設はとても恐ろしい場所だったという。
「地上の生き地獄だった。ベッドがなく床で寝なければなりませんでした。1、2週間はほとんど食べることも飲むこともできませんでした」
当時は英語もあまり得意ではなかったという。体の大きな囚人からのいじめを受けた こともあった。
「部屋の掃除をさせられるんです。『やらなければ殴るぞ』と」
“善人”に戻るまでの日々
その後、家族の支援を受け、約1億円を支払って裁判に進んだヒエウさん。裁判では、 禁錮13年の判決を受けた。
刑務所に入ってから、ヒエウさんは英語をはじめ勉学に励み、資格なども取得したという。服役中も数々の捜査に協力し、刑期が短縮され、およそ7年で釈放。
2020年にベトナムの地に再び戻った。

心を入れ替えたヒエウさんは、自身の経験を生かしてホワイトハッカーに転身。国家レベルのサイバーセキュリティ対策にも関わり、国際刑事警察機構(ICPO)の会議で講演するなどしている。また、「Chong Lua Dao(ベトナム語で『詐欺に立ち向 かう』の意)」という団体を設立し、サイバー犯罪対策に取り組んでいる。

ブラックハッカー時代を振り返る
「今の自分がかつての自分を見たら、とても恥ずかしい。今は、ブラックハッカーになる必要はありません。ホワイトハッカーも、大金を稼げますし、安全です」
「今はAIもありますから、悪いことをすれば簡単に見つかりますし、必ず責任を問われます。正しい仕事をするのが一番です。毎日、安心して寝られます。一番大切なのは心の平穏です。何の心配もなく、毎晩安心して眠れることです」
日本で相次ぐ不正アクセス
かつてアメリカ社会を震撼させたブラックハッカーだったヒエウさんには、今の不正アクセス事件がどう見えているのか。GMO不正アクセス事件について尋ねると、ヒエウさんは既に分析を始めていた。
まず、攻撃者のウェブサイトについて、AIを使われた可能性を指摘した。

「AIで作られたウェブサイトではないかと思います。かなり怪しい作りです。ごく普通の、かなり簡素なウェブサイトです。私も多くのプログラムを書いてきたので、画面を見ると、このウェブサイトの70~80%ほどはAIで作られた可能性があると感じます」
また、ウェブサイトの名前から推測できることもあるという。

「名前の付け方が全体的に素人っぽく、統一感がありません。プロのハッカー集団なら名前をきちんと決め、ブランドとして一貫して使います」
分析の結果として、ヒエウさんは次の点を挙げる。
「小規模なグループか、特定の個人の可能性があります。分析上は、アジアのタイムゾーンにいる可能性があります。使用言語については文章が専門的ではありません。純粋な中国語でも日本語でも英語でもないように見えます。多くの部分でAIを使って文章を書いた可能性があります」

「通常プロのグループの場合、インフラの分析だけでもかなり時間がかかります。しかし今回は、数時間でかなりのことが分かりました。IPアドレスがすべて公開されています。いつも同じIPアドレスを使っています。メールアドレスも公開されています。非常に素人っぽい印象です」
今後、必要があれば自身の分析をGMO側に提出するという。
暗号資産取引所でも1兆円被害
また、暗号資産取引所大手バイナンスで発生した不正アクセスについても、ヒエウさんは分析している。被害額は日本円で約1兆円に上るとされる。

「GMOの件と比べると、こちらの攻撃者は非常にプロフェッショナルです。長い時間をかけて準備しています。北朝鮮と関係があると考えています。いくつかの暗号資産ウォレットが、過去の事件と関連しているようです。今回の攻撃では、プログラマーか従業員が悪意あるコードに感染した可能性が高いと思います。攻撃者はそこからアクセスキーなどを手に入れ、資金を引き出したのでしょうか」
誰でもハッカーになれる時代への警鐘
「スマートフォンさえあれば、ハッカーになれる。サイバー犯罪者にもなれる」 取材の最後、ヒエウさんは、誰しもが不正アクセスを行う側になり得る時代が訪れていると指摘した。そのうえで、自身の経験をもとに、悪質なハッカーたちに呼びかけた。

「遅かれ早かれ、いずれ捕まります。ハッカーは手がかりを残します。ミスもします。いずれ明るみに出ます。見つかるのは時間の問題です。自分の知識や能力を、地域や社会のため、より良い方向で使ってください」
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