UFCへの源流の一つともいえる格闘イベント「PRIDE」の名勝負を連日放送しているAbemaTV。9月6日は、2006年の「PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-」を放送する。地上波放送がなかった幻の大会だが、あの試合で「もしかしたら皇帝ヒョードル超え」の可能性があったかもしれないのだ。
「PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-」は、大晦日のお茶の間に流れなかったという意味でも幻の大会の一つだ。しかもセミファイナルが、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラvsジョシュ・バーネット、メインがエメリヤーエンコ・ヒョードルvsマーク・ハントと当時最高峰と言われた外国人ファイターが務めていた。
さて、現在もUFCで現役バリバリでヘビー級戦線に参戦中のマーク・ハントだが、K-1経由で総合格闘技の道へと転身したのが2004年のことだ。K-1の試合での度重なるヒザの負傷と1年半にもおよぶリハビリを経て、復帰後のPRIDEへ参戦には賛否両論あったが、デビュー戦の吉田秀彦から経験不足からあっさりと一本をとられ敗戦するも、その後はヴァンダレイ・シウバ、ミルコ・クロコップに判定勝ち。西島洋介、高阪剛とTKOで倒し破竹の5連勝とMMA転向に感触を掴む。さらに上の目指す過程で、無差別級GP2回戦でジョシュ・バーネットのアームロックに沈むも、次に与えられたチャンスが、最強の王者、エメリヤーエンコ・ヒョードルとの対戦だった。
当時のヒョードルといえば、まさにキャリア上無双時代の最盛期。PRIDEでアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに完勝、ミルコ・クロコップやマーク・コールマンといった相手も退け対戦相手がいない状態。その時に現れたのが「K-1 WORLD GP 2001」の覇者マーク・ハントだったのだ。
この2人の試合の注目は「打撃vs打撃」。序盤、パンチでプレッシャーをかけるハント。速いストレートがヒョードルの顔をかすめ、ローを叩き込むなどスタンドでの攻防で主導権を握るが、ヒョードルに掴まれるとハントはあっさりとテイクダウンを許してしまう。寝技に難のあるハントを腕十字で一本という定石どおりの攻撃を何とかこらえる攻防から何とか逃れるシーンなどは、マーク・ハントの進化も感じられる。
試合の中盤はハントが上になる場面をヒョードルが凌ぐ場面も。グラウンドでのパウンド技術がもう少しハントにあればという場面だ。その後のスタンドの攻防でもハントはかなり強力なパンチをヒョードルに当てさらにテイクダウンに成功、最終的に寝技での攻防でヒョードルのアームロックで一本とられてしまう訳だが、この試合、組合いでも互角に戦い抜いたマーク・ハントに「もしかしたら…」と思わせる場面が多かったのも確かだ。
その後もチェ・ホンマン、その後UFCヘビー級王者となるティム・シルビア、アンドレイ・アルロフスキー といった強豪を次々と倒していくヒョードルだが、4年後の2010年、ストライクフォース参戦でのファブリシオ・ヴェウドゥム戦で敗戦、その後も2連敗し皇帝伝説は崩壊を迎えることとなる。
ストライクフォース、ベラトールとアメリカへの2度の進出で負け続きのヒョードル。40歳という年齢を考えるとピークは過ぎた感はあるが、その後MMAファイターとして、自慢の打撃と腰の強さで未だにUFCヘビー級の上位ランカーとして君臨するマーク・ハント43歳。2006年幻の対決で「皇帝超え」が実現していたら、MMAの歴史は大きく変わっていたかもしれない。