昨年3月、『週刊新潮』の報道で5人の女性との関係が浮上した乙武洋匡さん。それから乙武さんはメディアから姿を消し、9ヶ月間の謹慎生活送り、9月には15年間連れ添った妻との離婚を発表した。
一連の不倫騒動を経た今、乙武さんは何を思うのか。
■「"障害者だって悪いことすれば叩かれる"という先行事例になった」
先天性四肢切断というハンデを抱えながらも、ベストセラーとなった自伝『五体不満足』をきっかけにスポーツライターや教師、東京都教育委員など、様々な分野で活躍してきた乙武さん。『清廉潔白な乙武洋匡』のイメージと、5股不倫騒動との間に、大きなギャップを感じた人も多いのではないだろうか。
「自分の人生にとっては、もうちょっと先になってみないと評価できないけど、世の中的には良かったなと思っていて。これまで、障害者がここまでフルスイングで叩かれることってなかったじゃないですか。障害者っていうのは弱者であり、みんなで擁護しなければいけない存在だっていうのが暗黙の了解としてあったと思うんですね。それが障害者だって悪いことすれば叩かれるんだよ、っていう、ある意味で先行事例になったのではないか」。
「メディアは別に僕のこと好きでも嫌いでもなくて、ただ利用してるだけだと思うんですけども、世間は今嫌いだと思うんですよ。1度、僕のツイッター見てください、すごいから。」
実際、乙武さんのTweetに対しては、「お前みたいな重度障害者にテレビの需要はない」「自殺してくれませんか?そんな体じゃ自殺もできないか」など、誹謗中傷の返信が溢れている。
謹慎中、強く印象に残ったのは、ともに"炎上仲間"である、お笑い芸人・ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんのTweetだったという。
「前から僕の事を応援してくださってて、騒動が出た時に(村本さんが)『俺も不倫してたことあるぞ』『じゃあ俺のこと叩けよ』という趣旨のつぶやきをしたんですよ。でも何にも炎上しなかったんです。私刑が物事を決めていくのはおかしいですよね」と"ネット上の世論"に対する違和感を語る乙武さん。
この意見に対し、ジャーナリストの堀潤氏も「刑法があるものは懲役や執行猶予が明確に決まっているけど、刑法がないところでは人が『空気』で裁く。正義の名のもとに際限なく裁いていく。本当にそれは怖いこと」と話す。
乙武さんも「人の感情っていうのは止められないので。僕を見て嫌いだ、"ムカつく"っていう感情は自由だし、その表現も自由だと思うんですよ。大事なことは自分の価値観に従って"嫌い"とか"これはおかしい"と声を上げているのか、みんなが言っているから何となく自分も流されて言っているのか。そこの違いは僕すごく大事だと思うんですよね」と疑問を投げかける。
■過剰な"ポリコレ"に「万人が傷つかないものなんてありえない」
近年、「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が注目を集めている。
「ポリティカル・コレクトネス」とは、性別、宗教、人種などによる差別や偏見などの表現を中立的なものにすることで政治的な妥当性を目指すという考え方のことだ。例えば、男女の差別や偏見をなくすため、「看護婦」という呼び方を「看護師」に変えることなど、日本でも取り入れられつつある。
「例えば僕にとって一番身近なポリティカル・コレクトネスでいうと、障がい者の『害』の字をひらがなにしていく。これは数年前から行われていますけど、漢字のまま表記している人に対して、『おかしいじゃないか』って文句を言うのは違うんじゃないかと思っています。その人にはその人なりのポリシーがあるのかもしれない。もちろん、漢字表記をやめてほしいって思っている人がいれば、その人に対して漢字の『害』を使っては書かないようにしますよ。でも、それをどこまでもひらがなにしていく必要ってどこまであるんだろう」と、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスの風潮に疑問を呈する。
また、"差別ではないか"、"配慮が足りない"といった批判や反対意見が出るとすぐに意見や表現を変えたり、発言を撤回せざるを得なくなっている風潮について「それはポリティカル・コレクトネスという問題よりも、メッセージなり商品なり、ものを世に出していく人が臆病になりすぎなのかなと思っている。ちょっとなんか言われたらすぐ改めるとか、"言われないようにする"っていう姿勢は、一見誠実に見えて過度に敏感にになりすぎ。万人が傷つかないものなんてありえない」と話す。
「それでも僕の人生は続いていく。仮面を脱ぎ捨てて素で生きて行く」と語った乙武さん。これからも彼ならではの活動や発言は、私たちに物事を考えるきっかけを与えてくれそうだ。
(C)AbemaTV