総合格闘技のPRIDEやDREAMを経て、現在はシンガポールのONE Fighting Championshipを主戦場に戦う「バカサバイバー」・青木真也(33)。ライト級の世界王者として11月12日の防衛戦に出場したが、フィリピンのエドウァルド・フォラヤンに3R TKO負けを喫し、3度目の防衛とはならなかった。
青木は自著『空気を読んではいけない』(幻冬舎)で、「飲み会は行かない」「安定を求める」など、独自の生き方をつづるとともに、お金に対する考え方なども明かしている。そんな青木に、「格闘技で生きること」や「フリーランスという生き方」、お金に関することを中心に隔週でコラムを連載してもらうこととなった――。
みなさん初めまして。こちらで文章を書かせて頂く事になった格闘技選手の青木真也です。
プロ格闘技選手と一言に言っても、ピンからキリまであります。大きく二つに分けると格闘技とは別に他の仕事を持つ兼業のプロ選手とファイトマネーで生計を立てる専業のプロ選手です。割合でいうと、専業のプロ選手は1%以下で、「一握り」という表現がぴったりではないかと思います。僕はその中でも、日本で数少ないファイトマネーで生計を立てる専業のプロ格闘技選手として活動していることに誇りと意地を持っています。
僕も最初から専業のプロ格闘技選手だったわけではありません。格闘技選手としてデビューをした時は大学生だったのですが、デビューから数戦は1試合のファイトマネーが10万円を超えることはなかったです。
当然、大学生として将来を考えた時に格闘技を生業にしようと思うことはできず、2006年、大学卒業と同時に東京から地元の静岡に帰って静岡県警に就職します。しかし、「公務員だから楽で安定している」という安易な動機で入った僕が警察官として務まるわけがありません。なんと2ヶ月で退職してプロ格闘技選手をすることになります。
当時は格闘技バブルまっただ中です。大学卒業前に修斗という団体の世界チャンピオンになっていたこともあり、当時世界で一番の格闘技団体『PRIDE』と契約してプロ選手になります。年間で800万円程の契約でしたので、キャリアアップに成功した形にはなります。形だけでリスクをまったく考慮していませんが……。
そこから23歳でプロ格闘技選手としてスタートし、33歳の今までに団体が買収されたり潰れたり様々なバッシングを受けたりしながらも、「フリーランス」としてなんとか生き残ってきました。明日、どうなるか分からないプロ格闘技という職業でここまでやってきたフリーランスとしての生き延び方や、格闘技選手を通じて感じたことをこれからの連載で書いていこうと思います。
格闘技界は、お金や条件については口にしてはいけないという暗黙の了解があります。僕も最初はお金のことを言ったり、条件を言うのが苦手でした。何よりも主張することにより面倒な選手だと思われ、お声がかからなくなることが怖かったのです。しかし主張をしなかったせいで曖昧にされたり、支払いをしてもらえなかったりを経験します。そんなこともあり、主張していかないと、いいように消費され、自分の格闘技人生は終わってしまうと感じました。
それからは自分の意見はしっかりと主張するようにしています。仮にそれで面倒なヤツだと思われたとしても、格闘技選手という仕事は「実力」がモノを言います。しっかりとした実力さえあれば自分の主張をしても良いのです。おこがましい言い方ではありますが、ここまでの10年間で様々な経験をし、たくさんの人に助けられて得た経験として自分の実力で自立できたのかもしれません。だからこそ、実力を磨くべく、日々懸命に生きることが一番大切なことです。
これから、格闘技選手でありつつも格闘技業界に浸かっていない青木真也だから書ける原稿を、懸命に書いていきますのでよろしくお願いします。