1994年11月27日、一人の少年が自ら命を絶った。大河内清輝くん、真面目で心の優しい中学2年生の男の子だった。自宅の裏で首を吊って亡くなっていたのを母親が発見した。
学校側は当初「突然死」と発表。しかし“あるもの”をきっかけに、「いじめ」の事実が浮かび上がってきた。それは、命を絶つ前に清輝くんが書き残した遺書ーー。4枚の手紙に綴られていたのは、清輝君が受けた凄惨ないじめの数々だった。
「川につれていかれて、何をするかと思ったら、いきなり、顔をドボン。とても苦しいので、手をギュッとひねって、助けをあげたら、また、ドボン。こんなことが4回ぐらいあった」。
凄惨ないじめの実態が、手紙4枚にもわたって綴られていた。清輝くんの遺書が公開されたことで世間の大きな関心を呼び、学校側も「いじめ」があったことを認めた。
しかし、学校がいじめを認めたところで、悲しみが消えるわけではなかった。
清輝君の父・祥晴さんは「苦しみの中から助けてやれなかった、親としての責任、どうしても、たぶん自分の命が終わるまで消えることはない…」と振り返る。
“二度と、このような悲劇を繰り返さないためにー”。全国の子どもたちに向け、祥晴さんはメッセージを発した。
「今、私は清輝がなぜあんなに苦しみ悩み、辛くてしかたがないのに、一人で心の中に閉じ込めてしまったのかをずっと考えています。今、清輝のことが国中で話題にされ、大きな事をしたと慰めてくれる人もいますが、私は彼が何もしないでも、何もできなくても、ここに一緒にいてくれる方がよっぽどうれしい。このくやしい、悲しい気持ちをわかってもらえるだろうか。君たちがぼくも清輝君のようになにかをのこして皆にわかってもらおうと思ったら、それはとんでもない間違いです。辛さにじっと耐えている君たちならわかってくれると思いますが、同じ苦しみ、いやもっと大きいつらさをお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟、友達に残すことになるんです。おじさんのこの苦しさを少しでも助けてやろうという気持ちがあれば、手紙で今の気持ちを、なぜ人に言えないのかを教えてください」(一部抜粋)
メッセージの発表後、全国から1000通を超える手紙が祥晴さんの元に届いた。中には自宅まで訪ねてくる人もいたという。
祥晴さんは70歳になったいまも、悩みを抱える人々との交流を続けている。
(C)AbemaTV
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