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■剣術家「普通の神経では日本刀で人間を斬ることはできない」

 江戸時代初期に創建された富岡八幡宮は、江戸三大祭のひとつ「深川八幡祭り」でも知られる歴史ある神社だ。角界とのゆかりも深く、江戸勧進相撲発祥の地とされており、今年6月には横綱・稀勢の里が土俵入りを奉納している。そんな「深川の八幡さま」で起きた殺傷事件。宮司の富岡長子さんが、隠れていた実弟で元宮司の茂永容疑者に刃渡り約80cmの日本刀で首の後ろと胸を刺され、病院に運ばれたが死亡が確認された。長子さんの男性運転手は逃走したが、茂永容疑者の妻・真里子容疑者に100mほど追いかけられ、日本刀で腕を約50cm斬られ重傷を負った。犯行後、茂永容疑者は神社の敷地内で真里子容疑者の胸と腹を刺し、自らも胸を刺して自殺を図った。

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 長子さんへの斬りつけは4度にわたり、日本刀は二つに折れた状態で発見された。事前に凶器を準備しており、長子さんの傷も深かったことから、警察は強い殺意を持った計画的犯行とみて捜査している。日本刀をめぐる文化に詳しい無外流普及協会の上津原象雲会長は「長い刀だと使うには技術がいる。うまく斬れるように使うのは難しいと思う。我々は藁を巻いたものを斬って刃筋を立てる稽古を試し斬りと呼んでいるだけで、日本刀で人間を斬るということは、普通の神経ではできない」と指摘する。

■「双方からひどい言葉が乱れ飛んでいた時期もある」

 「神社というのは基本的には世襲制。富岡八幡宮も富岡家の先代がお年を召されて引退を考え、男子である茂永容疑者に跡を継がせようとした。このことは何ら不思議ではないし、当時の茂永容疑者は神社本庁とトラブルを起こすこともなく、地元から何か言われることもなく、波風は立たずに一度は世代交代がちゃんとできていた」。

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 そう話すのは、専門誌「宗教問題」編集長の小川寛大氏。しかし、「もちろん殺人事件にまで発展したことには驚いたが、被害者が女性宮司で加害者が弟さんであるということについては、率直に申し上げてあまり驚かなかった。20年近くいがみ合ってきた姉弟で、神社界に関係がある人なら誰でも知っている有名な話。地元の人でもみんな知っているだろう」と指摘する。

 1995年、父・富岡興永氏の跡を継ぎ、名門神社の宮司となった茂永容疑者だったが、素行が悪く非常に評判が悪かったことから、2001年、興永氏に宮司を解任された。氏子総代の男性はその理由について「女とお酒だな。銀座でどんちゃん騒ぎをしたり、帰りに女の子を連れてきて寿司屋を貸し切ったり、派手な遊びをしていた」と明かす。そして興永氏の意向により、長子さんが宮司代務者となった。解任された茂永容疑者は氏子に対し父親の悪口などを書いた怪文書を配布、長子さんにもたびたび脅迫文を送ったとされ、そこには「必ず今年中に決着するから覚悟しておけ。積年の恨み、地獄へ送ってやる」などと記載されていたという。茂永容疑者は2006年に脅迫文送付により逮捕され、罰金刑を受けている。

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 その後も長子さんと茂永容疑者の間にはトラブル続いていた。氏子総代の男性は「年中揉めている。最近じゃない、十何年も揉めている」と話す。それでも茂永容疑者の宮司に戻りたいという思いは消えていなかったようで、今年6月には男性に対し「宮司にかえりたいからお願いします」と頼んだという。

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 「はっきり言ってしまえば、近年の形勢は長子さんの方が圧倒的に優位だった。茂永容疑者が返り咲くということは想定しにくい感じだった。それでも未練というか執着がずっとあったようで、怪文書を作って長子さんを誹謗中傷したり、脅迫をしたりした。被害者の方には失礼だが、お姉さんもお姉さんでそれに対して感情的な対応をとってきたという流れもあった。誰が作ったかは分からないが、弟さんの女性関係についての怪文書が出回るなど、双方からひどい言葉が乱れ飛んでいた時期もある。職員として務めていた茂永容疑者の息子を、長子さんサイドが解雇してトラブルになったこともある」。

■「圧倒的に男女比率が偏っているのは確か」

 長子さんは弟との確執の他にも、女性宮司に対するセクハラ問題を抱えていたようだ。事件直前の7日付のブログには「特に嫌なのが神職の集まる飲み会で、一部の神社の神主にはセクハラ、パワハラ、ネグレクト、嫌がらせ……が当たり前のように横行している」と記しており、神社界の男尊女卑の傾向を指摘する声もある。

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 これについて小川氏は「どんな宗教でもそうだが、基本的に価値観の古い世界だ。右翼・左翼という意味ではなく、物事の考え方という意味で保守的な考え方をする人の集まりで、あまり先進的な人というのは多くない。神社界は男女差別的だとか封建的だという言い方はしたくないが、圧倒的に男女比率が偏っているのは確かで、絶対数として女性の神主さんは本当に一部しかいない。そういった状況で、有名な神社のトップを女性がやっていると、かつて女性の政治家や経営者が体験してきたように、風当たりが強いということもあったかもしれない」とした。

■「神社本庁は強引に何かをするという団体ではない」

 今回の事件をめぐっては、全国の神社を統括する神社本庁からの離脱が背景にあることも指摘されている。朝日新聞デジタルなどによると、先代の退任後、長子さんを宮司にするよう富岡八幡宮側が神社本庁に具申。ところが神社本庁からの回答はなく、7年にわたり宮司不在の状態が長く続いていた。最終的に富岡八幡宮は神社本庁を9月28日に離脱、長子さんは正式に宮司に就任した。

 現在、全国にある約81000の神社の内、9割以上の約79000社が神社本庁の傘下にある。神社側にとっては、神職の研修、宮司がいない場合に代理を送ってくれるなどの様々なメリットがある代わりに、人事が握られているという側面もある。加盟していないのは、出雲大社や靖国神社などの大手有名神社だ。参拝客も多く資金力のある神社ほど、神社本庁の管理から離れようとする傾向にあるという。

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 「神社本庁は戦後になってからできたもので、そこまで歴史の古いものではない。『庁』と付いてはいるが民間の団体であって、国家権力とは何の関係もない。戦前の日本では事実上の国教として国家神道があったが、敗戦後にGHQの神道指令が出て、神道を廃止すべきという意見まであった。しかし日本の大切な精神の拠り所だから、何とか民間の団体にチェンジして続ける道はないのかと当時の神社界の人たちが模索して形成されたのが神社本庁だった。強力な権限を持たせるという案もあったが、当時の時代背景から、それは民主的でないという議論もあり、かなり緩やかな連合組織だ。結果的に離脱のようなことも起こっているが、この設立の経緯や規約を見てみても、強引に何かをするという団体ではない。神社側が『この人を宮司にしたい』と言った場合、それを本庁が突っぱねるという例はほとんどない」(小川氏)。

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 しかし、富岡八幡宮では"空白の7年"が発生している。 氏子総代の男性によると、茂永容疑者の解任当時、長子さんには宮司の資格がなく、一生懸命勉強していたという。「資格は得られていないのだけど、自分で得られたふうにしたから弟が怒っちゃった」(同)。資格が得られなかった理由のひとつが、全国の神社をまとめ宮司の人事権を持つ神社本庁に任命されなかったからだという。

 「長子さんを宮司として認めなかった理由について、私の知る限り神社本庁は公にしていない。しかし、ある本庁関係者に話を聞いたところ、『ああいう巨大名門神社を率いていくには、やはり能力・経験の面において不安がある。しばらくは宮司代務者(代理)という立場で経験を積んで勉強し、その後に宮司に就任すればよい』という認識があったとも聞いている。もちろん一族ではあるが、本来は後継になる予定になかった長子さんが急に登板するということになったので、その考え方は不思議ではない。しかし、富岡八幡宮のような大きな神社で7年にわたってトップが不在というのは聞いたことがない。7年も引っ張ってきたのはおかしいと思う」(小川氏)。

■富岡八幡宮のこれからは…?

 今後、宗教界にも民間企業のようなガバナンスの考え方を導入していくべき時期に来ているのだろうか。小川氏は、一般市民の感覚としては理解できるとしながらも、「お寺もそうだが、一般論として世襲の家に生まれた男の子は"プリンス"として、小さい頃から将来のことを言われて育つ。茂永容疑者もそうであったと思う。だから本人が描いてきたキャリアデザインもそれしかなく、身から出た錆とはいえ、何か問題があってこけてしまった方々が他にもいらっしゃるのは事実だ。しかし理想論かもしれないが、弁護士や学識経験者が神仏の法や神聖性よりも偉いということにはならない。結局、宗教というのはひとりひとりが神や仏を肝に銘じて、まともな生活をするしか道はない」と指摘。

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 その上で、富岡八幡宮のこれからについて「やはり富岡家でやっていくということを多くの関係者は望むのではないか。長子さんには妹さんがいるという話なので、門前仲町の人たちや氏子さんたちが残った一族を支え、歴史と伝統を守っていただければと思う。ただ、とくに観光寺院はお正月にその年の収入のかなりの部分を確保する。富岡八幡宮も、年末の時期にこのようなことが起きて、これからかなり不安定になると思われるのが残念だ」とコメントした。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

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