“キングオブFリーグ”森岡薫。名古屋オーシャンズでFリーグ9連覇を果たし、個人としてもMVP4回、得点王4回を獲得した、まさにフットサル界の頂点に立つ王様だ。
「森岡薫はスペシャルな選手。あの決定力はワールドクラス」
そう言ったのは、2016年までフットサル日本代表を率いていたミゲル・ロドリゴ前監督だった。若い選手を積極的に起用し、30歳以上のベテランを入れ替えていったスペイン人監督も、森岡だけは「代わりがいない選手」として例外的に呼び続けた。
2015年には、フットサル版の“バロンドール”にあたるFutsal Planetが選出する世界最優秀選手賞の最終候補10人にもノミネート。ブラジル代表のファルカン、ポルトガル代表のリカルジーニョなどスーパースターと並ぶ、世界的選手として認められた。
栄光に満ちた森岡のフットサル人生。だが、そんな男はかつて、手が付けられないほどの“ワル”だった——。
1979年、森岡は南米のペルーで、日系人の父とペルー人の母の間に生まれた。幼い頃の森岡は、「ボールがいちばんの友達」だった。家の前にある道路、本人曰く「専用グラウンド」でひたすらストリートサッカーに明け暮れていた。
森岡の代名詞である力強いシュートや、何人に囲まれても失わないボールキープの原点は、この少年時代にある。11歳のときには全国大会に出場して大活躍し、強豪クラブからオファーをもらうなど、サッカー選手として将来を期待されていた。
そんな森岡に大きな転機が訪れる。12歳のとき、父親の仕事の都合で日本に行くことになったのだ。言葉もわからない、友達もまったくいない、文化もまったく違う。そんな場所で過ごすことになった森岡少年に追い打ちをかけたのが、父と母の離婚だった。
「家に帰ってきて、ドアノブを開けたら、母親の荷物はなくなっていた」
それは日本に来てから、わずか2カ月後の出来事だった。
“出稼ぎ労働者”だった父親に合わせて、中学時代の森岡は転校を何度も繰り返した。そのたびに友達関係はリセットされてしまう。
そして、4度目に転校。その学校で最初に声をかけられたのが、いわゆる“ヤンキー”だった。「とにかく、友達がほしい」。そんな寂しさから、不良仲間とつるむようになった。
ここから、森岡の生活はどんどん荒んでいく。高校にはなんとか入ったものの、金髪で入学式に出席した森岡は、帰り道にケンカしていたところを通報され、無期停学処分を受ける。謹慎処分が解けて登校を許されたものの、すぐに問題を起こして学校から退学を命じられた。たった1カ月で、森岡の高校生活は終わった。
「学校に行かないと、やることがなくなって、ケンカばかりしていた」
学校を一緒にやめた仲間と駅前でたむろして、気に入らないやつがいればケンカをふっかける。ペルーで空手をしていた森岡はケンカの強さには自信があった。必殺技は上段突きからの、高速ワンツー。地元では有名なワルだった。
そんな生活を続けて、17歳のとき警察に逮捕された。
1カ月半の留置所・拘置所生活は、森岡が「今でも思い出したくない」というほど辛いものだった。自分の意思で行動することは許されず、運動や入浴以外はじっと部屋で過ごす。アルコールや薬物依存、スリ、密輸入……。あらゆる悪事を働いた犯罪者たちの中で過ごしていると、もう自分の人生は終わったと絶望的になった。
「今でもきつい練習をする時は、あのころに戻りたくないと言い聞かせることもある」
初犯ということもあって、執行猶予がついた。ひとまずは自由の身になれた――。そんな気持ちになったが、すぐに天国から地獄へ突き落とされることになる。裁判所を出た森岡を待っていたのは、ペルーへの強制送還のピンチだった。
日本で犯罪をおかした外国人は、入国管理局によって強制送還の手続きがとられることがある。ただ、12歳の時に日本にやってきて親も離婚している森岡は、なんとか強制送還を免れ日本に残れることになった。
落ちるところまで落ちた森岡を救ったのが「フットサル」だった。高校を退学した後、サッカーは1回もやっていなかった。とにかくボールが蹴りたい——。コンビニで読んだサッカー雑誌で「個人参加フットサル」の広告を見つけて電話で申し込んだ。
フットサル道具は持っていなかったので、家にあったジャージとTシャツにスリッポンでプレー。何年間もケンカしかしていなかった森岡にとって、フットサルは「想像以上にハードだった」。ただ、ボールを蹴って汗を流すことは、「最高に気持ちよかった」。
そして、フットサルに出会ったことで、森岡の人生は大きく変わっていく。競技フットサルの世界に誘われそこで頭角を表すと、25歳で当時の日本最強チーム・ファイルフォックスに入団。その1年後には発足したばかりの日本初のプロチーム、大洋薬品バンフ(名古屋オーシャンズの前身チーム)にスカウトされ、プロ選手になった。そこから数多くの困難を乗り越え、死に物狂いで勝ち続けてきた。
「フットサルに出会っていなかったら、自分はどうなっていたかわからない」
名古屋にいたとき、森岡は非行歴や補導歴のある少年・少女に向けたフットサルクリニックを開催していた。ドロップアウトしかけた自らの経験を語り、ボールを通してコミュニケーションを取ることで、立ち直る勇気を持ってもらうためだ。そのときに、いつも伝えた言葉がある。
「過去は変えられないけど、未来は変えることができる」
38歳になった今も、森岡はペスカドーラ町田のエースとして、キャプテンとしてチームを牽引し続ける。「未来は変えられる」。“キングオブFリーグ”の生き様は強烈なメッセージを放つ。
森岡が出場するFリーグ第11節ペスカドーラ町田対シュライカー大阪の試合は、AbemaTV(アベマTV)のSPORTSチャンネルで20日16時45分から生中継される。
文・北健一郎(futsalEDGE編集長)