テレビのゴールデンタイムで活躍を見せるタレント・久本雅美と柴田理恵。この2人を輩出したのが「ワハハ本舗」だ。小劇場ブームのさなかの33年前、産声を上げた。テレビでは見られない過激な内容が観客に受け、人気劇団へと成長を遂げた。舞台を見た観客は「やっている内容は下品なシモネタ的な感じもあるけどそれがいやらしくない」「日頃を忘れて思いっきり笑える所。ハッピーになれる感じが大好き」と絶賛する。
そんなワハハ本舗の創業者が喰始(たべ・はじめ)だ。数々の伝説的な番組の放送作家で、ワハハ本舗では作・演出を手がけるだけでなく、自ら出演して踊りも披露する。劇団員からの信頼は厚く、"看板女優"の久本も「箸にも棒にもかからない私のような者をずっと面白いと信じ続けてくれて。"絶対面白い"って励まし続けてくれて、持っているものを引き出してくれた。本当に感謝している」と話す。
喰は一体どうやってこの個性派集団をまとめ、一大劇団に育て上げたのか。その秘密に迫った。
■きっかけはガチョーンと永六輔
1947年に香川県高松市に生まれた喰。高校時代は演劇部に所属し、大学は日本大学藝術学部映画学科に進学する。上京して大学に入学した時に、一枚の張り紙が目に飛び込んできたという。「『僕と一緒にバラエティの勉強をしませんか?』っていう永六輔さんの張り紙があって」。導かれるように永の元へ足を運ぶようになった。
また、当時テレビ番組『シャボン玉ホリデー』、そこに出演していたクレイジーキャッツの大ファンだった喰は、ある時、面白いと感じた放送回のクレイジーットに『作・構成:谷啓』と書いてあることに気づく。それから毎週、クレイジーキャッツにファンレターを書き始めた。「今じゃ考えられないだろうけど、週刊誌に個人の住所・名前が載っていた。『どうせ見ないだろ』っていうくらいの気持ちで書いていたんです」。
喰が書いたファンレターは一風変わったものだった。「クレイジーキャッツの出てる映画を見て『今回もひどい作品ですね』と感想を書いて。最後に自分で考えたギャグを付け足していたんです」。ギャグは毎回5つくらい考え、"趣味"のレベルに達していた。そのファンレターは、谷啓の目に留まっていた。「2、3年後にテレビの仕事するようになった頃、『はがきを女房ともども楽しみにしていました』って言われて。それは大感動でしたね」。
もともとは映画監督を目指していた喰だったが「当時、青島幸男さんが『鐘』っていう短編映画を撮って、カンヌ(映画祭)に出品した。映画業界だと下積みでなかなか映画を撮らせてもらえない。でも青島さんを見て『売れれば誰でも作れるんだ』と。なら放送作家もいいかもね」と、進路変更を決断する。すると放送作家としての才能を認められ、人気番組『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』に19歳でデビューすることになった。
■「台本のない舞台」が原点に
その後、34歳でワハハ本舗を結成、全公演の作・演出を自ら手がけるようになる。しかし一度だけ、大きな失敗をしたことがある。なんと、台本を書かなかったことがあるというのだ。
「劇団って、役者や芸人は上手く行ったら自分の手柄、でも失敗したら台本が弱いとなる。だから書かなかった。役者たちが自分で考えてやったら自分の部分がだめなんだなと自覚すると思った」。無論、役者たちは大反対。「公演は中止にしてカネを返そう」という意見が大半を占める中、喰は舞台を敢行した。ネタは営業で各団員が披露していた演目だった。
柴田理恵はこの時のことを「ショックだったし、大変でした。お客さん一人ひとり電話してアンケート書いてくれた人に電話しました。申し訳ありませんでしたって。面白いネタを組み直して、新作ではないですが、"ザ・営業"っていう形にしてその場をしのぎましたね。それはすごい面白いものだったから、それがワハハ本舗の原点にもなっている」と振り返る。
ワハハ本舗といえば攻める笑い。今では当たり前のように上演する"裸タイツ"も当初は警察沙汰になった。
「『裸の黒子』という芸があって。顔だけ黒くして股間を小さな黒子の布で隠して客にハンカチを振って隠して下さい、という仕掛けだった。横目でみると"見えちゃう"。それで通報された」。それでもめげないのが喰という男だ。「見えて何が悪いのという意識もある」とまで言ってのける。そんな喰だけに、今のテレビに対しても、「一番嫌なのは自己規制をすること。文句が来る前に辞めとこうっていうのがある。1つの文句が来る裏側には、99は褒めてる意見がある」と手厳しい。
■自分たちに課した独自のルール
そんな型破りな興行を行うワハハ本舗だが、ユニークさは独自のルールにも垣間見える。創業当時にできたルールの一つが「青山に稽古場を借りる」ということだ。「他の劇団を見ていると稽古のたびに、どっかの公民館を安く、タダで借りられるところに行く。でもそれは気持ちが貧乏くさくなる。"貧乏"なのはしょうがないけど、"貧乏くさい"のが身についちゃうとなかなか削ぎ落とせない」(喰)。だから青山で創立し、カネは喰自身が出した。もちろん家賃は高かったが、企業イメージ(=劇団イメージ)を高くするためだった。
それだけではない。「採用は不幸の履歴書」によって決めるというルールもある。「まず自己紹介で不幸の履歴書、つまり自分の身に起きた不幸なことだけを言う。不幸の話の方がすぐ仲良く慣れる。『どうなの?どうなの?』と話も弾む。やっぱりどこかで価値観を変えたいと思っている」(喰)。不幸な身の上話ばかりが「面白い」とフォーカスされるようになると、普通の人生を歩んできた人は「負けた」と思うようになるのだという。
また、出演者のギャラは観客動員歩合制でだ。「小劇場って、ギャラはないんです。基本的に持ち出し。それが嫌で。チケットノルマという言葉も嫌で。その代わり、ギャラは歩合制。1人入ると1円とか。最初は50銭とかだった。50銭だと100人入ってもギャラは50円。でもそれがだんだん1円になり、5円になり、100円になった時は『バンザイ!』でしたね」。
■現座長「もうちょっと偉い人にヘコヘコしてくれ」
喰を「奇才・天才」と評する久本は、今もワハハ本舗の舞台に立つ。「ワハハ本舗のお笑いのワールドは世界にないと思っている。私も『忙しいのによくワハハ本舗続けてられるね』って言われる。でも私の原点はワハハにあるから。そこなくして私は語れない。ワハハ本舗から離れたら私自身がなくなる。血であり、肉であり、骨であり、根本。まぁ、こんだけ褒めたら十分でしょ(笑)」と"マチャミ節"で、ワハハ本舗への愛を語る。
久本と並ぶ"看板女優"の柴田も「喰さんの作品には、会社で言ったら経営方針にあたる部分で『ブレ』がない。どんな時流が来ようとも『僕たちはお笑いです。お笑いで人を楽しませるんです』。この一点」と断言。
2人のブレイクについて喰は「久本のオカルト二人羽織っていう芸がテレビで取り上げられた。テレビが作家の時代ではなくてタレントの時代に変わってきて、タモリや所ジョージなど、みんなが知っているタレントが番組に登場するようになった。自分としてはタレントに寄っていくのが嫌で。だったらタレントを作っちゃえばいい。自分が手掛けた人間が売れたら『あれは俺がやったんだ』と言える」と独自の見方を披露する。
現在、ワハハ本舗の座長を務めるポカスカジャンの大久保ノブオは「喰さんって、位や役職に順位をつけて付き合わない。上だから媚びたり、下だから強く出たりしないところが好き。逆に言えばもうちょっと偉い人にヘコヘコしてくれ、と思いますね(笑)」と話す。
そんな喰が仕事の上で最も大切にするのが「信じられるやつ、人を裏切らないやつ」だ。「才能あるやつは来てもすぐ辞める。それよりも絶対に裏切らないやつが大事。その代わり、こっちも絶対に裏切らない」。そんな人間関係を維持することが、厳しい業界で生き抜くための秘訣のようだ。
経営哲学は"越しても越してもホンダラホダラダホイホイ"。「これは植木等、クレイジーキャッツの歌からの引用。越えても越えても山がある。だったら越さなくてもいいじゃない、と」。いずれは越えていくのだから、もっと気楽な気持ちでなんでもやろうという、喰なりのエールだ。
正面から笑いと向き合い、真剣にふざけ続けた男は、気づけばお笑いの最前線を走っていた。「辞められない、好きなんだもんね」、少年のような笑顔でそう語った。
(AbemaTV/『偉大なる創業バカ一代』より)