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 昨年4月の熊本地震からまもなく1年を迎える。とりわけ震度7を2度記録した熊本県益城町は甚大な被害を受けた。町内の住宅2700棟以上が全壊、1万棟以上が被害を受けた。店など住宅以外の建物も約7割が被害を受けた。

 先週7日、そんな益城町をウーマンラッシュアワーの村本大輔が訪れた。

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 今もなお地震の爪痕を残す壊れたままの住宅や更地を目の当たりにし、「ここに生活があって、住んでいる人がいて、地震で場所を追われて。また家を建てるのに自分のお金がかかるから、建てられないですよね。プレハブとか、親戚の人の家を頼ったり、益城町から出たりして暮らしていくしかないですよね…」と感想を漏らす村本。

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 地震により営業ができなくなった飲食店など、15の店が集まっている"復興屋台村"。「色々なところから物資とか送ってもらったりして。全然知らない人なのに"何か必要なものありますか"と夜中に駆けつけてくれたり。地震できついこともたくさんあったんですけど、良いこともたくさんあったなと」と涙ながらに感謝の言葉を口にする女性の話に、じっと耳を傾けていた。

■反対の声が上がる復興計画を町長に直撃

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 現在、益城町には18カ所、1562戸の仮設住宅があり、およそ4000人が生活をしている。益城町は昨年12月20日、住民生活の再建や安定、災害に強いまちづくりの推進などを目指す復興計画を策定した。実はこの計画に住民の不安が広がっているのだという。

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 復興計画の目玉の一つ、町の中心を走る県道28号線の4車線化。熊本市と熊本空港の間にある益城町では、この道路の3.5kmを4車線化することで、道路沿いを活性化しようという計画だ。総事業費は153億円を予定している。地震発生当時、倒壊した沿道の建物が交通を妨げたことも、道路拡幅の背景にはある。

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 先月29日に益城町で行われた住民説明会では、県の担当者に対し「(道路幅)27mの根拠が全然見えてこない。どこからその根拠を持ってきたのですか」など、厳しい声が上がり、話し合いは平行線のままだった。

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 同町の西村博則町長は「"創造的復興"というのがありますが、まずは町民の皆様方の今の生活再建ですね。これをまず今は一番大事に考えています」と話す。道路の拡幅については「やっぱり安心安全な町を作っていかないと、というのがありますね。災害に強い町というのが頭の中にあります」。住民からの反発について尋ねると「10年、20年、30年…とかけていられるならいいのですが、時間との戦いもあるし、お金との戦いもある。早ければ早いほどいいのかなというのはありますね」話した。

「仮設に住んでいたり、熊本から出ていたりして、自分の土地が無くなるということを新聞で知った人もいる。みんなで"ちょっと待ってくれよ"という時間もない…」と村本。

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 首都大学東京の市古太郎教授は「防災機能を向上させるという意味では一定の合理性があると思う。沿道の建物が倒壊して、通れなくなったということ。今回は延焼火災が発生していないが、道路幅員が広ければ広いほど延焼被害を食い止めることができる。手続きも正当なプロセスを経ている」と話す。その一方、「行政の言葉は難しすぎる。地域の方が計画をきちんと理解できているかどうか。説明会だけでは意見の出しようがない。」と対話の重要性を指摘。

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 阪神淡路大震災で被災、"創造的復興"を目指した神戸市長田区のケースでは、住民のためにならなかったとの見方もある。大正筋商店街振興組合の前理事長、伊東正和さんは「先を見る余裕がない中で良い話をされると、つい協力した方が良いのだなと思ってしまう」「ランニングコストを誰が負担するのか。本当に時間をかけて話し合いをしたのかと言えばしていないですね。固定資産税が多少上がりますよ、と言われても多少ってどのくらいか分からないですよね」と振り返る。

 村本が仮設住宅で出会った小学生の女の子の「仮設住宅を出て家を再建するとなるとローンを組まなければならないため、習い事を辞めなければいけない」という言葉を引き「子どもたちにそこまで我慢させている状況。復興計画の予算を、被災者の生活再建に回せないのか」と疑問を呈すると、市古教授は「沿道の商店、住民が生活再建できなければやる意義が減ってしまう」とし、道路整備と生活再建は一体で行わなければならないと指摘した。

■被災者と酒を酌み交わし、涙

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 市古教授が「仮設に入った方と、そうでない方々、自宅再建した人などが話し合う場にもなる東日本大震災ではできなかった。これはすばらしいこと」と評価する、益城町の仮設住宅の中にある居酒屋。

 取材を終えた村本は、ジャーナリストの堀潤も交え、益城町商工会女性部長として活躍をしている富澤典子さんと内装業を営みながら消防団で復興を支えてきた渡邉靖さんと酒を酌み交わした。

 渡邉さんは町の復興について「人あっての町なので、町の人の声をもうちょっと聞いてもらいたいというのが一つ。住む所まで取られる、働く所も取られるのが良いのか悪いのか」と話す。富澤さんは4車線化について「反対しているわけではない。将来像が見えないだけです。道路を作る目的は何なのか、陳情し3車線にしてくれとか、バスレーンを広げて歩道を作ってとか。そういう陳情は何回かやったことがある。でも27m道路を拡幅やるぞというのは青天の霹靂」。

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 富澤さんはお酒を飲めるようになったことを「地震直後には考えられなかったこと」と笑顔を見せる一方、一年が経ち、あの時と同じ気候に「車に乗って窓を開けた時に、地震直後のにおい、風の感じで記憶がバーッと。涙が止まらなくなって」と明かす。

 仮設住宅の暮らしは快適とは言えない。今月には熊本地震による仮設住宅で初とみられる孤独死も発生した。「仮設はありがたいですが、心がやすらぐ場所ではない」(富澤さん)。色々な決まりごとの中で暮らしていて、音のことでケンカになることもあったという。また、火事を心配して、ストーブを付けるのも我慢し、寒い冬を過ごしていたと振り返る。

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 明治時代から商店を営む矢野好治さんが「この1年間、たくさんの人に支援をして頂きました。益城町は一生懸命頑張っていきますので…忘れないでください」と全国に向けてメッセージを伝えると、感極まった村本は涙を流した。

 「月日が経つに連れて忘れられていく」という富澤さんの言葉に、堀潤が「選挙が無くても政治家は見に来て下さい」と呼びかけると、村本も「震災直後に"熊本頑張れ"ってつぶやいた芸能人の方も来てください!」と応じた。

 益城町で人々と交流、「多くの人に町を訪れてほしい」という声を聞いた村本は、5月に復興屋台村でライブを行うことをその場で決断、被災地への再訪を誓った。(AbemaTV/AbemaPrimeより)

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