「震災が起きた直後に、ご縁があって被災した宮城に足を運ばせて頂いて、写真家さんと一緒に色々な所を案内してもらいながら当時写真を撮ってました」
こう語ったのは、俳優として活躍するタレントの石井正則(43)
「当時の景色がどうなっているかを確認したい。当時と同じカメラ、そして移動手段は当時と同じ自転車で、色々巡ってみたいと思います」

震災直後の2011年5月と8月に石井が訪れ、写真を撮った被災地は、東松島市にある宮戸島、女川町の倒壊したビル、石巻市の高台だった。
「デジタルに疎い」とその瞬間の光を焼き付けるフィルムカメラを愛用する石井は、当時と同じカメラを持って、この3カ所の『現在』を巡った。
まず、最初に目指すのは、松島海岸から海を挟んで反対側に浮かぶ、宮城県東松島市宮戸島だ。途中で寄った旧野蒜駅は3.7メートルの津波を受け、廃駅となっていた。瓦礫は撤去されたが、線路やホームは当時のまま残っている。

駅舎の中は改装され、震災の様子や復興を伝える伝承館になっている。中には、津波で破壊された券売機など、当時の衝撃を物語っているものが残されている。その旧野蒜駅の中で、石井は津波に巻き込まれながらも九死に一生を得たという佐々木勝久さんに話を聞いた。
「指定避難所の野蒜小学校に避難したのにも関わらず、津波が襲ってきた。車に乗って逃げようと思ったら間に合わず、車が船のように浮いた。そこからは記憶がなく、気づいたときには瓦礫の上にいた」と佐々木さん。命は助かったものの、自宅は全壊し、仮設住宅での暮らしとなったという。「1200軒ほどの家がなくなり、半分のが他の地域に移ってしまい、人口が半減した。昨年の10月30日に、私はやっと引っ越して、野蒜ヶ丘という、新しく山を削って団地にした場所に住み始めた」と振り返った。
この地域では徐々に街並みが戻ってきており、石井が「6年経ってやっとなんというか、スタートし始めたという感じなんですかね」と聞くと、佐々木さんは「人はいなくなってしまったが、インフラは7割ほど戻ってきている」と答えた。
続いて石井は目的地の宮戸島へ。宮戸島は、人口およそ600人の小さな島だ。当時は瓦礫が町を埋め尽くしていた。「当時の記憶は曖昧ですが、この道を通ったっていうのは覚えていますね。ただ通り過ぎただけの道でも不思議と覚えているんですよ」と石井。記憶を辿りながら、自転車で道を進む。

撮影場所を特定するために、宮戸市民センターを訪れると、震災直後に訪れた時の石井の写真が。「仙台の美容師さんたちがボランティアでいらしていて、現場の方達の髪の毛を切って差し上げるということをちょうどやっているところに立ち会えたんですよ」と説明した。
宮戸市民センターの奥田邦行さんに、石井が震災直後に撮影した写真を見せてみると、奥田さんは「これは室浜というところ。(写真にうつる瓦礫の一部を指差しながら)我が家はここだった。何もなくなってしまった」と話した。

石井は「この写真を撮ったものの、どこにも、人にも見せることもなかった。撮ってよかったのかも分からない」と話すと、奥田さんは「私は構わないと思う。理由としては、ここで亡くなった人は1人もいない。心病まなくて大丈夫」と回答する。
室浜を訪れたものの、6年前に写真を撮る際に登った建物はすでになく、同じ場所からは難しい。そこで建物のすぐ横の高台から撮影することに。撮れた写真と震災直後の写真を見比べる。
「6年経って…こんなに景色が近いと思っていなかったです。6年経ってやっと道路工事をしているという事実に、ちょっと衝撃を受けました。でも来ることができて良かった」と呟いた石井。
最後に訪れたのは、島唯一の食堂「げんちゃんハウス」。震災後に復興支援として始まったこの食堂は、もう4年になるという。石井が注文したのは、期間限定のしらうお天ぷら定食。しかし、この「げんちゃんハウス」は今月で閉店するという。従業員の似内とみえさんによると、最初はボランティアや、復興の仕事関係の人が多かったが、去年くらいからあまり来店しなくなったという。

復興が次の段階にきているということなのだろうか。石井は「こんなに美味しいお店が閉店するのはとても勿体無いけど、とても元気がもらえました」と笑顔で語った。
石井は、現地で会った人の笑顔も写真に残していた。「笑顔の写真というものは、どんなにピントが合っていなかったり、ふとした際に撮ったものでも、本当に強い印象を受けます。すごく元気がもらえる」。次に訪れたのは、宮城県女川町。女川は20m近い津波に襲われ、7割の住宅が全壊した。被害の大きさを語る上で欠かせないのは震災直後、石井が撮った倒壊した七十七銀行。自転車で、撮影ポイントである町で唯一の総合病院へ向かった。
「ここで撮ったのは覚えているんですよ。今は瓦礫が全部撤去されて、工事が進んでいるっていう。目印になるものが何もない状況なので、ちょっと今悩んでいます」
震災直後に撮った写真と見比べながら撮影ポイントを探し、当時と同じタイプの、中型フィルムカメラで撮影した。撮れた写真と震災直後の写真を見比べ「6年経った今、これがゴールまで何パーセントなのか…。作業は続いているんですね」。絞り出すように語った。
次の目的地は、当時は何もかもが津波に流された石巻市。「日和山という場所から撮影したと思うんですけど。とりあえずその山に向かって走って行きたいと思います」。石巻駅を出発し、日和山を目指して自転車を漕いだ。日和山にある、日和山公園は、震災当日、津波から身を守るため、多くの人が避難した場所である。眼下には、津波にのまれる街並みが鮮明に見えたという。
「あ…この場所ですね。ここだ…」。6年前に訪れた場所が見つかった。徐々に記憶も蘇る。撮影ポイントを発見し、大型フィルムカメラの準備に取り掛かる。
目の前に広がる景色と震災直後の写真を見比べる。「変わってはいるんですけど、記憶を上書きしてくれるほどの変化ではなかったというような。頑張っている方達がいるからこんなこと言っちゃいけないんですけど、まだ遠いのか、というのが一番の印象かなあ」と話す。
震災から6年が経過した。この状況を地元の人はどう受け止めているのだろうか。震災前から日和山に店を構えている喫茶店『かざみどり』のマスターの鶯出貴さんに話を聞く。
鶯出さんは、震災当時お店が無事だったこともあり、100日間もコーヒーを無料で提供していたという。「数年経った後も、あの時のコーヒーが美味しかったと言って来店してくださるお客様もいて、やってよかったなという思いはある」と話した。
石井が「もう6年経ったんだという印象もあるんですね」と聞くと「ええ。しかし基本的にはお客様は被災の話が中心。基本的には私の方から話をしないので、そう言った話を聞いている」と鶯出さんは語った。
「私は喫茶店が好きで、いろんな場所の喫茶店の在り方を見てきたつもりではあるんですけど、話を聞いてくれるマスターがいて、温かいコーヒーが飲める場所があるということは、この場所にとってはすごく大きいと思うんですよね」
自分のお店だけ無事だったことに負い目を感じていた鶯出さんは、最初何をしていいのか分からないままコーヒーを無料で提供し続けた。その後も6年間、この石巻という場所で、大事な役割を果たしている。
石井はこの旅を経て、帰った後にどっと疲れを感じたという。それだけの集中力、緊張感であたった取材だった。「被災地を想像することなんて僕にはできないです。行ってみて肌で感じなければ被災地のことは分からない」。また、どんなきっかけでもいいから、被災地を訪れてほしいと呼びかけた。(AbemaTV/AbemaPrimeより)
(C)AbemaTV
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