今から20年前の1997年2月3日、横田めぐみさんの拉致疑惑が報道された。2002年に小泉総理が北朝鮮を訪問し拉致被害者5人が日本に帰国。しかし、日本政府が第一号の拉致被害者に認定したにも関わらず、日朝首脳会談で生死が伝えられなかった人がいる。石川県出身の久米裕さん(当時52歳)だ。

 高校を卒業後、建設、運送、金融など職を転々とした久米さんは1976年、東京・三鷹市役所で警備員として働いていた。北朝鮮工作員の協力者で金融業を営んでいた在日朝鮮人のA社長から金を借りていたという。

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 ある日、A社長は「密貿易で大儲けするうまい話があるんだ。ひとつ乗らないか?」と久米さんを誘った。金に困っていた久米さんは迷わず快諾。9月19日の午後2時頃、石川県能登町宇出津の拉致現場付近にある旅館にA社長と久米さんが到着。しかし、旅館の女将が、押し黙ったまま食事をする2人に異様な雰囲気を感じ取り警察へ通報。その後、旅館を出た2人が黒のアノラックに作業ズボンをはいており、それを不審に思い警察に2度目の通報をした。

 久米さんが海岸で連れ去られ、旅館に戻ったA社長のところに金沢の県警本部公安課が到着。職務質問し、外国人登録証の提示を求めたが拒否したため、A社長は外国人登録法違反で現行犯逮捕された。

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 公安当局の報告書によるとA社長の自宅からは「乱数表」や「換え字表」が押収された。さらに北朝鮮の工作員から「45歳から50歳の独身の男を拉致せよ。断ると北朝鮮に住む妹のためにならない」と脅されていたことも判明。

 捜査の結果、北朝鮮の関与が明らかになったため、捜査当局はA社長を、人を騙したり力づくで国外へ連れ去った者に適用される国外移送拐取(かいしゅ)罪で立件することを検討した。しかし、裁判で乱数表などが公になることや、久米さんが好きで北朝鮮へ行ったのか騙されて行ったのかの「出国時の意思」を確認できないことを理由に起訴を見送った。

 さらに、2003年1月、警察庁は久米裕さん拉致事件に関し、A社長に指示を出していた金世鎬(キムセホ)工作員を国際手配。だが、その後の進展はみられない。

 拉致問題をいち早く報道した元朝日放送プロデューサーの石高健次氏は「石川県警の公安課は霞が関の警察庁といろいろやり取りしていたと聞いているが、拉致についての意識がキャリア官僚にとって深刻ではなかったようだ。あの時代は拉致がとんでもないことというよりも、せっかく押収した乱数表が公になると、スパイ追跡の全容が見えなくなってしまう。スパイを捕まえるメリットを優先した」。乱数表などの解読により石川県警公安課は警察官にとって最高の栄誉である「警察庁長官賞」を受賞したが、その事実は伏せられた。

 久米さんが無事なら今年で92歳になる。日本政府が北朝鮮による拉致事件であると認めた第一号事件であり、かつ捜査が最も北朝鮮に迫った事件。しかし、北朝鮮は久米さんについて「我が国に入った形跡がない」としている。

 横田めぐみさんが拉致されたのは久米さんの拉致から2ヶ月。警察が事件の詳細を公表していれば、めぐみさんはもちろん、その後の拉致事件は防げたのかもしれない。(AbemaTV/AbemaPrimeより)

(C)AbemaTV

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