今が2017年の6月ということは、あれから15年が経ったことになる。2002年6月23日、さいたまスーパーアリーナで開催された『PRIDE.21』。そのメインイベントは、高山善廣vsドン・フライだった。
今なお語り継がれる、伝説の名勝負。互いの首根っこを掴んでガツガツと殴り合う光景は、格闘技史上に残る名場面だった。壮絶な打撃戦の末、勝ったのはフライだったが、敗れた高山も株を上げた。そういう試合だった。
純粋に勝ちを狙うのであれば、お互い示し合わせたように正面から殴り合う必要はない。フライはテイクダウンからのパウンドが得意だから、ここでもそうするのが得策だったはず。それをしなかったし、高山も体格差を活かすような闘い方はしなかった。
ともにあえてリスキーなファイトをしたのは、彼らがプロレスラーだからだろう。プロレスラーは勝つためだけでなく、観客を沸かせるためにも試合をする。
しかも、である。繰り返しになるが、この試合が行なわれたのは2002年6月。このとき、世間は日韓共催のサッカーW杯に沸いていた。スポーツの話題といえばサッカーだった。
そんな中で、メインイベンターの2人が「ワールドカップに負けてられるか」と意地を見せようとしたことは想像に難くない。
加えて、この大会自体の盛り上がりも今ひとつだった。ボブ・サップはまだ総合格闘技2戦目。エメリヤーエンコ・ヒョードルもスターにはなっていなかった。桜庭和志はこの大会に出場していない。
判定決着が続き、観客のブラストレーションはたまっていた。そんな状況で、高山とフライは凄まじい殴り合いを見せてくれたのだ。誰もが満足したことだろう。
高山とフライは、PRIDEという格闘技のリングでプロレスラーとしての嗅覚を働かせ、観客の空気、時代の空気さえも掴まえていたのだろう。その結果として生まれたのが、あの激闘だったのではないか。