5月26日は、奈良県にゆかりの深い、「明日香法」と呼ばれる法律が公布・施行された日(1980年)だ。
奈良県奈良盆地の中央から少し南に存在する明日香村。聖徳太子が生まれたとされるところで、蘇我馬子の墓とされている「石舞台古墳」や、「キトラ古墳」など、歴史的に重要な価値を持つ史跡も多い。乱開発を防ぎ、この景観を守る目的で作られたのが「明日香法」だ。正式には「明日香村における歴史的風土の保存および生活環境の整備等に関する特別措置法」という。
制定されるきっかけとなったのは「飛鳥美人」と呼ばれる高松塚古墳の壁画だ。高松塚古墳が築造されたのは7世紀後半から8世紀前半の間と推定されている。当時の日本は大化の改新などの大きな歴史上の出来事が起き、大陸の文化を受容しながら変革を迎えつつあった時代だ。
発掘に携わっていた考古学者の森岡秀人氏は、大学2年生のときに、研究室の発掘調査に参加、思わぬ大発見に立ち会った。「(1972年の)3月21日の正午前後から昼休みぐらいの間に発見された。時間が経つのが早いくらい、眺めている時間が短く感じられた。圧倒された」と振り返る。
「家の人にも言わないでください。帰るときにも古墳の調査だという程度にとどめてほしい」と箝口令が敷かれる程の大発見だった。その後、壁画は森岡氏らの手を離れ、文化庁によって管理されることになる。
2年後には国宝に指定された「飛鳥美人」だが、約30年が経過した2000年代に入り、カビなどで劣化、見る影もない姿になってしまった。高松塚古墳保存対策検討会の渡辺明義理事長は「あれだけの群落、黒いカビの群落がいっぺんにできたというのは非常に驚き」と話す。
原因の一つと言われているのが「人の手によって開けられたこと」だという。
遺跡などの保存には「現地保存の原則」があり、文化庁もその原則に従って、古墳の中に壁画を残してきた。しかし一度開けられた古墳内部の環境は想定していた以上に変化、壁画に影響を与えてしまったようだ。劣化はエアコンなどで湿度や温度など空気の環境を一定に保つ装置を設置しても防ぐことはできなかった。
森岡氏は「現地保存では防げないという英断をどこかでやらなければならなかった。そういう意味では次の文化財に対する警鐘にもなっている」と指摘する。
劣化した壁画は飛鳥美人だけではない。古墳内の四神壁画である「白虎」や「玄武」も劣化してしまった。2007年以降、壁画はそれぞれ切り出され、個別に修復されることになった。修復作業は10年の予定で、2017年には修繕を終え、元の場所に戻される予定だった。
しかし2014年、計画は白紙になり、"当分の間"、壁画は古墳以外の場所で保存されることになった。古墳壁画保存活用検討会の永井座長は具体的な期間について「それは難しいですね、科学的知見と技術開発によるわけですから」と回答している。
現在、年に数回のペースで壁画は一般公開されている。2017年2月には黒ずんでいた部分が除去された。
見学に来た人は「教科書でしか知らなかった。やっぱり生で見に来てよかった」「次の時代の人達にも残しておくべきだと思う」と話す。
今、修復の最終段階に入っているという高松塚古墳の壁画。今後は専門家とともに作業終了の時期を検討し、作業後も公開を続けていくという。文化庁古墳壁画画室の宇田川滋正氏は「当分の間は博物館のような収蔵庫の環境において管理して、環境の確認をしながら皆さんにも見ていただく機会を増やしていきたいと思います」と話す。
切り出されて10年が経過、古墳に戻るメドはたっていない飛鳥美人は、文化財保存のあり方を問いかけているかのようだ。(AbemaTV/AbemaPrimeより)