「ヘイトスピーチ」という言葉は2013年の「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に入った言葉である。この頃、在日コリアンに対する「死ね」「ガス室に送れ」などといった言葉が路上でデモ隊によって発せられていた。そうした現場を取材し、第34回講談社ノンフィクション賞受賞作『ネットと愛国――在特会の「闇」を追いかけて』を執筆したジャーナリスト・安田浩一氏は今のヘイトスピーチとそこに対抗した「カウンター」と呼ばれる人々について何を考えているのか。12月1日、安田氏から話を聞いた。(取材・聞き手/中川淳一郎)

(写真・安田浩一氏)

――安田さんは元々外国人労働者が不当に搾取されていたり、過酷な労働環境にあることを取材した経験があります。そうした経緯から、在日コリアン等に対するヘイトスピーチに関心を抱いたのですよね?

安田:外国人労働者を取材する過程で、ネトウヨの言説が日常的に飛び込んできました。僕にとっては地続きの取材。外国人、在住外国人の取材をする中避けて通れない問題だと思いました。そんな中、一番わかりやすい形で運動していた在特会(在日特権を許さない市民の会)に注目しました。在特会の目的や、なぜ生まれたのかについては、当時は何も知らなかったです。在特会的な(在日韓国人を差別するような)言説により、世の中に支配的とは言わずとも、ある程度力を持って、ネットで流布されていることに憤りと嫌悪を感じました。僕はそういう立場で取材をしてきたのです。

僕は、在特会については2009年~2010年ぐらいから取材をしていたのですが、2013年からメディアは排外主義的デモを報じるようになりました。ただし、それ以前からも何度も排外主義的なデモは行われてきた。人々が知らなかったのは、メディアが単に報じなかったからです。僕も多くのメディア関係者から「こんなもの放置しておいた方がいい」と言われ、右寄りメディアから左寄りまで「放置すればいい」と言われたものです。

僕も「確かにそうかな……」と思い、取材をやめた時期もありました。しかし、放置することで何も変わらなかった。放置することで差別的なデモの動員数が増え、より差別的に排外的になり、僕としては放置できなくなりました。街頭デモは2013年までやられっぱなし。「在日韓国人は死ね! 殺せ!」といったコールが行き交い。在日コリアンの住むところでもよくありました。もはやなすすべもない状況です。こうしたコールに反対する人はいましたが、声をあげれば取り囲まれ、時には暴行も食らう。警察も見て見ぬふりをしていた。そんな状況の中、2013年2月に「レイシストをしばき隊」が生まれたわけです。

――それまでネトウヨのデモに新大久保のコリアンタウンの人々は「言われるがまま」状態でした。「しばき隊」が出たことはどんな影響がありましたか? ちなみに私は「しばき隊」が登場した時、完全に拍手喝采でした。自分は土日に行われる排外デモに異論を言いたかったけど、実際問題として休みがないので、在特会等が行う中継を見ては「この排外主義者、何言っとるのだ!」と怒ってツイートし、批判的な記事を書いているだけでした。そんな中、「しばき隊」が出てきたことは歓迎しました。


安田:僕は「しばき隊」の存在は心強いと思いましたよ。やっと出てきたな、と思いました。こんなに考えている人がいたのだ、と感動したくらいです。実際に、「お散歩」と称して、在日コリアンの経営する商店で、排外デモ参加者はデモ終了後に恫喝を繰り返していました。これを止めることを目的にした人々が登場し、実際に止めたわけです。

この活動は効果があったと思うし、健全だと思いました。いわゆる「お散歩」を止めたことが唯一の評価と言う人もいますが、ああしたデモが許されないという空気を作ったのは、しばき隊であり、カウンターです。ただ、僕が今感じているのは、昨今のヘイトデモに対するカウンターの参加者は各地でもう知らない人ばかりです。「しばき隊」というのは、イメージの問題として流布されている状況にあります。

「カウンター」の活動に参加している主力は様々な人達です。しばき隊が運動として先鞭をつけたのは間違いないです。社会的に差別デモを包囲するという動きが盛り上がったのはいいことだと今でも思っています。なぜかというと、それまでは当事者が声をあげられなかったからですね。たとえば、東京の場合は在日コリアンのコミュニティは非常に小規模です。そのうえで、コミュニティは各地に分断されています。そうした状況の中で排外デモに対して声を上げるのは怖いこと。ここに在日コリアンではない、当事者以外のカウンターの人々が前面に立って在特会に対峙することは大事だと思います。カウンターと在特会の争いになれば、戦略としては勝ち。当事者が叩かれるのではなく「在特会VSカウンター」という状況に持っていくことが、当事者を守ることに繋がるのです。

カウンターの人々は、何の動員もなく、自発的に集まり、自発的に散っていくものです。そこを現在ネットで流布されているように、おどろおどろしくイメージを作ったのは、「しばき隊」という名称でありイメージかもしれません。実際は一部の暴力的なものを強調し、ネットで広めた人々がいたのかもしれない。しばき隊のコアな人からすれば、予想されていたかもしれないし、そうなるのも当然と思っていたかもしれない。敢えて自分たちがそのイメージを引き受けることで、運動を局地戦に持ち込み、問題提起をするという部分が多かったのではないでしょうか。

――いわゆる「カウンター」と呼ばれる人々はどんな人だったのでしょうか?

安田:カウンターの主力は誰か? と言われれば、それぞれが主力だと思います。あれを「しばき隊」かといえば、数百人がしばき隊だったかもしれません。彼らの存在は、差別の当事者を直接対決の場に引きずりださず、傷つけさせないということは達成しました。あの頃、ネトウヨの動員力と、ネット上における差別的言説はあまりにもひどかったです。あれは、日本に分断と亀裂を持ち込む勢いがあったと思います。それが自覚しないまま広がってしまった。

――あの頃、在日に対する差別への反対意見を述べていたメジャーメディアは少なく、安田さんが反対していたから安田さん自身が「矢面」に立たされていた面があると思いました。

安田:僕のところにも、在日を差別したい人からは毎日のようにネットでも罵倒は来ました。挙句の果てには家に来る人もいました。放火してやるといわれ、僕の家は警察の警備対象にもなったほどです。講演をすることが発表されれば、講演の中止を訴える電話が来る。テレビに出れば、テレビ局に対して「人選を誤るな!」「あんなヤツを出すな!」とクレームが来るのです。そして、このインタビューの聞き手である中川さんにもお伝えしたいことがあります。文句を言いたいのではなく、こういうこともありました、ということです。

――はい。


安田:中川さんは、今回の取材にあたり、僕に電話をしたうえで、出なかったことからツイッターでこう書きました。

〈安田浩一さん、さっき電話したんですが、お出にならなかったのですが、お時間ある時、電話ください。今の「カウンター」「反差別界隈」について安田さんがどう思ってるのか取材させてください。〉

僕はこの時、沖縄にいて、携帯電話の電波がつながりにくい状況でした。そんな中、中川さんからの電話にも出られない状態で、その後このツイートをいただき、すぐに折り返しました。

――はい。40分ぐらいでお電話いただきました。ありがとうございます。

安田:ただ、中川さんのこのツイートがどれくらい多数RT(引用)されたかということがあります。中川さんのこのツイートを見たネトウヨにとっては「安田は中川の電話に出なかった」「安田は中川から逃げやがった」みたいになりました。もちろん、僕は中川さんとは長い付き合いですから、中川さんがそうしたネトウヨ扇動の意図はなかったと思っています。

僕は、こういった形の「叩き」は日常的にやられています。「クソ反日サヨク」とか色々言われます。もちろん、腹も立つし、むかつくし、むしゃくしゃする。でも、慣れてきたところもあります。ネットだけでなく、実際に、カウンターの現場を取材していてもそう。ただ、僕はモノを書く人間のコストだと思っています。そのコストを引き受けることができるか、ということです。何かを書いたらもれなく批判、中傷は来るものです。テレビに出れば文句が来ますし、雑誌に書いても批判は溢れます。それは仕方がない。コストとして引き受けるしかないですし、昨日今日始まったことではない。ずっと繰り返されていること。

それに対し、僕はまだ反論したり、それを外にアウトプットする回路がまだありますし、ネタにできます。ただ、それは、僕だからこそ割り切ることができることですね。色々なメディアで、対談とかしたりするわけですよ。その時に「安田さん、在日コリアンの話題をしないでください」と対談相手に言われたことがありました。「なんでですか?」と聞いたら、その人は「私は在日ですから……」と言うのですよ。僕はこのテレビの出演の時は、あくまでも外国人労働者の問題に関する話をするために来ているのですね。

しかし、外国人労働者の話からの文脈で在日コリアンの話になることをこの対談相手は恐れていた。「私は在日なので冷静にいられなくなります。気持ちとしては、言いたいのですが、私が在日であることがバレてしまう」と言われたのです。他の時も、在日コリアンから「安田さんやしばき隊に頑張ってもらうしかない。私は何も言えません……」と言う人にも何人にも会いました。

言論の自由とか、色々話題になりますが、言論の機会を奪われている人が多いと思うのですね。ネトウヨのデモに対しては「言論の自由を守れ!」と言いますが、今、現実に言葉や表現を奪われ、自らを語ることができず沈黙を強いられる人ってのがいるのです。著名なライターや「識者」の中にも在日はいます。そういう人が在日であることを言えない状況があり、在日について語れず、差別について語れない状況があるのです。それを作り出している社会的な雰囲気には、きちんと反論しなくてはいけない。傷つく恐れのない人間が、反論を続けなくてはいけないと思っています。

――そうした状況には納得できます。「しばき隊」に関する評価を教えていただけませんでしょうか。昨今、私もそうなのですが、しばき隊の活動に異議を呈したり、デモ全般への疑問、韓国への疑問を口にすると集団でツイッターで罵倒してきて、正直私としては「ネトウヨの方が物言いはマシだな……。こいつらはあまりにも攻撃的過ぎる」と思っています。本来「反差別」で考えは同じだったはずなのに一体どうしちゃったんだ? とも思いますね。

安田:しばき隊――いや、「広義の意味」での「しばき隊」ですね。差別に反対するカウンターの仲で、色々な物言いが出てくるのは、必死に何かを守ろうと考えているのでは、という理解をしています。

――安田さんは「しばき隊」ではないわけですね。


安田:そうですね。

――あくまでも、「しばき隊」を含め、差別主義者の活動と、そこへのカウンター活動をつぶさにみていた取材者という立ち位置でOKですね?

安田:取材者であり、同時にカウンターのひとりであると自覚しています。しばき隊を含めたカウンターの活動についても、間違いとか誤りとか、それは何度も繰り返してきたと思います。試行錯誤の連続だったと思います。運動のプロなんて誰もいなかったし、色々なことを間違えたり、誤ったり、右に曲がったり左に曲がったり紆余曲折を経て学んでいる最中です。そこで必死に学びながら、傷ついている人が攻撃の矢面に立っているというのが、カウンター活動です。

――私としては、2013年から2014年あたりの「しばき隊」の活動は非常に高く評価しています。在特会及びその関連団体のヘイトスピーチデモについては「許せない」「アホ」というスタンスでいました。しかしここしばらく、カウンターの側が、少しでも異論を述べる人間に対して攻撃的過ぎる。それで私もアンチカウンターに転じたところがあります。

安田:カウンターの変遷でいえば、色々ありました。暴力的イメージは、内部の議論はあっただろうと思います。紆余曲折があって今の状況なのでは。在特会は、組織とすれば、今はないに等しい。現在の会長代行である菊地内記氏が何を考えてるかは分からないです。組織としての在特会はなきにひとしい。それは喜ばしいことではなく、僕から言わせれば、社会の一部が在特化しているということです。彼らが目立つ状況ではなく、社会の一部が数年前の在特会の主張とかぶるようになっている。特に、ネットでは差別・偏見に満ちた言葉が流通しています。差別の状況がなくとも、とある言説がネトウヨに利用される局面が多数あるのです。

――それは先ほどのオレが安田さんに対して送ったツイッターのメンションの件でもそうですね。

安田:中川さんの例にしても、あれを攻撃に利用する人は後を絶たないのです。それらは正直面倒だし、ウザいと思いました。自分にとって都合の良い言説を鵜の目鷹の目で、探し、利用する人がいるのです。

――しばき隊の件でいえば「十三ベース事件」や「リンチ事件」などと言われる件が昨今話題となり、鹿砦社の『反差別と暴力の正体』でも言及されていますが、これについて安田さんの認識を教えてください。

安田:僕は、これは暴力事件だと捉えています。僕は鹿砦社から回答を求められ、真っ先に返事をしました。暴力事件として罰せられるべきである、と答えています。あの本の醜悪さのひとつが、たとえば現場にいなかった人間を吊し上げることになっている点ですね。暴力事件でひどいよね、と公の場で言えばいいのか? 知っていた内容をツイッターにあげるのが正しいやり方なのか? ツイッターでこの暴力事件について言及しなかったことが「隠蔽」ということになっている。この暴力事件については、加害者の側が謝罪をし、お互いが納得する形で解決すればいいと僕は思い、鹿砦社に回答をしました。

あと、僕は「内ゲバ」や「リンチ」という物言いは違うと言っています。状況は僕は今でも正確に理解しているわけではない。今でも分かっていないです。ただし、警察が動き、結果は出ているわけであり、隠蔽も何もない。当事者との間で決着つければいいし、裁判もやればいいのです。

――実際に裁判になっていますね。

安田:ネット上では、被害者のM君のことを皆でボコボコにしたかのような意見もありますが、音声ファイルを聞くと、皆でボコボコに殴ったシーンはないし、謀議もないです。「隠蔽した」という言い方も、こうして表に出ている以上違和感はあります。この件について、僕が知っている編集者からは情報提供があり、「本当の事件なの?」と言われたことはあります。ある程度この件についてはマスコミは知っていたわけであり、報じるほどでもないと解釈していたといった空気がありました。

――そこはオレの認識と違いますが。


安田:どう違いますか?

――オレの元には、ネトウヨ系記事を書けばネトウヨから散々抗議のメールや電話がやってきました。しかし、しばき隊関連のネタ、いや、カウンター関連も含めたネタを書くと、抗議の電話とメールの数が違うんですよ……。本当に「反レイシズム」を扱うと面倒なことになるので、オレ自身も今回の「暴力事件」については把握していましたが、報じなかった。


安田:なぜですか?

――面倒くさいからです。正直、人員も少ない中、「反差別」を扱って余計なクレームが来て業務が阻害されることは煩わしいんですね。それだけ「しばき隊界隈」のクレームには皆が参っていた。オレは色々な会社と付き合っていますが、いずれも「しばき隊は面倒くさい」ということで、取り扱うことを自主規制している。自衛策は「『反差別』は扱わない」ということになります。それぐらい反差別界隈は、マスコミにも影響を及ぼしていたと思っていますよ。他にもいろいろありますが、ここでは敢えて言いません。そして、在日の社会においても安田さんとオレの間には色々な意見の齟齬があると感じています。


安田:具体的にはどういうことでしょうか?

――辛淑玉さんや、李信恵さんのように、「在日が差別をされている」と、差別と闘う姿勢を示す人がいる一方「辛さんや李さんは余計なことを騒がないでほしい。私は普通に日本人とうまくやっているので、あなたたちのような『在日は不当に差別されていて不遇な人生を送っている』とアピールしないでほしい。あなた方の意見を在日の総意と思ってほしくない。私は平穏な人生を送りたい」という意見です。


安田:在日社会って一枚岩ではないです。在日コミュニティだって色々あります。一世二世、三世かってのがあります。育った環境にも違いがある。その人たちの言説はそれぞれあってもいいです。個々を非難すべきではないです。実際に、叩かれ、傷つく人間がいますし、傷つけている人間は可視化されています。それを僕らは過去には「そっとしておこう」とやっていた。いわゆる「寝た子を起こすな論」ですね。

――島崎藤村の『破戒』にある部落差別の問題と一緒ですね。

安田:そうです。目の前にある差別、差別の煽動に対してモノを言ったうえで、そこから先に動けばいい。モノを言えない社会の方が駄目だと思います。僕は、在日の人々に「お前も戦え」とかを言う気はない。それぞれの立場でやることをやればいい。現実にある差別に対し反論し、対抗言論をぶつける回路がなくなってしまったら、2013年以前の(カウンターがいなかった頃の)社会になってしまう。

僕は、自ら泥水を飲んだ人や、泥水の中で溺れ苦しんでいる人をたくさん見てきました。在日の中には、差別をされている人に時に駆け寄り、近づいて話を聞くことをやっている人もいます。差別のない在日がいれば、それはいいんじゃないかな。ただし、自ら泥水を飲んで、泥をはい回った人を批判するのはおかしいと思います。

――それは、辛さんや李さんみたいな「反差別」の活動をする在日もいれば、殊更に物事を大きくしたくないと考える在日がいてもいいということですね。

安田:そういうことです。

――李信恵さんは安田さんの「情」に甘えているのでは? という指摘をとある過去のカウンター関係者から聞きましたが……。

安田:李さんに対する罵詈雑言、知ってます? あれだけネットで罵詈雑言が浴びせられれているのです。もしも僕が同じ立場になれば、必死で助けを求めますよ。誰かの情にすがりつくことだってする。当然のことです。李さんの場合、まさに矢面に立って戦っているのです。想像を絶する戦いですよ。

――わかりました。ところで、安田さんも散々ネトウヨから罵詈雑言を浴びせられて腹立たないんですか?


安田:当然、腹も立ちますよ。でもまあ、僕自身に向けられたものであれば、別にかまわない。僕自身も汚い言葉を使っていた時期はあります。ただ、それを使うことによって、議論の本質から離れることも多い。そういった「論」みたいなものは、僕の場合、ネットではなく、紙媒体を使うこともできる。汚い言葉については、僕自身は言わないけども、全否定はしていません。

――でも、オレってなんでネトウヨからも「極左」扱いされ、リベラルからも「ネトウヨ」扱いされるんですかね? オレの仕事は基本はネット上で影響力がある人々の論説を紹介することです。別の言い方をすれば、「ネット上で大暴れするバカ」を紹介する仕事。2014年ぐらいまでは、韓国企業と提携したことを発表した企業にネトウヨが不買運動をしかけたりするなど、その行動があまりにもおかしかったので、彼らを叩いていました。


ただし、ネトウヨって、韓国が元気でなければ「養分」がなくてネット上での活動が活性化しないんですよ。朴槿恵政権の反日が弱まったら正直街宣活動する根拠も少なくなってくる。そんな中、2015年以降は、むしろ「カウンター」の側が、自身の活動に少しでも批判的な人間を叩く方向に行き、そこの標的の一つにオレもなりました。オレのことをネトウヨ扱いするカウンターもいます。


安田:中川さんがネトウヨかどうかは違うと思います。ただ、一つ言いたいのは、さっきの「電話」の話ではないですが、今や中川さんがよりネトウヨから親近感を持たれているのは事実です。中川さん的言説を放置して誰が勢いづくのか? それで誰が被害を受けるのか? だからこそ、中川さんの言説を批判する回路は重要です。

――当然そうです。ただ、カウンター側の罵詈雑言のレベルの高さったらすごいですよ。しかも、誰かが号令しているのかはわかりませんが、一斉にツイッターで罵倒が多方面から寄せられる。もうブロックするしかない状況になります。

安田:罵倒を受ければ傷つくのは当然です。でも、圧倒的な数と量を持っているのがネトウヨなわけですよ。彼らから叩かれている側からすれば、中川さんの発言は動員力もあり、差別を煽る人間が、中川さんのツイートに力を得てそのロジックに丸乗りし、自説を強化してくるのですね。そこは、中川さんは発言者としてのコストとして引き受けるべきだと思います。

僕は中川さんのことは、差別的な人間とは思っていません。ただ、言説に関してはネトウヨが動員され、それが恐ろしくマイノリティを攻撃し、差別煽動に使われ、他者を揶揄中傷するロジックに利用されている部分はあります。

――最近「韓国の朴槿恵退陣デモを民主主義の成熟と捉える日本人が多いが、逆じゃないの?」と書いたら、リベラル派から一斉に批判が来たんですよね。

安田:僕もあの記事を読みましたが、「民主主義の成熟=デモがないこと」と確かに読み取れました。デモのない社会である北朝鮮や中国がいいのか? ということです。路上で異議申し立てはしていいですし、韓国のデモは、政権批判で立ち上がったもので、ああしたデモは当たり前の対応を取れたとして評価してもいいのではないでしょうか。

社会的にいびつなところがあるのは当然のこと。そこへの批判は当然あってしかるべきでしょう。韓国って少しずつ社会を変えてきた実績はあります。中川さんが書いた「そんなに好きなら韓国へ移住すれば?」という結論は、ネットによくある偏見を煽る形と読み取れます。ネットでは在日のことを指し「嫌ならば韓国に帰れ」という言説があります。中川さんはそこをなぞって書いている。僕は物を書く時って、カネ貰っている以上慎重に書かなくてはいけないと思っているし、自分なりに本質をわきまえて書く必要があると考えています。中川さんは中川さんの芸としてやっていますので、そこを否定するものではありませんが、そう捉えられたことは間違いない。

韓国のデモに参加した人々が腐敗に立ち上がる回路を見出したのは自然なことでしょう。でも、中川さんのロジックを引用したくなる人ってのは、日本でデモを冷ややかに見ている人。デモを冷笑する人は、中川さんのロジックに丸乗りしています。それが問題だと思う。

中川さんが2009年に書いた『ウェブはバカと暇人のもの』は優れた本だと思っています。ネットでしか、感情発露できない人間のことを相当批判しています。彼らは裏取りという作業をしないし、リアル社会で言えないことをネットで爆発させている人もいる。それを「バカと暇人」と称した。あの時、中川さんは叩かれたと思います。ただ、その中川さんが、ツイッターで自身に対する攻撃に今は過敏になっている。以前のあなただったら笑い飛ばせると思ったんですよ。かつての中川さんは、嘲笑されることが商売だったと思うんですよね。

――オレは元からそんなに寛容ではないですよ。それで、今回安田さんからお話を伺いたかったのが、本来「差別主義者を批判する」立場だったはずのカウンター側が、元々の根源としては同じ思想を持っている人間をなぜ苛烈に叩くようになったのかってことです。根源は同じなのに、活動に異論を呈したり、都知事選でカウンターの人々の多くが支持した鳥越俊太郎氏を批判したら猛烈に叩いてくる、といった現象についてです。


また、去年からカウンターの側で3人が失職し、今、1人が部長職を解かれたといった事態になっています。正しい行為をしているのであれば、なぜこんなことになるのでしょうか? 新潟日報の元部長は自身が「差別主義者」認定した女性に対し「お前の赤ん坊を、豚のエサにしてやる!」とかツイートしていました。「差別はいけない」という「正義」の元ではどんな罵詈雑言でも許されるという解釈を彼はしたのですか?

安田:一部に許されない発言があったのは事実です。批判されるべき、ただ、一方で、じゃあ、「朝鮮人を死ね、殺せ」というデモに出ている人々が十分な社会生活を送っている状況をどう考えるか、です。僕は反差別を唱えるのは、佇まいとして正しいと考えています。そこらへんがネットで出自を暴き、個人情報から人々を追い落とし、クビにすることはやり過ぎだと考えます。そもそも差別扇動する側と、それに反対する側を相対化できるのか。

――元々去年の「はすみリスト」で、カウンター側の一人がリスト作成を報告し、結果的に失職するセキュリティソフト会社勤務のX氏が「広めてやる」と言ったのが発端ですよね。そもそも、「はすみリスト」については、シリア難民を揶揄しているとし、「レイシストだ」と非難されたイラストレーターのはすみとしこ氏に対し、フェイスブックで「いいね」をつけた人が晒されることになった。「いいね」自体は、「悪いね」ボタンがないだけに、賛意以外の意見もあるというのに、一括して「レイシスト認定」をされることとなった。

安田:僕はフェイスブックとかの仕組みはよくわからなかったのですが、「いいね」をつけること自体が差別扇動にあたると思った人が多かったのではないでしょうか。先ほどの中川さんの僕に対する「電話」に関するメンションも同じですが、自分の意図とは別で拡散され、流布されることはあるわけです。それを無自覚に広めることの問題点については、何かの手段で知らしめる必要はあったと思います。そして、結果的にX氏が職を追われることになったのですが、仕事を失うまでのことだったのか? とは思います。あと、「いいね」をすることが、無自覚のうちに差別煽動をしていることをきちんと批判的に捉えるのが大事なのではないでしょうか。それを皆が自覚しなくてはいけない、と思う。そして、これまでに失職したのは、カウンター側だけじゃないですか?

――そうですね。ネトウヨ側で失職ってのはあまり聞いたことがないですね。

安田:今日(12月1日)だって、(カウンターに参加していたとされる人物がいた)大和証券の前でデモをやったり、とかありましたし。

――ネトウヨはいけない。カウンターは立派、という判断ですか?


安田:僕はカウンターを絶対視はしていません。間違いはありますもん。僕自身も、色々な認識の間違いは犯してきました。乱暴な言葉を使うこともありますし、裏取りしないことを事実と言ったこともあります。事実を精査することなく事実であると言ったことはある。認識・判断の誤りはありますよ。皆そうやって誤りも自覚しながらやってきたのです。しばき隊にあらずんばカウンターにあらずという発想はないです。皆、それぞれがそれぞれの立場で運動していけばいいというのは一貫した立場です。

2013年の現場でも、しばき隊として目立ったのはごく一部です。今、地方でも嫌韓デモが発生していますが、カウンターをやっている人は知らない人ばかりです。終わったらさーっとはけてくる。組織だってはいない。「お前どこの誰なの?」といったことは考えずに、各人が正しいと思ってやっているわけです。これは、「差別はいけない」という人が自然発生している状態です。

――カウンターの内部で発生したM君に対する暴力事件についてはどうお考えですか?


安田:暴力事件についてはいけないに決まっています。それは、僕に取材依頼をした鹿砦社にも言っています。ただし、その事件を組織的な謀議があったかのように言い、隠蔽工作があったとか、カウンターの体質論に行くことは違うと思います。

この事件って周囲にいる人間が、ことさら謀議に加わったかのようになっています。そんなことはあり得ない。ただ、振り返ってみて、僕に何かできたかな……と思うことはあります。M君は孤独だったと思います。孤独を分かってあげることができなかった。彼とは2回か3回会ったぐらいで、すごく深い付き合いがあったわけではないが、その時は何ができるか、の選択肢はなかった。振り返ってみた時に、話を聞いてあげるとか、何かができたのでは、という後悔はあります。もちろん、どこの世界にも、たとえばカウンターの中にも、僕も含めてどうしようもない人間はいると思う。みんな学びながら生きているのは事実で、それをカウンター全体と捉えるのには僕は反対しています。

――お話ありがとうございました!


(文・中川淳一郎)


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