15日、AbemaTVのトークバラエティ『アベマショーゴ 気になる人フカボリSHOW』に、結成20周年を迎えた氣志團・綾小路翔が登場。DJ OZMA誕生の理由や、メンバーとの確執について赤裸々に語った。

氣志團は2001年にメジャーデビュー。当時から綾小路は「実力の大したことないインチキバンドが、3年以内に東京ドームでライブをやる」をテーマに掲げ、「そのために逆算して、2年目には武道館、アリーナツアーの時期はいつで……とか考えていたんですね。メンバーは“何言ってんだ”という雰囲気でしたが」と、当時からメンバーと考えに隔たりあったことを明かした。
その温度差はますます大きくなり、「デビュー早々、ポンポンと人気が出て。俺の中では計算通りのことだったけど、周りのメンバーは不安になってしまったんですね」「アリーナやドームでやれる力量もないし、自分たちの曲も、正直、微妙じゃないかと思っていたようで。今後のためにちょっと時間をくれと言われた」と、メンバーが戸惑っていた様子を明かした。
「どうせ実力はニセモノなのだから、一気に行けるところまで行って、ダメだったら死ねばいい」「メッキを塗って塗りまくろう」と主張した綾小路に対し、メンバーは理解を示さず、「ついに僕もすねましてね。“じゃあ時間あげる。その間、僕は適当にやってる”と宣言して、DJ OZMAが誕生したんです」とDJ OZMA爆誕の理由を告白した。
「だから、DJ OZMAはすごく内向きのモチベーションでスタートしたんです。世の中にウケて、メンバーを後悔させてやろうと」
そんな経緯もあり、当時はメンバー全員がDJ OZMAを毛嫌い。DJ OZMAとして活動していた約2年間、連絡を取ることもなかったという。
綾小路は「氣志團の休止中、メンバーには金だけ払っていたんですけど、これがかえって闇につながった。ノイローゼになってしまったんです」とさらに激白。バンド消滅の危機を感じ、DJ OZMA活動3年目からはメンバーに曲を依頼したり、ダンサーとしてライブに参加してもらうことで “社会復帰の場”を提供し、3年間の空白を経て氣志團復活となった。
「当時の僕は、完全にオネエでしたね。“アタシの存在、どれくらい重いかわかった?”っていう気持ち」と綾小路。「DJ OZMAはメンバーからいまだに嫌われているけど、NHKもマジで出られなくなっちゃったけど、今はメンバーと仲良しです」と、関係修復を笑いながら明かした。
この日の放送は最後まで綾小路節が全開。カメラに向かって「俺は、ニセモノがどこまで続けられるのか実験している。世の中の大したことない奴、クズ、見てるか?尊敬していいのは俺だけだ」とメッセージを送って締めた。

(c)AbemaTV
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