14日、日本外国特派員協会で自民党の石破茂衆院議員が会見を開き、憲法9条について自身の考えを語った。
石破氏は今月発売の『文藝春秋』誌上などで、安倍総理が示した改憲方針について異議を唱えるなど、"安倍一強"とも言われる党内においての発言が注目されており、来年の党総裁選に向け"ポスト安倍"の一人とも目されている。
海外メディアの記者から総裁選出馬について問われた石破氏は「自分がそれにふさわしいと自分で納得しなければ出てはいけないもの」と述べるに留まった。
また、"安倍総理へのアドバイス"を求められると、中谷元元防衛相の"あいうえお"(=あわてず、いばらず、うぬぼれず、えこひいきせず、おごらず)という"アドバイス"について「上手いこと言うもんだなと思った」と話した上で「国会で論戦をするときに、相手の野党を論破すればいいのだとは思っていません。その後ろには必ず国民がいるのだと思っています。その野党の議員の後ろにいる国民に"そうだなあ"と思ってもらえる、そういう説明は安倍さんに限らず、政府にいるものは全力を尽くして、国民の理解に務めなければならないものだ」とコメントした。
以下、本稿では石破氏のスピーチと、憲法改正についての質疑を紹介する。
▼石破氏のスピーチ
■非常に独特なのは第2項
急に憲法改正というのがクローズアップされました。5月3日の憲法記念日という日でありますが、その日に我が党の総裁である安倍晋三氏が憲法改正したいというグループにおいてビデオでメッセージを発表され、同じ日の読売新聞で同じ内容をインタビューに応じる形で発表されたということがありました。そこにおいて安倍総裁がおっしゃったのは、憲法第9条の1項と2項はそのまま残し、自衛隊の存在を第3項として明記することは、国民的議論に値するのではないか、とおっしゃったのであって、これでなければならないと言ったわけではありません。
日本国憲法の原文は英語なので、実は英語で読んでいただいたほうがわかりは早いのではないかと思います。これは9条だけ論じても、あまり意味がありません。イントロダクションというか、前文において何が書かれているかというと、「日本国民は、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と書いてあるんですね。つまり、サダム・フセイン氏も金正恩氏も、みんな平和を愛しているのだ、そしてその人たちは公正な人たちであり、信義に厚い人たちである、それを信頼して我々は生存していくのだ、と日本国民は決意したということになっている。
もしそうでなかったらどうするんですか、ということはどこにも書いていないし、私がいろんな集会で「そういう決意した人は手を挙げて」というと、手を挙げる人はいないんですがね。
この前文を受ける形で、憲法第9条というのは存在しています。つまり、9条第1項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。ずっとやってきたので暗唱できるようになりましたが、そう書いてあるんですね。で、第2項は第1項を受けて、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」というのが憲法9条の規定であります。
憲法9条第1項は、不戦条約の規定をそのまま受けたものでありますので、このような規定は多くの国の憲法に存在するものであって、日本国憲法だけのユニークな規定ではありません。
9条1項にいう「国権の発動たる戦争」とは一体何か。最後通牒を発出して、宣戦布告を行うことによって遂行される国際法上の正規の戦争のことを「国権の発動たる戦争」と申します。「武力の行使」というのは、最後通牒も発出していないし、宣戦布告も行っていないのだが、実際に行われている戦争のことであって、この両者にそんな本質的な差異があるものでございません。「事変」といわれる…「日華事変」とかですね、戦争ではないか実際に戦争を行うことを「武力の行使」といいます。
「国際紛争を解決する手段としては」、ということはどういうことであるか。国または国に準ずる組織同士において行われる、領土等をめぐる武力を用いた争い。これが「国際紛争」の定義です。何かややこしい話をしやがるな、とお思いでしょうが、ことは法律なので、きちんと定義を押さえないと議論になりませんので。「国際紛争」っていうのはそういうものでありまして、それを「解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ということですから、わかりやすく言えば、侵略戦争はしません。自衛戦争は行います。自衛権の行使としての武力の行使は行いますというのが9条1項の意味だ、と理解しています。
ですから9条1項は当たり前のことが書いてあるんです。別に日本独特のユニークな規定ではありませんが、非常に独特なのは第2項であります。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」ということになっています。「その他の戦力」ってなんですかというと、これはヒトラー・ユーゲントのようなものでありまして、義勇兵や義勇軍みたいなものが「その他の戦力」を意味するのであります。そういうものは持ちませんよ、と言っているわけですから、F-15戦闘機を200機持っている航空自衛隊は空軍ではありませんね、最新鋭の戦車を有している陸上自衛隊は陸軍じゃありませんね、イージス艦を6隻持っている海上自衛隊も海軍ではありませんね、そういうことになっています。じゃあ一体何?という問いが当然起こるわけで、「軍隊ではありません」「じゃあ一体何?」「自衛隊です」、これは議論にも何もなりません。
「国の交戦権」って、戦争をする権利のことではありません。戦争の時に用いられるルールが交戦権でございます。物を壊しても器物損壊罪になりません。人を傷つけても傷害罪にはなりません。軍服を着て、明らかに兵士であるということが識別される限りにおいて、捕虜になればジュネーブ条約の適用を受けて捕虜としての待遇を与えられることになります。これを「認めない」と言っているのですから、それがいかに恐ろしいことか、ということを認識する必要があります。
■占領下において作られたものなので無効だという立場には立ちません
日本国憲法ができた時に日本国は独立主権国家ではありませんでした。日本国が独立主権国家となって国際社会に復帰をしたのは、サンフランシスコ条約が発効した1952年4月28日のことでございます。
私は「アメリカが押し付けた憲法なので、もともとその憲法は無効である」という立場には立っておりません。形式的には大日本帝国憲法改正の手続きを踏んでおりますので、もちろん色んな問題あるんですけども、日本国憲法は占領下において作られたものなので無効だという立場に私は立ちません。繰り返して申し上げます。
独立していないときに作られたので、独立に必要な規定がないのは当たり前のことであります。
国の独立を守る組織が軍隊です。国民の生命・財産・公の秩序を守る組織が警察です。かつてマックス・ウェーバーは『職業としての政治』という論文の中で、軍と警察という実力組織ー日本語訳では"暴力装置"ということになっていますが、それを言うと騒ぎになるので言いませんがーを独占的に、合法的に所有するのが国家であると論じています。
似たような組織に見えて、その役割は全く違います。国の独立を守るのが軍隊なので、その作用は対外的に、外に向けて働くものです。内に向けて働くものでは全くありません。外に向けて作用するものであるがゆえに、その行動は国際条約あるいは確立された国際慣習に従うものでございます。警察が外国に行って警察権を行使するということはありません。その作用は対内的なものですから、その行動は国内法によって律せられるのも当然のことであります。
独立を守るための組織である軍隊が否定されているということは極めて異常なことでありまして、独立したからには、政治的な立場とか、イデオロギーとか、そういのとは全く関係なく、そういう組織を持つというのが極めて当然のことなのですが、日本においては軍隊を持つ、それは侵略戦争をするということだ、戦前の日本に戻ることだ、という考えが根強くありまして、なかなか国民の広い理解を今まで得られないできました。独立を果たしたからには、それに必要な組織をきちんと書くべきだというのは実に当たり前のことなのです。そして自衛隊は、名前はどうでもいいんですけれど、独立を守るための組織であり、その行動は条約ならびに確立された国際慣習に従うべきだ、ということはどうしても入れておかなくてはいけません。
■個別的自衛権は良くて集団的自衛権は駄目だなぞということは論理的に出てこない
そして、「専守防衛ってなんだろうか」あるいは「集団的自衛権ってなんだろうか」ということにも、我々日本国民はどこかできちんとした答えを見出さなければなりません。
日本では「集団的自衛権とはアメリカと一緒になって世界のあちらこちらで戦争をする、とても悪い権利である」という考えが一部に根強くあります。これは日本だけの非常に特別な現象であります。
国際連盟が失敗したその原因は、アメリカ合衆国が参加しなかったというのが大きな原因であったので、国際連合をつくるときにはアメリカが反対しないように、という十分な注意が行われました。第二次世界大戦は多くの犠牲を多くの国に与えました。もうあんなことは嫌だということで、国際連合というものを組織し、国が勝手に自衛戦争もしてはいけないよ、どっか悪い国から侵略をされたら国際連合が駆けつけて、そういう悪い侵略を追い払うよ、というのが国際連合の精神であります。
しかしアメリカ合衆国は自分の国の利益が他の国の考えで左右されるのを非常に嫌う国でございますので、国際連合が何を決めようとアメリカ反対したら何も動かない組織にしてくれよ、という強い要請をいたしました。それが拒否権というものでありまして、なんでアメリカだけがそんな権利を持つんだ、うちにもよこせ、と言ったのがソビエトであり、イギリスであり、フランスであり、中華民国でありました。これが五カ国の安全保障常任理事国の拒否権というものであります。ソ連の権利はロシアが引き継ぎ、中華民国は後継国家ではありませんが中華人民共和国が引き継いでおります。
侵略されたら国際連合が助けにきてくれるはずなんだけど、五カ国が反対したら駆けつけてくれない、それはひどいじゃないか、ということに当然なります。だから国連憲章には、国際連合が来てくれるまでの間…まあ大体来てくれないんだけど、自分の国は自分で守っていいですよという個別的自衛権と、関係の深い国々はお互いに守りあっていいですよという集団的自衛権をわざわざ認めているのです。これが認められないということは国際常識におそろしく反するものであり、憲法のどこをどう読んでも、個別的自衛権は良くて集団的自衛権は駄目だなぞということは論理的に出てこない。
9条をめぐる議論は、このことに終止符を打つものでなければならないと、私は固く信じるものであります。
■国民に対して説得をする、そういう勇気と知識を持たなければならない
私は大臣のときに「日本は専守防衛に徹します、これに反することはいたしません」と何度も答弁をしてきました。しかしそれが最も難しい防衛戦略であるということをきちんと国民に説明してこなかったことは、私自身強く反省をしております。
「専守防衛」ってのは、要は「相手の国に攻めていくことはしませんよ、ひたすら国の中で相手の攻撃を耐え忍び、味方が来るのを待ちますよ」という戦略でございます。それは守る体制が非常に強いこと、食料・弾薬・燃料が十分に備蓄をされていること、味方が必ず助けに来てくれること、そして国民が強い意志をもっていること、これが必要であります。これは極めて難しいことであるが、専守防衛を貫くためにはこの4つの条件が必要ですよということを国民にもっと訴えていかなければならなかったと思っています。
つまり9条を論じるにあたっては、軍隊なのかそうでないのか、あるいは集団的自衛権をどのように考えるのか、専守防衛をどのように考えるのか、そういうことを国民に迎えって訴えなければならないのであって、自衛隊の存在を書けばそれでいいというものだと私は思っていません。
そういう議論をするのが今回私どもに与えられた使命だと思います。総裁があのように発言をされたのですから、それを受けて自民党の中で色々な議論がなされなければいけないのであって、国民に対して説得をする、そういう勇気と知識を持たなければならない。自民党というのはそういう党でなければならないと思っています。
中国の国防費は、あと10年以内にアメリカの半分になるだろうと思っています。1989年、天安門事件のあった頃、中国の国防費はアメリカの3%しかありませんでした。ロシアの軍事費も、一番少ないときはアメリカの6%まで落ちました。いまや16%に達しております。この地域の軍事バランスが大きく崩れつつあります。そして中国は安定的に発展していくことは、この地域ならびに国際平和のために必要なことだと思っております。この地域において軍事バランスをきちんと保つことも同時に重要です。
なお北朝鮮に対しては、我が国のミサイル防衛の能力をさらに上げること。そのためにはTHAADよりもイージス・アショアの方が有効であると思っております。
この地域における平和と安全、そして日本国の独立、これを守っていくために今回徹底的な議論をする、それが我々に与えられた使命だと信じています。
▼憲法改正に関する質疑応答
Q.2020年に施行したいという"タイムリミット"について、また、自衛隊の明文化についての見解は。
A.私はずっと以前から憲法改正は早ければ早いほどいいと申し上げてきました。それは私が1957年の生まれであり、安倍さんはたしか1954年のお生まれではないかと思いますが、どちらも戦争を全く知りません。
戦争に行って本当に厳しい体験をされた方、あるいは東京大空襲やあるいは広島・長崎における原爆や、日本各地において戦争で非常に辛い思いをされた方々がこの世におられるうちに憲法改正をしたいのであって、全く知らない世代だけで憲法改正していいと私は思わないのです。
オリンピックはビッグイベントですが、なにもそのときまでにという、そこに論理的整合性はあると私は思いません。1964年に東京オリンピックもありましたし長野オリンピックも札幌オリンピックもあったので、別にオリンピックがあるからというのは論理的な話だと思いません。
早く行わなければならないが、それは議論が粗略であっていいということを意味するものでは全くありません。それは憲法改正をしようとする我々が確固たる考えを持ち、街頭に出てそれを訴え、小さな集会でもそれを訴えるということ。つまりきちんとした知識を習得するということ、それを可能にする行動起こすこと、それが憲法改正の早道なのであって、いつまでが期限だからそれまでにやれ、というのが早くするための手段だと私は思いません。
総裁が「読売新聞を熟読せよ」とおっしゃったので熟読してみたがよくわからない。それは当たり前のことで、3項をこのように変えるぞ、ということはおっしゃっていないので熟読してもわからないのは当たり前。ちなみに読売新聞は読売新聞としての憲法改正試案を発表しており、それは読売新聞が実現したい憲法改正だと思うが、それは安倍さんがおっしゃったこととは全く違うことが書いてある。
想像力の限りを働かせて考えると、1項2項をそのままにして3項を付け加えて自衛隊の存在認めるとすると、「前の2つの項の規定に関わらず、日本国は日本国の独立ならびに国際社会の平和と安全に寄与するため、陸海空自衛隊を保持するものとする」というのが大体のやり方かなと思ったりします。それは法律的には不可能でありません。しかし"前項の規定に関わらず"という憲法のあちこちで採用しはじめると、憲法って一体何だとなりますので、法律的には不可能ではないが、あまり正しいやりかただと私自身には思われない。
Q.憲法改正した場合、それがどのような役割を果たすのか。また、公明党の考え方は?
A.私も大学では法律を専攻いたしましたが、憲法9条について深く教わった覚えがほとんどありません。学んだのは40年くらい前のことですが、今でもほとんど変わっていないだろうと思います。
日本の憲法学は、一部を除きまして東京大学の宮澤俊義先生の影響を強く受けています。この考え方に従えば、自衛隊というのは違憲だということになっておりまして、日本の法律を学んだ大学生の多くはそういう考え方を習ってまいりました。この考え方と違うことをテストで書くと、だいたい合格点をもらえないことになっております。法学部の学生でその状況ですから、それいがいの理科系のかた、あるいは経済系の方、多くの国民の皆さま方がこの憲法9条について深い理解とか問題意識を持っておられないのはむしろ当然だと思っております。
国民の9割以上は自衛隊の存在を是認しております。自衛隊の存在は有用なものだ、日本国民にとって非常に意味のあるものだという理解をしており、これが憲法違反だと明確に認識しているひとはそんなにいないのではないかと思います。ですから総裁のお考えは「それをきちんと憲法に合憲と書こうね」という考え方であって、それは国民の感情にマッチするものだと思います。しかしそれだけでいいのですか、というのが私の問題意識です。
そして、公明党さんの考えは公明党じゃないからわかりません。公明党の方々には随分親しい方もおり、真剣な議論をしてまいりました。非常に平和を追及し、その価値を重要視し、非常にインテリジェンスの高い方々であると認識しています。公明党の方々との真摯な議論なきままに「これだったら公明党さんも多分OKでしょう」みたいな、そういう考え方に少なくとも私は立っておりません。
Q.自衛隊を憲法に書き込むという改正に同意する国民は多いかもしれないが、しかし安倍総理が改正することを問題する人が多いのではないか。
A.誰がやろうと正しいことは正しいわけです。誰がやろうと間違っていることは間違っているのです。
仮に国民の一部に、今ご指摘のことがありとせばですよ、それは今の安倍政権というのは私たちが作ったものなんですね。そうであれば安倍政権というものが多くの理解を得られるように努力をするのが、作った我々の責任ということであります。仮に総裁のお考えや総裁の立ち居振る舞いが国民の共感を得ていない部分があるとするならば、「ここは改めた方がいいですよ」と総裁に向かって言う勇気を我々は持たなければなりません。
私、いままで時の総理総裁3人に向かって「止めてください」と言いましたが、まだ生きてます。誰も命まで取ろうとは言わんでしょうさ。私はそれが議員のインディペンデントな姿勢というものだと思いますね。