人気プロレスラーだった故・ジャンボ鶴田さんの息子、鶴田祐士さんがツイッター上で「ジャンボ鶴田の「オー!」の起源を教えてください」と投稿、プロレスファンから数多くの「諸説」が寄せられた。
鶴田さんの息子さん祐士さんが自身のツイッター上でプロレスラー、ジャンボ鶴田を知るファンに投げかけた質問は「非常に恥ずかしい質問を一つ、聞いてもいいでしょうか?父、ジャンボ鶴田の「オー!」の起源を知っている方、教えていただけますでしょうか?いつ頃から使い始めたのかも教えていただけると嬉しいです。」というもの。
これに対して「ジャパン勢が全日本に来た頃じゃないですかね?」と長州力らのジャパンプロレスが新日本プロレスから移籍し、ジャンボや天龍源一郎らと抗争を繰り広げていた時期という1984年から数年間の間に生まれた説や、「五輪コンビの谷津さんと、タッグを組んだ87年くらいかな」ともう少し後ではという意見も。
1980年のチャンピオンカーニバル決勝から始めて~84年位は「オー」ではなく「ウォー」だった。85年以降は85年位から「オー」。観客からの「オー」コールが定着したのは90年以降と、さらに明確にジャンボのリング場でのパフォーマンスの変遷を記す人や、「かつて(勝ちきれない)善戦マンと呼ばれた頃にアンチファンが「オー」という野次を飛ばしていて、それをジャンボが逆手にとった」という新証言があったりと議論は白熱。
結局のところ息子さんの質問の起源についてはハッキリとした答えはでてこなかったものの、必殺技ジャンピングニーパッドが決まった後に髪をかきむしり観客に向かって「オー」と掛け声をかけるジャンボ鶴田の勇姿を、多くのファンが鮮明に心に刻んでいるようで「お父さんは本当に強く素晴らしかったです。夢、希望をたくさんいただきました。今も時々ですが、頭の中でJが鳴り響きます。そして右手を握りしめ、オーっをする姿は、僕にとって、いつまでも、忘れることはありません。」という熱いメッセージも寄せられていた。
プロフィールには現在、映画監督を目指していると鶴田祐士さん、ツイッター上では朝の挨拶で「オーはようございます。」とジャンボの「オー!」と二代で継承している。