将棋の加藤一二三九段(77)が6月30日、東京都渋谷区の将棋会館で引退会見を行った。会見では悲願の名人獲得について「神様のお恵み」と表現した。
―引退した気持ちは
大変すっきりした気持ちです。これからも今までどおりやる気を失わないで、元気よく、これからの人生歩んでいく気持ちですから、非常にすっきりしています。
―1960年の名人戦初挑戦、68年に十段戦で初タイトル、その時の気持ち
私は棋士人生の中で、初期の代表的なことは、第7期十段戦ですね。1期から6期までが大山名人・十段だった。第7期で私が挑戦者となって、4勝3敗でめでたく十段を獲得しました。
大事な十段戦の中で、1手で7時間考えて素晴らしい手を見つけて勝ったこと、自ら戦って感動を覚えたこと。この2つを伝えていけば、将棋ファンは私が感動したことに近いような感動を覚えていただけるんじゃないかと思いました。将棋の棋士という存在は、立派な将棋を指して、それでファンの方々に大きな喜びを与えることに尽きる。確か30歳前でしたが、生涯現役としてやっていく自信も生まれました。
―この一局を挙げるなら
20歳の時に、時の大山康晴名人と名人戦の七番勝負を戦いました。昭和48年(1973年)に中原名人、昭和57年(1982年)3度目の名人挑戦でしたが、中原名人に勝って、念願の名人になったのが最大の思い出です。
7月31日の夜の9時2分に名人になった。95%負けている将棋だったのを、私が逆転勝ちして勝った。念願の名人になったものですから、少し前にイエズズ会の洗礼を受けたこともありまして、95%負けていた名人戦を勝ったわけですから、神様のお恵みだと考えています。
―初の名人獲得は「伝説の十番勝負」だった
1978年の名人戦ですが、その前の昭和52年(1977年)は、名人戦の前に中原さんには、棋王戦、王将戦、十段戦、すべてタイトル戦で勝っていた。名人戦でも自信があったのですが、とは言いながら、中原名人は名人10期の絶対王者。10期目の防衛戦でした。
名人戦となると、絶対にどのタイトル戦より2割方、力をアップしてくるのは知っていた。名人戦は中原さんにとって最後の砦。ですから、そう簡単に勝たせてくれないとは思わなかったが、負ける気もしませんでした。ついに実現した時は、勝った将棋を見た瞬間、「ああ、そうか」と叫びました。20歳のころから名人戦に魂を燃やして戦ってきたけれど、22年後についに名人を獲得して「やったー、ああそうか」と叫んだんですね。
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