現在の新日本プロレス、その躍進を語る上で欠かせないのが、真壁刀義の存在だ。
“スイーツ真壁”としてテレビの人気者となり、一般的知名度はプロレス界でもトップクラスだろう。その一方、リング上で見せる重厚で迫力に満ちた闘いぶりもファンの支持を集めている。
しかしこの真壁、もとはといえば叩き上げの苦労人。いわば雑草だ。新人時代は上の世代とも下の世代とも年代が離れており、孤独を味わった。ほぼ同期なのはレスリングエリートの藤田和之だから、真壁はなかなか目立つことができない。
海外武者修行も、イギリスまでは順調だったが、次に向かったのはプエルトリコ。土地柄もレスラーの気性も荒い。「ブルーザー・ブロディが刺された場所」として記憶しているファンも多いのではないか。そんな場所に送られたことを、真壁は「適当にやってこい」という会社の意思だと判断した。出世コースから完全に外れたということだ。
実際、帰国してからもブレイクの兆しは見えなかった。ある大会では「真壁は呼んでないよ」とまで言われ、観客の失笑を買ってしまう。
こうした屈辱で、真壁は変わった。新日本のレスラーだというプライドを捨て、インディーマットに参戦。有刺鉄線、テーブルとなんでもありのデスマッチで、ヒールとして名を上げていく。
新日本でもヒールとして台頭。ユニットG・B・Hも勢力を拡大した。ヒールとはいえ、誰よりも体を張っていることはファンにも伝わる。現在では“暗黒期”とも呼ばれ、真壁自身も「クソみてえだった」という新日本に熱をもたらしたのだ。
そんな真壁の奮闘がピークに達したのが、2009年のG1クライマックス(8月10日(木)19:23~AbemaTVで放送)だった。決勝では真壁と対極のエリートレスラー人生を歩んできた(それゆえの悩みもあったのだが)中邑真輔と対戦。得意のキングコング・ニードロップを炸裂させて優勝を決めた。準決勝でノアの杉浦貴を破っていることも、優勝の価値を高めたと言っていい。
真夏の頂点に立った真壁は、リング上で言った。
「お前らみてえな奴には死んでもいいたくねえけどよ。今回は...サンキューな」
血まみれでのし上がってきた男の、精一杯の感謝の言葉。もやはこの時、真壁はヒール、ベビーフェイスといった立場を超えた存在になっていた。G1 史上に残る名場面、名台詞である。